第1022話・選択肢の少ない具教さん

Side:久遠一馬


 臣従した伊勢志摩の水軍衆の領地には、大型の網を貸し出した。水軍は再編中だが、彼らの領地の暮らしも変えていかないといけない。網に関してはだいぶ前から欲しいという話はあったんだよね。諸々あって実現していなかったが。


 魚肥と干物はどんどん生産してもいい。人糞肥料は早く止めさせたいし、食料は多いほうがいい。一部の魚貝類は産卵期の禁漁などを命じるが、それでも大半は現状より獲っても問題はない。


 あと志摩では知多半島の真似をして勝手に海苔の養殖をしている。以前から抗議していたが受け入れなかった者は、それの責任追及を現在している。奇しくも知恵の対価の議論が起こっているので、謝罪と賠償になるかな。まあお金はないだろうしね。こういうのは形が大切だから困らない程度に俸禄から少しずつ返してもらうことになるだろう。


「安濃津ですか」


 具教さんが尾張に来た。戦の後始末が終わってないらしいが、織田との返礼の交渉も必要だ。家臣に任せればいいのだろうが、それが出来ないのが北畠家の厳しい現状を物語っているんだと思う。


「他に出せるものがない。足りぬなら官位になる」


 那古野城に来たので信長さんとオレとエルとジュリアで出迎えたが、表情はあまり芳しくない。長野との戦でうまくいかずに、戦後も返礼や長野の扱いで苦労しているらしい。


 はっきり言えばお金がないんだろう。


「親父と守護様に聞いてみるが、安濃津で構わんだろう。それより、これから如何する気だ?」


 信長さんは同情気味だ。出せるものがないと言われるとは思わなかったのかもしれないが。


「いずれから始めればよいのやら。警備兵は設けるが、それも百人ほどが限度だ。長野に払う俸禄もある」


 思った以上に精神的に追い詰められているね。いろいろ見え過ぎている分だけ、自分の置かれている現状と力量に失望している感じか。武芸のように修練すればいいわけじゃないからな。


 政治は難しい。ジュリアがやりたがらないのもよくわかる。


「こちらの案を使うか? 念のため考えておるものがある」


 信長さんが少し困ったようにこちらを見たので頷いておいた。まだ評定にもかけていないが、プランテーション案を信秀さんと信長さんには事前に説明してある。それを教える気なんだろう。


 プランテーション案に関してふたりはすぐに賛成した。特に信秀さんは、これ以上、北畠と六角を追い詰めたくないらしい。


「なんと……」


 具教さんはプランテーション案に戸惑っていた。知識と資金を貸し与える代わりに生産物を独占的に売る。この時代ではない概念と仕組みだ。


 わざわざ他国を開発させるなど有り得ない時代だからね。今日は味方でも明日には敵になるかもしれないと考える時代だ。他家との力の差が開けば開くほど有利となると考えるからな。


 奪うことはあっても与えることはない。だからこそ戸惑うんだろう。


「織田にさほどの利がないと思うが……、よいのか?」


「そう甘いもんじゃないよ。こっちはさらに儲けるからね。それに食べ物が不足しても、そっちは売らないといけない。さらに商いと品物の流れを握ってしまうんだよ。敵対出来ないようにね」


 こちら側の利益がわからなかった様子の具教さんに、ジュリアが厳しい口調で北畠側の失うものを教えた。


「構わん。配慮に感謝する」


 どうするかなと見ていると具教さんは即決した。まあ面目を保つにはこれしかないだろう。道三さんみたいに面目を捨てて利を得るのは北畠では難しい。


「これを受け入れていただけるなら、こちらもいろいろと助力出来ます。民や家臣の目に見える利がないと変えることは難しいですから」


「だな。まずは領国を変えていく姿勢がいる。捨て置かれておる田畑を耕していくことから始めるしかあるまい」


 信長さんもホッとした顔をした。多分オレも同じ顔をしているだろう。街道整備は防衛と利権の関係から大変だろうが、耕作放棄地ならすぐに復旧していける。


 あとは流れのまま変えていけるはずだ。北畠の面目を保ちながらね。




Side:ウルザ


「フフフ、春は派手にやったわね」


 伊勢で春が大活躍したとの知らせが関ヶ原まで届いたわ。彼女は特に思い切りのいい性格ということもあるけど、私たちはどうしても目立ってしまうのよね。


 私とヒルザはここを拠点に美濃で活動しているわ。目立ってしまって。直接、影の役目をやりにくくなってしまったことが原因よ。


 関ヶ原城城代は不破殿になる。ただ山城って不便なのよね。特に私たちはよく動くから。私たちが滞在しているのは城下にある館になる。日常では主にここが政務の館であり、私たちは離れを間借りしているわ。


「北近江三郡が騒がしゅうございますな。六角が北伊勢で織田から逃げたと勘違いしておる者が多いのでしょう」


「私たちが出るまでもないわね」


 不破殿は伊勢からの知らせを喜びつつ、こちらへの影響を口にした。目に見えてわかる勝ち負けとよく知らない人が見る勝ち負けは違うものね。


 織田が北伊勢の大部分を得て六角が引いた。そう聞くと旧浅井領の国人や土豪が勝手に騒ぎだした。


「ウルザ、不破殿、お茶にしましょう」


「ヒルザ殿かたじけない」


 関ヶ原はもう北近江三郡の戦力で落とせる城ではないわ。北近江三郡の者たちは六角からの独立が狙いでしょうね。


 無論、関ヶ原城の建設は今も続いているけど、支城の一部は砦に簡素化するなど計画の縮小をしているわ。難攻不落の城もいいけど、維持管理費も馬鹿に出来ない。さらに現状の織田で籠城戦はあまり考えられないこともある。


 関所と町も大きくなったわ。関所の外側にも町が広がった。そこも織田領なのだけど、織田の領民ではない者たちが、勝手に造ったスラムとも言える町ね。関所を越えずに取り引きをしたい者や関税を払えず留まる人が相応にいるのよ。彼らは不法占拠者、不法滞留者であるけど、取り締まり過ぎても悪評に繋がりかねないので、結局こちらで管理して賦役で働かせてやっているわ。銭を得る手段がないとろくなことしないのよね。


「東海道が使えるとこちらは少し落ち着きますかな?」


「うふふ、不破殿の役目は残念ながら減らないと思うわ。北美濃も領地になったもの」


 当地の国人ということと、よく働くので国境を任されている不破殿だけど、少し忙しいことに困ってもいるわ。


 私たちが滞在しているのも彼を助ける意味もあるんだけど。


「ハハハ、立身出世も楽ではありませぬな」


「清洲も大変らしいわよ」


「ヒルザ殿ら医師も忙しゅうございますからな。皆、忙しいということでしょう」


 俸禄の恩恵を受けている不破殿は金回りもいい。とはいえ使う時間がないと笑い話になるほどなのよね。


 文官も増えているけど、有能な人に仕事が集まるのはまだ変わらない。今しばらくの辛抱かしらね。


 もっとも不破殿は、同じく街道の要所を押さえていた関家の滅亡に思うところがあるのか、先日など他人事ではなかったと言っていたけど。彼らと比べると幸せだと思うのかもしれないわね。




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