第1006話・対陣

Side:織田軍の兵


 北畠様のところの奴らが近くの村を荒らしに行くのが見えた。あっちは変わらんなぁ。


「おい、水汲みにいくぞ」


「おう」


 この辺りは尾張の村より貧しいらしい。去年の一揆も酷かったと聞く。奪いに行ってもたいしたものはねえだろうに。一足先に行った奴らは、村から家を壊して持ち帰っていた。あっちは暖をとる薪や炭もくれねえからなぁ。


 おらたちもちょっと前までは同じだった。昔、三河の戦に行った時はよう荒らしたもんだ。


 今ではそんなことするなと命じられている。ゲルって言っていたな。白い布の家を建てて陣をつくると川まで水を汲みにいって、飯の支度だ。あと今日は蒸し風呂も入れるって聞いた。


 久遠様が尾張に来てから戦もよくなったなぁ。


「さっさと攻めて落としてしまえばいいんだがな」


「北畠様の手伝い戦だからな」


 近くの川で水を汲んで陣まで持ちかえる。すぐ近くに見える長野の城。いつもならさっさと攻めるのに今回は違うらしいと聞いて、みんなため息をもらした。


 織田様と久遠様ならすぐに落とせるんだろうが、城攻めは昔から大変だと決まっているからな。


「やることねえのか?」


「この辺りは北畠様の領地になるんだろう。そこで勝手するなんて駄目だろ」


 長対陣がないわけじゃない。一揆の時はしばらく対陣していた。おらたちは働いても黙っていても銭が貰えるからいいけど、暇ならこの辺りの田んぼでも直したくなるところだ。


「ちっ、織田の奴らか。いいよな。そっちは飯も多いしよ」


 陣から離れると村を荒らした帰りの北畠の奴らに出くわした。こちらを苦々しげに睨む奴らにおらたちも武器を手に持つ。


「余計なこと言うなよ」


 さすがに争う気はないようで引き下がったが、こっちを睨みながら陣に戻っていった。


 織田様もなんでこんな奴らと組むんだろうな。みんな戦で負かしてしまえばいいのに。




Side:北畠具教


 織田との違いは顕著だ。家臣らも顔色がようない。家臣の機転でゲルを借り受けたことで寒さはしのげるものの、それはほんのひとつに過ぎぬ。


 織田は暖を取る炭も配れば、飯もまとめて作っておる。その違いを雑兵どもが見て羨ましいのか騒ぎを起こす。尾張が如何な国か知りもせぬことで勝手なことばかり言うのだ。


 こちらは借り受けたゲルを組み立てるのも放り出して、近隣の村を荒らしに行った者も大勢おるというのに。おとなしくしておる織田の兵を見て、あまりの情けなさに荒らすのを禁じたが、徹底するわけにもいかぬ。


 北畠では織田と違い雑兵に銭など出すことは出来んのだ。


 織田は銭を出さねば賦役も戦も出来ぬと陰口があると聞くが、民とて食い扶持がなければ困るのだ。いずれが正しいのかは、わしの心中では決まっておるが、口にも出せぬな。出した言の葉をあかす力があらぬのだ、北畠にはな。荒らすなと言うならば相応の手当てがいるのは確かか。


「あら、宰相様。いかがされましたか?」


 本来ならば軍議を早々に開くべきであるが、いまひとつその気になれず久遠の陣に顔を出すと春殿がおった。


 連れておるのは側近のみということで、わしは素直に現状と悩みを打ち明けた。


「性急に変えるべきじゃないわ。雑兵に銭を払うのは駄目ね。変えるということはきちんと先を考えてする必要があるわ。この件は今後の戦のやり方と北畠家の収支も考える必要があるの。長野を降したとて北畠に大きな実入りがあるわけじゃない。現状だと仕方ないわね。今やれるとすると、織田はなぜ違うのかを家中と兵たちに教えるべきだわ」


 力の差が領地以上にある。そのようなことはわかっておったことだ。されどこうして違いを見せつけられると如何とも言えぬな。


「それともう少し前向きに考えるべきね。今川、武田、姉小路家より遥かに恵まれているわ。北畠家は今が一番つらく難しい時よ」


 わかっておる。わかっておるのだが……。


「城攻めは急ぐのかしら?」


「いや、長野もその気がないようだしな」


「なら明日あすから相撲の試合でもさせてはどうかしら? 勝者には仕官とか褒美を出せばいい。士気を維持させることと、褒美を目当てに鍛練もするわよ。仕官は銭で俸禄にすればいい。褒美はウチで安く融通するわ」


「おおっ!」


 わしの悩みに春殿は少し考えてひとつの策を考えてくれた。その策に側近が思わず声をあげた。これなのだ。久遠の者らは即座にこれだけの策を考えられる。


「太郎左衛門殿、若殿にこのことを知らせて許しをもらってきて。こちらも叶うなら一緒にやるほうがいいわ」


「はっ、ただちに」


「かたじけない」


 借りが増えていくな。ゲルも勝つためとはいえ借りであることに変わりはない。恐らく春殿らは気付いておったのであろう。織田と北畠の兵の待遇の違いとその懸念に。


「それにしても、関は余計なことしてくれたわね」


「ああ、そこまで愚かだとはな」


 話が一段落すると春殿は不機嫌そうに関のことを口にした。侮辱とはまた余計なことをしたものだ。北畠としてはあそこを譲ることでこの援軍の対価としたかったのだが、侮辱されたとなると対価にはならん。


 北畠が謀ったと思われても困る。討って当然となってしまった。対価はあとで父上と相談せねばなるまいな。


 久遠としても織田としても許すわけにはいくまい。内匠助殿はしょうがあの通りゆえ『野犬が吠えた程』にと、いずれでもよかろうが、事は家と家の体面たいめんに関わる。内匠頭殿と武衛殿が許すまいよ。


 焦った家老の失態であろうが、あまりにも大きな失態だったな。




Side:長野稙藤


「あれは如何なるものじゃ?」


 北畠と織田の陣が城の物見櫓から見える。思うた以上に兵がおるのは致し方ないが、見慣れぬ白きものが見える。


「織田の天幕かと。確かゲルと申しておったような。織田では賦役の場で使うておるところを遠目で見たことがありまする」


 丸い幾つもの天幕が並ぶ姿は異様としか思えぬ。夜はまだ寒いが、長対陣も懸念はないということか?


 織田はここしばらく城攻めも一日とかからず落としておると聞く。此度も同じかと思うたが、慎重なのか? 山城とはいえ、そこまで苦にするとは思えぬが。


「殿、一当てしてみまするか?」


「いや、野戦で勝てぬのはわかっておること。籠城して機を見るしかあるまい」


 わからぬ。わからぬが数で勝る相手に野戦を仕掛けることは避けるべきじゃの。織田が本気になれば万の兵が援軍としてきてもおかしゅうない。


「それよりも奇襲に備えよ」


「ははっ」


 噂の金色砲とやらが如何なるものなのか、ようわからぬ。雷を呼ぶという噂もあるほど。まずは城に近づけぬようにするしかあるまい。


 わしには援軍のあてもないのじゃ。向こうが武威を示して降伏を求めるまで我慢するか、最後まで争うて皆で死ぬか。諦めて退くこともあり得るとは思うが、期待はせぬほうがよい。


 城内で戦える者は千と少し。戦えぬ者のほうが多い。これまでも北畠とは戦をしたのじゃ。此度も同じと考える者が城内にも多かろう。田仕事を始めねばならぬ時まで持たぬであろう。籠城すればと近隣の者も集まってきたが、種籾はおろか一切いっさいが残らぬであろうからの。


 如何になるのやら。




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