第1029話・信勝の帰還と真柄の旅

Side:織田信勝


 船を降りてもまだ揺れておるような気がする。供の者らは蟹江の賑わう景色に感極まっておる者もおるようだ。


 船旅で楽しかったという市や叔父上がいかに優れておるか、身をもって知った。二度と乗りとうないと陰で言う者がおることも頷ける。


「ふふふ、いい経験だったろ?」


 そんな我らをリーファ殿が笑顔で見ておった。船が好きだと言うておって、一年のほとんどを船の上におるという。久遠殿の奥方は変わっておる者が多いが、リーファ殿も相当なものだな。


「はい、得難き見聞の数々、ありがとうございました」


 もっとも船の上では面白い話を幾つも教えてくれた。世の中は日ノ本の外のほうが遥かに広いこと。我ら日ノ本の民とはまったく異なる神仏を信じて生きておる者らのことなど、様々なことを教わった。


 最後に船に向かい深々と頭を下げると、出迎えの者らが少し驚いたのが見えた。久遠家は織田家の家臣であることに変わりはない。それ故に私が頭を下げたことに驚いたのであろう。


 織田弾正忠家は大きくなったからな。されどそれは久遠家の働きがあってのこと。さらに私は弾正忠家の男ではあるが、それ以上ではないのだ。父上や兄上は決して久遠家を軽んじることはしておらぬ。


 礼儀を通すのは当然のことだ。まあ私にとっては『頭の上がらぬ兄嫁方の家』が気持ち半分ではあるが。




 船を降りた私は、無事『検疫』を済ませ、そのまま清洲へと向かう。馬車に乗ると清洲まですぐだ。今では道も良うなったし、川には橋もある。船と比べると揺れることもなく、小者に牽かれて乗る馬よりも遥かに速く楽だ。


 これも久遠家のおかげで成し得たものだ。


「ただいま戻りました」


 清洲城に着くと、湯を用意させて、船旅の塩と垢を落とし、身支度を整えて父上と母上と兄上に帰還の挨拶をする。


「いかがであった?」


「多くを学ばせていただきました」


 父上の言葉に安堵したと同時に、久遠家の苦労と凄さを改めて感じる。人が成せぬことをするには、人とは違う苦労と積み重ねがあるのだという雪乃殿の言葉が思い出される。


「市と孫三郎殿は、また行きたいと言うておりますね。貴方はいかが思いますか?」


「行きたいと思うところもありまするが、怖いところもありまする。私は久遠家の船に守られて乗っておっただけの身。己で船を差配してと考えると、私では難しゅうございます。母上」


 リーファ殿と雪乃殿の船は、久遠家でも一二を争うほどの船だという。それ故に取り乱すことも恐れることもなく戻れたが、己で船を持てと言われると怖くて出来ぬと思う。


「伊豆諸島はいかがであった?」


「久遠諸島とは違いました。いずこにでもあるただの島でございます。ただ久遠家の本領とまではいかずとも、何れは島を豊かにすると思われまする」


 兄上に問われたのは伊豆の島のことであった。地図で見ると要所の島と言えよう。されど北条でさえ配下に治めさせておるだけの島だったところだ。久遠家でなくば使える島ではあるまい。


 此度の旅で学んだのは、尾張がまだまだ物足りぬということだ。学ぶべきことは多い。父上はそれを理解して私を行かせたのであろうな。




Side:真柄直隆


 朝倉の使者として尾張に行くので一乗谷城に出向くと、そこで初めて公家と共に尾張にいくのだと知らされた。


 宗滴のじじいめ。公家のお守なんて聞いてねえぞ。道中の旅費を出してもらうのをこれ幸いと思ったら……抜け目がねえじじいだ。ありゃ、当分死なねえな。


 もっとも朝倉の殿からは、結構な量の金と銀をもらった。尾張で珍しいものがあれば朝倉の殿の名で買うてもいいとさえ言われたが、オレは商人じゃねえぞ。


 ただ朝倉の殿とお会いして面白いことがわかった。朝倉の殿は織田と戦をする気がまったくねえってことだ。おかしな話だ。斯波家にとって朝倉は謀叛人でしかないはずなのによ。まあ中には『斯波や織田など捨て置けばいい物を』と態々わざわざオレに言う奴もおったが。


 共に行くのは朝倉の家臣らと公家衆に商人もおる。土産と商いのための荷も多いとくれば面倒だが、今更ひとりで行くとも言えねえ。


「しかしあれだな」


「真柄殿いかがした?」


「ここらの奴らは戦でもする気か?」


 越前を出て北近江に入った。北国街道を下って、そのまま東山道に入ったほうが道も良くていい。美濃に入ると賊もほとんど出ねえしな。


 ところが北近江がおかしい。いずこがおかしいのかと問われても困るが、まるで戦か一揆でも起こるような感じに思える。


「ああ、宗滴様もここは気を許すなと仰せだったところだ。先年の織田との戦で負けて六角に従っておるが、面白うないのだとか」


 去年の帰りは急いでおったこととわずかな供の者だったので気付かなかったが、ここらは以前からこんな感じだとは。


 東山道に入ると一度賊に襲われた。ただの賊だ。ふたりばかり斬ったら逃げていったからな。


「ここまでくれば襲われまい」


 幸いだったのは公家の奴らが大人しく歩いておることだった。いろいろと面倒かと思ったが、それだけ尾張の花火ってやつが楽しみで仕方ねえらしいな。


 結局、一息ついたのは関ヶ原の町に来てからだった。美濃に入ってからは道も良くなり、一気に歩きやすくなった。


 しかし、ひと冬で町が大きくなってねえか?


 前に旅の武芸者に聞いたことがある。いずこを旅しようとも楽な土地などないとな。都ですら荒れ果てておって、気を抜けば寺の坊主すら寝込みを襲う。


 ところが織田の国は違う。少なくともオレが見たところは、旅をする者を騙そうとしておるところはなかった。


 本当に織田は何故、これほど違うのかね。




Side:久遠一馬


 大湊が少し揺れていると知らせが届いた。


「会合衆たちですら、知らないところで決まるからねぇ」


 湊屋さんの報告に縁側で暇そうにしていたジュリアが面白そうに笑った。


「以前からあったことではございます。ただ大湊の商人で水軍を営む者もおります故……」


 服部友貞の一件以来、大湊とは実際の力関係はさておき、表面上は対等な立場で相互協力しつつ繁栄してきた。その事に大湊も不満は漏らせないだろう。


 ただし、対等な立場では織田のやり方に口を出す権利もない。気が付くと周囲の水軍はすべて織田に吸収されてしまい、北畠家ですらなんとか生き残ろうと四苦八苦をしている。


 水軍における徴税の禁止やルールも大湊は事実上、決まってから知ったことになる。こちらとしては大湊にお願いはするが、強制はしていない。でもね。大湊にとって断れないことが決まってから知らされるのは困るんだろう。


 桑名も安濃津も織田の支配下に入った。伊勢湾内に残る、織田領外では最後の商用湊、大湊はその必要は今のところない。とはいえこのままでは自分たちだけ置いていかれるのではという危機感があるらしい。


「こっちとしては十分配慮しているけどね」


 大湊は伊勢神宮の湊であり、北畠家の勢力圏でもある。そして会合衆が治める公界という独立した場所でもある。今まではそれでよかったが、大湊も変わらないとどうなるかわからないのは確かか。


 安濃津がこちらの手に入ったのは予想外だったけど、元々はあそこも大きな湊だった。整備してうまく使えば大湊の利が減ることも十分あり得る。


 危機感を持ってくれるのはいいけどね。


「現状だとこちらから動くことはないのよね」


 絵を描いているメルティをちらりと見ると、この件は大湊次第だと苦笑いを見せた。大湊も結構あの辺りの土地を持っているんだよね。町の食料を賄うだけの土地を。


 その領民の暮らしが織田領になった近隣の沿岸部と格差が生じると、まずいのではと思うのは正しいんだけど。こちらがどうこう言うのは大湊の人たちも面白くないだろう。


 まあ伊勢神宮とは伊勢志摩の神宮領について話している。沿岸部でも神宮領があるところもある。ここだけ残すと格差が問題となるし、織田の統治について改めて説明がいるからね。


 大湊の件は伊勢神宮と少し話すほうが先かな。



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