第1032話・花火を前に

Side:北畠家老臣


 米蔵を見せるとは……。 武士としての本分も忘れて、己らの卑しさを誇らしげにするとは、所詮は氏素性の怪しき者に仕える素破よ。


 銭などという卑しきものを強欲に得ておる愚か者が。己らのような者がおるから世がおかしくなるのだ。


 御所様もこのような者らと誼を深めても、良きことなどないというのに。


「ここで兵の鍛練をしております」


 次は金蔵でも見せるのかと思うたが、兵の鍛練だと? 雑兵という者らは力で従え、敵から奪うことで食えるのだと教えるだけでよいのだ。余計な知恵も技も不要。


「あれは?」


「隊列を組ませておるのでございます」


 理解出来ぬ。兵を並べて歩かせておるのが鍛練だと? 戦場で一列に並べて如何になるというのだ。


「織田では鉄砲や弩を使いまする。そのためには皆が並び、一斉に撃つという鍛練が必要なのでございます」


 鉄砲か、これまた卑しき武器を好む織田らしい。戦も官位も所領も銭で買いたたくか。世も末じゃの。


 確かに戦は勝たねばならん。されど氏素性も怪しき男を使うて勝ったとて誰も認めぬ。織田はこの先、貯め込んだ米や銭で畿内を己がものとするべく動くのであろう。


 世は更に荒れるの。畿内の者らがこのような卑しき者を本心から認めるはずがない。


「おおっ」


 次はこれ見よがしに鉄砲を撃つところを見せたわ。若い者らは道理も世も知らぬ故に素直に驚いておるな。


 確かに使えるものであろう。まさしく織田はそれで領地を広げておるのだからな。それは認める。されどこのようなもので勝っても、武士が心から従うことはあるまい。


 いずれ織田は己の卑しさで滅ぶはずじゃ。北畠家も織田と共に滅ぶのかもしれんの。まあわしには関わりのないことじゃが。


 もう隠居しよう。このような野蛮で卑しき者らと関わりとうない。いずれにせよ歳で戦にも満足に出られんのだからの。


 あとは倅によく言い聞かせておけばいい。北畠家に尽くすのは構わぬが、己の家だけは決して絶やすなと。


 大御所様への義理もある。隠居して愚か者どもの行く末を見てやろうではないか。




Side:長野稙藤


 強き兵と潤沢な兵糧、敵が持てぬ武器。銭があるとここまで違うものか。


 北畠家家臣の者らも、面白うないと言わんばかり者がそれなりにおるな。此度は織田を好かん者らが多いと聞いておる故にそんなものであろうが。


 鉄砲は日々ひび、鍛練で誰ぞが撃っておるという。その銭はすべて織田が出しておるのだとか。信じられぬな。いずこからそれほどの銭を得ておるのだ?


 家柄を誇るのは当然であるが、武士である以上戦には勝たねばな。体裁などあとで如何様にでもなるものだ。


「宮内大輔、いかが思う?」


「まことに同じことが出来るのでございますか?」


 御所様がこちらを見極めんと声をかけてくるが、正直、わしにはよくわからぬ。


「やらねば北畠にも長野にも先はないぞ。過ぎた日々を懐かしんでおりたいのならば、隠居して仏にでも祈るがいい」


 それは理解する。強き者が弱き者に従うなどあり得ぬ。弱き者が従うしかないのだ。さもなくば滅ぶのであろう。織田は関を相手にそれを示して見せたからな。配慮はしても限度がある。


 ただ、御所様は今の言葉。わしだけではない。御所様のお考えに従わぬ家臣の皆に言うたのであろうな。


「それもようございますな。されど仏が必ずしも家を守ってくれるとは限りませぬ。某は家を残すために努めまする」


「ああ、それでよい」


 神仏を疑うわけではない。されど己の務めも果たさぬ者を、神仏が救ってくれるなどあり得るとは思えん。寺社とて銭を貸し、税を取り立てておるくらいなのだ。神仏の力など現世で望むものではない。


 御所様も遠からず似たようなお考えか? 神宮も荒れておると聞く。当然であろうな。


 しかしこれほど織田との力に差があると苦労するな。北畠家の権威とて、いずこまで配慮してもらえるのやら。


 伊勢とは違うのだ。一から十までな。隣国がこれほど変わっておることを知らなかったわしも愚かだが、如何様にしてこれほど変えたのだ?


 これがいつまでも続くのか? わからぬな。




Side:久遠一馬


 まだ五月に入っていないのだが、すでに花火大会を見物にきた人が集まりつつある。到着が早いのは領外からの客だろう。


 太陽暦に直すと、もう六月だからなぁ。


 旅に関しては、普通の人にとって旅はまだまだ危険も多く、費用もかかるので領外から来ることは難しいが、関所が無税の僧侶や、旅をする商人や職人などはこの時期に尾張に立ち寄り花火を見物しようとする人は年々増えている。


 公家に関しては、越前からの一行がついさっき到着したと知らせが届いた。日程に余裕を持たせるとこんなもんだろう。


 清洲城ではすでに数日前から歓迎の宴の支度が進んでいる。


「ほんと、欲深いという意味では武士より上だね」


 一方、伊勢高田派となる無量寿院との交渉が長引いている。もうすでに織田領の末寺はほとんどが鞍替えしてしまっている。


 食えないんだ。寺領とて領民からの突き上げがあるし、一揆でも起こされたら困るのは一緒だ。背に腹は代えられない。そういうことだろう。


 ところが無量寿院は諦めていない。今度は離脱した末寺の返還を求めている。


「知恵を絞っているのは確かなようですが……」


 エルも困った表情をした。


 無量寿院もさすがにこのままでは無理だと思ったのだろう。織田に従うので末寺を返してほしいと言いだしている。気持ちはわかるし、交渉でなんとかしたいのも評価する。でもなにもかもが遅い。


 三河本證寺の結末と、北畠や六角の動きからも戦えないと理解したのだと思う。そこで織田に従うことに妥協しても、今度は自分たちの立場を気にしている。はっきり言えば願証寺の下に置かれるのは絶対嫌で、また願証寺より発言権がないのも認められないらしい。


 無量寿院があるのは中伊勢の長野領だったところだ。こちらは臣従なんて一言も求めていない。にもかかわらず勝手に『織田の陣営に加わってやるから自分たちの体裁を配慮しろ』という。まあよくある強気な態度だ。


 信秀さんも義統さんも呆れているものの、追い詰めすぎるのは良くないというのが共通意見らしい。


 ちなみに願証寺はこの件に関与していない。無量寿院から離脱した末寺は織田に臣従する際に、もともと同じ宗派であった願証寺に鞍替えしたところも多いが、無量寿院とは交渉する気がないようで無視している。


 北畠家の晴具さんも陳情があったらしいが聞き流していると、具教さんが文で教えてくれた。本願寺派と高田派の争いなんかに関わりたい人がいないんだ。


 織田と北畠は、すでにこの件で戦になるようなことにはしないということで話がついている。


 いっそ公開の場で討論する機会でも設けてもいいかもしれないが、この時代だと負けたほうが納得しないで兵を挙げるからなぁ。



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