第1015話・長野家の処遇

Side:春


 宴の翌日、宰相殿と私たちは長野城に入城した。


 相変わらず雰囲気は微妙ね。とはいえこの時代の武士は、同じ家中でも仲が悪いなんてことはよくある。織田もないわけじゃないんでしょうけど、私は評定に出ないからあまり知らないのよね。


「宮内大輔と長野家の者に言うておく。北畠は織田家に倣い国の治め方を変えるつもりでおる」


 宰相殿は私たちが帰るまえに、長野との降伏条件の話し合いをするつもりのようね。正直、関係ないんだけど。私たちがいたほうが北畠の目指す先を説得しやすいのは確かね。そういうところは上手いと思うわ。


「降伏した身、一切異論はございませぬ」


 長野家当主、宮内大輔殿。この人は五十歳くらいだったはず。経験では宰相殿より上ね。今回の戦も絶望的な状況から勝ちに等しい負けを得た。長野側の家臣が僅かに動揺するものの、宮内大輔殿は一切の驚きも見せない。


「所領だがな、半分は俸禄にしたい。これは美濃の斎藤家が織田家に臣従する際に用いた条件だ。斎藤家は戦をせずに臣従した。同じ条件なら悪うあるまい」


 交渉があまり上手いとは言えないわね。いきなり条件を口にしたわ。戦でもそうだった。聡明で上手いと思うけど、少し経験不足かしらね。さすがに長野側がざわめいた。土地の召し上げはあると思っていたのでしょうけど、半分は多いと思ったのでしょうね。


「我らの暮らしは如何なりましょう」


「所領の広さは変わることになるが、実入りは変わらぬようにする」


 もう引き返せないと覚悟をしているようね。宰相殿は。今までと同じ治め方ではもう続かないと理解もしている。ただ長野家にとっては寝耳に水よね。


 仕方ないわね。少し手助けしないとまとまらないわ。


「宮内大輔殿、もし長年の因縁が気になるならウチに来る? 歓迎するわよ。所領は放棄して、故郷を去る事になるけど暮らしがよくなることは保証するわ」


 私の言葉に北畠、長野両家の者が驚き、若殿が一瞬だけ苦笑いを見せた。


 言いたいこと、聞きたいことが山ほどあるのだろう。長野家の者たちはそれを飲み込み宮内大輔殿の言葉を待っていたが、信じられないと言わんばかりに私を見た。


「ふむ、当家でもよいぞ。織田ではすでに所領を整理しておる。一族の者ですら始めは半分の所領を返上致し、今は城のみで所領を持たぬ者もおらぬではない。さらにオレの所領は父上の所領と一緒にしてしまったからな。オレも所領がないと言えばない。尾張に来れば所領など気にならぬぞ」


 彼らを驚かせたのは、若殿が私の言葉に続いて誘いをかけつつ説明したからだろう。上手いわね。口下手だったのに。エルが鍛えた成果だわ。


 場の空気が変わった。所領半減になることに変わりはない。とはいえ久遠と織田に誘われたことは面目が立つことになる。これで我慢してくれるかしら?


「織田様と久遠様の過分なご配慮、某、終生忘れませぬ。されど戦に敗れたこの身は、北畠家に仕えるべきでございます。御所様、所領の件、承知いたしました」


 思わずホッと一息吐きたくなるわね。もし望めば本当に召し抱えてもいい。でもそれをすると北畠が嫌で、織田や久遠に仕えたのだと言われかねないわ。まあそれでもやっていけるのでしょうけど。北畠家の面目を潰すことは避けたということね。


「思うところはあろう。されど関よりはよかろう。神戸を軽んじ、春殿に無礼を働いたようでな。関は家の断絶であろう。愚か者として後の世に名が残るやもしれんのだ」


「……なんと」


 宰相殿もホッとしたようね。比べるのもおかしいけど、長野家に関の一件を説明すると、長野家の者たちは驚き、なんとも言えない顔をした。


 許したくても許せないのよね。私も司令も。尾張からの手紙では大殿も守護様も許すことに反対したとか。


 長野家は私が亀山城を落としたのは知っていたけど、詳細を知らなかったみたい。余計なことをしてと、誰かが小声でつぶやいたのが微かに聞こえた。


 あれも終わってみると長野を追い詰める一因となった。どのみち結果は変わらないでしょうけどね。むしろ関が勝手なことをして長野領内を荒らさなかった分だけ、こっちのほうがよかったと思うけど。


 関よりはマシだ。面目ある降伏が出来た。そう思うことで納得してくれるならそれでいい。




Side:久遠一馬


「ふふふ、宰相殿は長野にしてやられたか」


 伊勢から長野家が降伏したという知らせが届いたんだけど、具教さん苦しんだな。勝ち戦というプレッシャーと北畠家の置かれている現状。それと当主としての初めての戦。いろいろ理由があったんだろうけどね。


 信秀さんが少し昔を懐かしんでいる感じで報告を聞いている。


「今までの戦のやり方では、いかに優れた者でもこのようなことがある。故に乱世が終わらぬのだ」


 尾張は新緑の季節に差し掛かろうとしている。外から吹き込む風が暖かく感じるようになってきた。そんな中で伊勢のことを話す。


 具教さんも大きなミスは犯していないと思う。ただ攻めるほうも守るほうも互いに相手の手の内を知っていると、そうそう予想外なことは起きない。これで長野家は相応の力を持ったまま臣従することになる。


 どうなるかな。オレは長野稙藤という人を知らないのでなんとも言えない。


「こっちも大変なんですよね。関領の統治と水軍衆の領地の直轄化がこれからなので。ただ水軍衆は大丈夫だと思います」


 織田も北畠のことを笑っていられる状況じゃない。臣従した志摩の水軍衆の織田水軍への編入前に正確な戦力評価と指揮系統の統合教育、所領や支配水域の整理など、やることがいろいろとある。


 ただ水軍衆は大丈夫だと思う。忙しい分、暮らしは確実に楽になるはずだからね。問題は関領だ。伊勢亀山城で暫定的に統治しているのは、オレの奥さんである秋だ。本来は神戸などの元所領の技術指導に行ったはずが、関領の統治もしなくてはならなくなった。


 治安回復は警備兵を指揮する佐々兄弟が賊を次々と討伐しているものの、それでも人手が足りないようで、とりあえず北伊勢で賦役をしていた軍から兵を送って、治安回復だけは早々にするように頑張っているけど。


「東海道か。六角に文は書いた。向こうでも動くであろう。東海道が使えるならばそれに越したことはない」


 関領には東海道と要所である鈴鹿関がある。これがまあ賊が多くて使えないくらいだった。しかも賊と言ってもいろいろいて、地元の領民が賊と化している場合もあれば、流れ者や牢人が賊となっている場合もある。


 治安回復も賊の討伐だけではなかなか難しい。領民の暮らしが成り立つようにしないと駄目だろう。


 それと関領の向こうには近江国甲賀こうか郡がある。こちらだけで治安回復しても東海道は使えない。さらにこちらの賊が向こうに逃げると迷惑も掛かる。


 幸いにして六角とは協力していこうという形になっている。北伊勢でも六角方の梅戸領にこちらの商人が友好相手価格で品物を売ることをしているので、甲賀でも協力出来るだろう。


 まあウチはこの冬の食料不足でも甲賀を支援した。六角を通さなくても頼めば協力してくれそうだけど。


 ここらの問題の解決に人を送るべく、文官や武官に警備兵から選抜しているところだ。


 あとは関家の処罰なんだけど、まだしてないんだよね。当人である春が戻ってからということになった。


 春は関の処罰なんか興味がないだろうが、そうもいかないからさ。


 ほんと、いろいろ大変だよ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る