第1030話・一馬、ワガママをきく
Side:久遠一馬
東三河が季節を追うごとに織田に傾いている。幡豆小笠原の臣従をきっかけに深溝松平と竹谷松平が臣従をしていて、形原松平もすでに臣従している。
奥三河も頃合いを見計らっている段階と思われ、いつ臣従をと言いだしてもおかしくない。あそこは信濃への街道があってそれで生きているような土地らしいが、東美濃が織田領になって以降、旅人が減っていると報告がある。
正直言おう。軽く迷惑だ。
防衛計画も必要だし、領地整理に検地と人口調査もしないといけない。今川とは停戦しているが、それだって絶対じゃない。さらに国人同士のいざこざなんてよくあることだ。近隣の国人や土豪と多かれ少なかれ因縁があるのは珍しくない。
この前会った松平宗家の広忠さんも大変そうだった。一族をまとめる立場だし、周囲も分家も都合がいい時だけそれを望む。さらに分家同士だって決して仲がいいわけではない。そのくせ、主張だけは一人前だ。
「要らないって言えたらなぁ」
エルも資清さんもオレの言葉に困ったような笑みを浮かべた。広忠さんの面目をつぶせないし、要らないとは言えない。でも本音は空気も読めない国人なんて要らない。
愚痴っても仕方ないね。まずは現地を知る必要がある。ウチからは一益さんが織田家家臣と一緒に東三河に行っている。一益さん本人は最近文官仕事が続いていたので意外に喜んでいるらしいけど。
あと三河でいえば史実で奥山神影流を興した奥平さんも、ひとつ上の兄夫婦を呼び寄せたらしい。彼は織田家の武官として働いていて暮らしが安定していることで、ずっと面倒をみてくれていた兄夫婦を呼び寄せたんだそうな。
それ以外の兄とその子たちとは絶縁に近いらしいが、三河亀山城の奥平本家はむしろ歓迎しているようで、銭を送ってくれたり人手がいるだろうと従者になる小者を寄越したりと関係を深めている。
あそこも臣従が近いだろう。そろそろ三河の国人でも、今川は織田に勝てないと理解しつつある。
あと望月さんが近江の観音寺城に行っている。プランテーション案の詳細の説明と具体的な打ち合わせをするためだ。義賢さんは花火大会に来たかったらしいが、北近江三郡が不穏なので今年は来ないらしい。誰か代理の重臣が来るだろう。
尾張では田植えも一段落して、明日には花火大会見物と尾張視察に北畠家御一行が来る。前回の視察に来なかった者たちや長野家も来るらしい。
そろそろ越前と駿河の公家も到着するし、その準備とかでも織田家は忙しいんだよね。こちらは外交として必要なことだ。公家衆の影響力も馬鹿に出来ない。
「一馬、わしもそなたの帰国に同行したいがよいか?」
屋敷で仕事を終えて清洲城に登城したら、義統さんに呼ばれた。何事かと思ったが、まさかの言葉に冗談かと一瞬疑ってしまう。
「私は構いませんが、遠く危ない旅ですよ。西国に行った時とは違います」
顔を見て本気だと理解した。断れないよ。無理難題というわけでもないし。
そもそも本領へ戻る話、ウチの家中でちょっとしていただけだが、すぐに織田家中に広まったんだ。信光さんと信長さんは当然一緒に行く気だったが、そこで信秀さんが今回は自分が行くと言いだしたもんだから騒動になった。
信長さんは早々に諦めざるを得なかった。そろそろ織田当主としての経験も積まなきゃならないからね。信光さんも今回は諦めることになりそうだ。
普段はそこまで働いていないが、一族で万を超える軍の大将となれる人が残る必要がある。その代わりではないが、織田伊勢守家の信安さんとか候補に挙がっている。信秀さんはウチの本領を見せることで、家中の武士たちに目に見える目標を与えたいんだと思うが。
そして、とうとう義統さんまで行くと言い出すとは。久遠諸島に行きたいという冗談は以前にも聞いたことはあるが、それは割と織田家で流行っているだけだと思っていた。
「構わぬ。内匠頭も行くならちょうどよかろう。別々に行けばそなたも大変であろうし、良からぬ噂になっても困る」
困ったことに義統さんは頭もいい。今でも信秀さんと自身の対立になる可能性をことごとく避けている。久遠諸島に行きたいが、信秀さんと別々に行くことでどちらかの留守中に面倒事が起きることを懸念してもいるようだ。
斯波家の権威、完全に復活しているしなぁ。
「人とは欲深いものよの。噂を聞いておるとこの目で見とうなった。かつてと比べると今は出来過ぎかと思うほどなのじゃがの」
失礼だが義統さん本人も織田家もオレも傀儡のつもりだった。ところが本人すら予想もしないほど有能だったんだよね。
無理難題を要求したり、今川を討てとか朝倉を討てとかおかしなことを言う以外は従うのが家臣としての務めになる。久遠家も随分と助けてもらっているしね。斯波家の権威に。
信秀さんにはすでに話して根回しは済んでいるんだろう。
「都に上り、管領にすらなれますよ。畿内から西国までそんな噂が広がっています」
「要らぬわ。今の公方様ならお仕えしてもよいとは思うが、足利の世ではいずれ荒れる。今まで多くの者が天下を握り、政をしておったのじゃ。わしごときが管領になったとて変わらぬ」
今回の同行を欲だと言いきる義統さんが、個人的には好ましく思う。我欲を捨てるなんて人間そう出来ないしね。自分の立場や周囲のことを考えて言うなら大歓迎だ。
ちょうどいいので世の中の噂を教えるが、本当に嫌そうな顔をされたよ。
「足利の世で太平の世を築くのは……」
「内匠頭とそなたの目指す道の邪魔にしかなるまい。足利だけが悪いとは思わぬ。されど終わるべき時なのではと近頃思う」
本当に頭のいい人だ。オレたちもすべてを話して教えているわけではないのに。
「血で穢れた神輿など誰も担ぐまい。鎌倉の衰退と世の乱れを治めた足利はようやったのであろう。されどそろそろ次の世に移るべき時なのじゃ」
いや、この時代の人だからこそ理解していることというのもあるのかもしれない。義統さんは特にオレたちとの付き合いもあるから変わりつつある世の中を一番身近で見ている。
しかしこうなると気付いていると見るべきか。次の世が斯波の天下でもないことに。義統さんならやれると思うが、いささか足利に近すぎるからな。
世の中には凄い人がたくさんいるね。そんな人たちを新しい世の中に導くのがオレの役目なのかもしれない。
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