第1023話・かつての……
Side:久遠一馬
この日は朝から雨が降っている。仕事のために清洲城に向かうと、途中で街道を直している賦役が見えた。雨が降ると無理をしないようにと命じているが、領民にも生活がある。現場の判断で仕事をすることは当然あるんだよね。
清洲城では商務総奉行としての仕事がある。オレの場合はエルたちもいるし、家臣も育ってきているのでそこまで忙しくはないが。
細々とした陳情はあるし、こちらから指示を出すこともそれなりにある。久遠家として販売している商品の売り先と値段もコントロールしている。市場原理に任せていい時代じゃない。
管轄の仕事としては、堺とは絶縁したままだし、今川と武田には鉄や武具などは売らないように命じている。他にも織田の方針に沿った商業活動の統制もある。
「調べる必要があるな。忍び衆と警備兵にも頼んでおこうか」
そんな命じたことを守っているか、織田領内の商人の監視と調査も商務でしているんだ。
そもそも悪事に手を染める人は、どんなに文明が発達してもなくならない。阿漕な商売から、脱税目的で不当に損をしているように見せかけることや、織田の決まりを破る抜け荷などなど。いろいろとある。
織田領の商人の立場が強くなったことで驕る人もいるし、武力や財力、または有力者との血縁などで自分の利を増やそうと、あの手この手で勝手なことをする人はなくならない。そんな時代だしね。
モラルを求めるには長い時間と法が必要だろう。ひとつひとつ調べて警告をして、場合によっては取り締まって罰も与える。
「ではセレス様に届けて参ります」
「うん、お願いね」
書状の清書は祐筆というわけではないが、家臣にお願いしてある。オレは決断して必要な書類にハンコを押すのが仕事だ。
今回は麦酒と呼ばれているエールの横流し疑惑がある商家の調査だ。どうも三河の松平領で売るという名目で仕入れて、そのまま三河の寺を介して今川方に売っているらしい。
今川は大内義隆さんの法要の際に、寿桂尼さんとの会談で、酒などウチの品物の値段を下げたが、それでも領内価格で卸した品を売れば儲けは大きい。
行商人相手に多少売るなら黙認しているが、密売はすでに義統さん名義で禁じていることだ。
正直、罪の意識が薄い。バレなきゃいい。そう考える人があまりにも多い。
ちなみにこの件は、三河の寺の僧侶のひとりが目安箱で知らせてくれたことだ。商家の人間は番頭くらいならば知っているんだろうが、それ以下の奉公人は知らないだろう。寺も一部の欲深い坊さんがやっているみたい。
「内匠助殿、これは如何なさいまするか?」
「それは様子をみましょう。それにしても河尻殿がいてくれて助かるなぁ」
ああ、最近商務の仕事で有能な働きをしているのは河尻さんだった。元大和守家の家老で三河本證寺との戦以降、ウチの与力として働いてくれている人だ。
当初、同じく与力だった佐治さんは、彼が織田一族となった時に与力でなくなったが、河尻さんは相変わらず与力のままだ。有能だし仕事も出来るんで、セレスが一時期警備奉行に推挙していたが、本人は辞退して未だにウチの与力でいる。
もともとは文官仕事には慣れていなかったが、ウチで手掛けた常備兵立ち上げ時の訓練や、セレスの手伝いで覚えたノウハウと文官仕事で、今では文官としても出来る人になっている。
ちなみに目立った武功がないのであまり知られていないが、収入が元の領地と比較して数倍になっている人だ。信秀さんの許可をもらってウチからも成果報酬やら俸禄を出しているからね。
「歳も歳なので、そろそろ戦場で先陣を切るわけにもいきませぬ。出家するよりはこちらのほうが某には合っております」
元守護代の信友さんも織田一族のひとりとして頑張っている。河尻さんはその件もあって肩の荷が下りたと以前言っていたね。
年配と言える歳だけに武功とか求めない分、なんでもやってくれるので助かっている。あと尾張のことをよく知るし、顔も広いので助かってもいるけど。
「今夜はウチに来て。島から鯨肉が届いたからそれで一杯やろう」
「それはようございますな」
この人もね。ジュリアと一騎打ちしなかったらどうなっていたのやら。有能な人は世の中にたくさんいる。
ひとりでも多くそんな人に新しい未来を見せてやれたらいいんだけどね。
Side:安藤守就
「……某がでございますか?」
殿に呼ばれて何事かと思えば……。
「鈴鹿関は要所だ。こちらで関所を設けて城も築く。愚か者には任せられぬ」
命じられたのは関家の居城であった亀山城の城代であった。あれほど織田に逆らったわしが命じられるとは、さすがに驚きを禁じ得ぬ。
「かの関の向こうは甲賀だ。こちらを攻めてはこぬであろう。されど長年荒れておる領地は面倒だからな。賊は警備兵と兵を出してやらせる。そなたは領内の復興をせよ」
「畏まりました」
殿の許を下がると如何とも言えぬため息がもれそうになる。
織田では関家のことを、時勢も読めず織田を軽んじた愚か者と笑うておるが、わしには決して他人事とは思えず笑えなかった。
今までのやり方が通用せぬのだ。少し意地を張ってごねようとしただけですべてを失うとはな。
「日向守、殿からなにか命じられたか?」
「はっ、伊勢亀山城代を命じられました」
「ほう、それはめでたいではないか」
わしは仕事に戻ると新九郎様に報告するが、当然ながら知っておったのであろうな。もしかすると推挙していただいたのかもしれぬ。
「そなたはまだまだ老け込む歳ではない。よい機会ではないか」
弟もここ清洲で働いており、よく顔を合わせる。先日には忙しゅうて謀叛を起こす気にもなれぬと言うと笑っておった。
ふとあの時を思い出す。わしはまことに死を覚悟したのだ。あの時、久遠殿の奥方である夜の方が現れねば、わしは戸惑う弟に業を煮やし、自ら腹を切っておったやもしれぬ。
「世が変わるか」
「日向守?」
「ある女に言われたのでございます。世が変わる時にわしは古きに囚われておると」
「ハハハ、それほど気にすることではない。わしとて同じだ。一度は織田と戦わねばならぬと思うた」
隙あらば織田も久遠も討ってやろうと思い臣従したが、すでにそのような世ではなかった。
新九郎様はわしに少し懐かしそうにかつての己の思いを教えてくださった。
「命を粗末にするなというのは、久遠家の掟だそうだ。今思えばこれほど理に適う掟はあるまい。生きてこそ先があるのだ。わしもそなたもな」
久遠家の知恵で建てたという時計塔の鐘が鳴った。新九郎様はそんな鐘の音を聞き終えると、久遠家の掟について口にされた。
命を惜しまず名を惜しめという者も世の中にはおる。わしはそちらのほうが理解出来る。命を粗末にするなという者が、これほど恐ろしいとは思わなんだ。
「そうでございますな」
わしは一国を治めるような器ではないのであろう。されど愚か者という名を後の世に残すのだけは我慢ならん。
働くしかあるまいな。生きて。
新しい世が見えぬ愚か者なのだから。
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