第1010話・我慢比べ

Side:望月太郎左衛門


「そうか、長野はまことに戦う気がないようだな」


 安濃津から運ばれてくるこの日の荷がすべて届いた。襲われることも懸念して兵を付けておるが、襲われる気配すらないという。


 長野城に着いてから五日。連日の相撲大会でこちらは大賑わいだ。そろそろ長野が出てくるかと思うて忍び衆を多めに物見に出したが、相変わらず動かぬか。


 北畠は兵糧を領国から運んだり商人に命じて兵糧を買うたりしておるが、織田はすべて蟹江から運んでおる。量も一定で毎日運ばれてくるのだ。ここらは大八車が使えぬので馬と人で運んでおるが大きな障りはない。


 此度から荷駄隊では新しい背負い袋を試しておるが、これがまた評判がいい。職人衆の若い者が考えたもので、麻で出来た布袋を背負うのだ。


 我が殿は荷駄隊を殊の外、重きを置いておられる。戦においてもっともお心を砕かれておられることであろう。


 此度の北畠への援軍でそれがいかに大切か、織田の者らもよく理解しておる。織田は常に兵糧が一定なのだ。数日分の兵糧のみであり、増えもしなければ減りもしない。食うた分だけ運ばれてくる。


 ところが北畠はまちまちだ。長対陣になると判断してから兵糧を手配したようで、心許ないほど減った頃にようやく届いておる。


 織田はこのまま一年でも戦が出来よう。無論、北畠と長野がその前に音を上げるであろうがな。


 それらはすべて我が久遠家が差配したものなのだ。


「しかし、いつまでこうしておるのでしょうか」


「さてな。動くか否かは北畠様がお決めになること」


 兵糧を運んできた荷駄隊の者らはいつまでも攻めぬ状況に首を傾げたが、本来の籠城戦とはこのようなものなのだ。織田はここ数年、籠城などさせぬことで皆それに慣れておるがな。


 さすがに田植え前には攻めると思うが。織田の兵は主に賦役をしておる者らだ。田植えの頃になっても困らぬが、北畠の兵は農民だからな。


 名門北畠家が苦汁を舐めるが如き思いを抱えておること、織田の者らも知らぬ者が多い。織田との力の差に悩み、それが迷いとなっておる。


 いっそ勢いで攻めてしまったほうがよかったのかもしれぬとわしは思うがな。




 この日も日暮れを迎え、ようやく二度目の軍議が開かれることになった。一度目は相撲大会で長野の様子を見るというもので終わった。ところが動かんからな。武辺者を中心にそろそろ攻めてはという声が聞こえ始めておる。


 春様、夏様、冬様と共にわしも軍議に加わるが、織田と北畠の兵のいさかいがだいぶ減っておる。やはり、そろそろ攻めてはという意見が多いか。


 相撲大会の成果はほぼ五分であろう。もっとも兵の数が少ない織田が、兵の数が多い北畠相手に五分の勝ちを得ておること自体、織田の力を物語っておるのであろうがな。


「攻めるのは構わぬが、待ち構えておるぞ」


 北畠様は攻めるべきだと強く主張する者らの意見に譲るように問うた。


「某にお任せを!」


「いや、某に!!」


 策のひとつでもあるのかと期待されたのだろう。ところが長野など物の数ではないと意気込むばかりの家臣に、北畠様は顔色を変えずに見ておられる。


 家督を継いだばかりの身で初めての戦だ。いたずらに被害が出るのも困るのであろう。待っておれば降るかもしれんのだ。


 とはいえ家臣も必死だ。新しき主に認めてもらわねば冷や飯を食わされるだけでは済まぬのかもしれんのだ。


 わしなど望月の庶流で家臣の身だった故に考えもしなかったが、家臣を束ねるとは大変なものなのだな。




Side:織田信長


 北畠方は攻めたい者が多いか。無理もないな。宰相殿はいかがする気だ?


「尾張介殿、いかが思われる?」


 攻めたいならば、一度くらい攻めてみてもよいのではと北畠方はなりつつある。そこでオレに声を掛けるか。考えてみると己の采を振るのは此度が初めてか。迷いもあって当然だな。オレとて同じなのだ。


「細い山道を攻め上がるか。無策で攻めるのは避けたいものだな」


 別に攻めるのは構わん。ただし無策で一当てしてみようという程度ならば、やめたほうがよい気がする。


「春殿、そなたはいかが思う?」


 策というと北畠方の者らが黙った。思うところがあろうが、さすがに織田相手に文句は付けられぬからか。宰相殿はそのまま無言を貫く春に問うた。


「なにがしたいのか、それによるわ。攻め落としたいのか、敵の動きと反応が見たいだけなのか」


「いきなり攻め落とすのは無理であろう。とはいえこれ以上動かぬと臆しておると思われる」


「左様、攻めてみていけるのならば落とせばよい」


 ああ、宰相殿が僅かに困った顔をした。北畠方の武辺者は春の言葉の意味をあまり理解しておらん。


「この戦、待っているだけでも勝てるのよ。敵は待てば待つほど疲弊して士気が落ちるわ。こちらも周囲を見張っているけど、兵糧を運び込む様子もない。攻めるのは構わないわ。でも相手に守ったという功を与えると、今後の抵抗が激しくなるかもしれないわよ」


 味方は長野城を包囲するほどの兵はおらぬ。さらに春の進言もあり、ひとまとまりで布陣しておるのだ。仮に何処からか兵糧を運び込むのならば、それを狙えばいいからとな。


 一気に攻めるのは北畠では骨が折れる。ならば敵の疲弊を待ち士気を落とすしかない。攻めるのはいいが、すぐに逃げ帰るようでは困るということか。


「では黙って見ておれと言われるのか? 戦って落としてこそ長野は降るのではないのか?」


 場の流れが変わりつつあるところに反発したのはひとりの男だ。


「先のことを考えているのかしら? この程度の城ひとつに無駄な被害を出すと困ることになるわよ」


「我ら北畠衆はその程度でるがぬ、してや御所様がお困りになるような仕儀しぎに致すなどありえん」


「そう、なら攻めてみるといいわ」


 宰相殿と数名の者がしまったと言いたげな顔をしておること、男は気付いておらんな。間違ってはおらぬ。一当てもせぬまま相撲を取らせて遊んでおるだけに見えると不満もあるのであろう。


 あそこまで言えば男は引けぬはずだ。


 おそらく宰相殿は春に策を問いたかったのであろう。ところが武辺者の幾許いくばくかが春の言葉に反発した。女の身で如何程のことが出来るのかと。関を降したことも周りの者が働いたおかげだとでも思うたか?


 さて、宰相殿は如何する?





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