第1007話・対陣の夜

Side:北畠の兵


 そろそろ日が西に傾く頃、風に乗って織田の陣からいい匂いがしてくる。向こうは今日も飯を炊いて味噌汁と焼き魚まであるんだろうか?


 近隣の村を探したが、とくに欲しいものはなかった。暖を取るための木材が手に入ったのはよかったが、それだって限りがある。


 こっちで支給されたのは籾殻のついている米と僅かな味噌だ。それだって大層な振る舞いなんだろうが、あっちでは支度した椀飯を食わせてくれる。その違いが面白うない。


「どぶろくにしちまおうぜ」


「バレたら叱られるぞ」


「構わねえって。戦の前だ」


 米から籾殻を取っていると、近くの男らが飯を食わねえでどぶろくを作り始めた。長対陣になりそうだしな。酒なんてこんな時でもなきゃ飲めるもんじゃねえからな。


 その向こうでは籾殻を取った米をそのまま食べてやがる。面倒だってのと腹に入れば同じだって言ってな。


 干飯も芋がらもここに来る途中で食っちまったんだ。


 幸いなことに山菜はある。みんなで採るんであまりいいもんがねえが、ないよりマシだ。おらは米と山菜を味噌で煮ていく。


「あっちは楽しそうだな」


 織田は毎日ではないが、酒も飲ませてくれるらしい。大人数で笑う声が聞こえた。こっちは隙を見せるとなにをされるか分からねえってのによ。同じ村の奴らはいい。たいていは同じ村の奴らと固まっているからな。


 他の村の奴らなんてみんな敵だ。ひとりになると殺されても文句は言えねえ。死人に口なし。よくある話だ。


 そろそろいいか。いい匂いがしてきた。


 ああ、うめえ。米の飯なんて祝いの日か、戦に来ねえと食えねえからな。周りは同じ村の奴らだしいきなり襲われはしねえが、さっさと食っちまうのが一番だ。


 村にいるおっ母と子らはちゃんと食っているだろうか。銭になるものを持ち帰れれば、うめえもの食わせてやれるんだけどな。先に行った奴らも種籾すら村にはなかったと言ってた。


 嘘か真か知らんけどな。


 食ったら寝ちまおう。織田から借りた白い家の中なら夜露もしのげる。向こうの楽しげな声を聞くと腹が立つからな。




Side:北畠家家臣


「これほど違うとはな。織田は医師や薬師を将とした兵がおる。飯を作る役目の兵もだ」


「鉄砲、弓、焙烙玉、そして金色砲か? 恐ろしい数の武器がある。織田だけでも落とせるのではないのか?」


 銭にものを言わせておる愚か者。久遠が南蛮の商人の出ということもあろうが、織田は銭で驕っておると北畠家中でも陰口があった。


 無論、御所様のお耳には入らぬのであろうがな。


 否定はせぬ。とはいえ……。


「これではいずれが蛮族かわからぬではないか」


 陰口を叩き笑うておられなくなったのは、織田の兵が勝手なことなどせずに働くからか。陣を築くのもゲルという野営の天幕を張るのも向こうは速い。


 今夜など蒸し風呂まで用意して雑兵らに入らせておると聞くほど。そのために皆がよう働いたのだ。


 このゲルというものも居心地がいい。寒いのかと思うたが、下手なところの寺社にぼうを借りるより暖かいほどだ。


「明日からは兵どもに相撲をさせるそうだ。褒美もある」


 御所様は未だ軍議を開かれぬ。見張りの者は置かれておるが、攻める気もなく軍議は明日以降にすると仰せだ。


「ほう、面白きことをする。とはいえ近隣には奪うものももうあるまい。あとは濁り酒を造って飲むか賭け事をするか。ろくなことをせぬからな。いいかもしれん」


「久遠殿の奥方の策だとか」


「油断ならぬという噂はまことか。先に武功を挙げて余裕なのか知らぬがな」


 織田の兵とこちらの兵が揉めたという話が幾つか聞かれた。恐らくわしらの耳に入らぬ話を含めると相当な揉め事があったはずだ。


 御所様が刃傷沙汰は死罪とすると厳命しておるので、大きな騒ぎにはなっておらぬがな。


 敵に回せぬな。織田の風下に立つなど御免だという者は未だに多い。されど勝てぬ相手に意地を張れば、先に待つのは己の死か一族の滅亡か。


 御所様のお考えもわかる。織田は銭を上手く使うことに長けておるのであろう。こちらを立てることも忘れておらん。よほどの愚か者以外は上手く付き合って当然。


「申し上げます。織田方より風呂の誘いが来ております」


「風呂か。それはいいの」


「せっかくの誘い、断るわけにもいかぬ」


 少し重い場が変わったのは、伝令の兵が風呂の誘いを告げたからであろう。織田が面白うないと顔をしかめておった者も、断れぬと言うとそそくさと支度をするために己の陣に戻った。


 やはり織田のほうが一枚も二枚も上手だな。こちらの不満などお見通しなのであろう。




Side:織田信長


「あれが他家の軍か」


 北畠と合流して初めて他家の軍を見たな。初陣を思い出すわ。勝手ばかりする雑兵。あれが戦だったのだ。少し前までな。


 今宵は主立った者を集めて細やかな酒宴を開いた。宰相殿が軍議を開かぬのでこちらだけでも少し話をしておく必要がある。


「北畠はまだ大人しゅうございますな。抜け駆けなどようあること」


 オレの言いたいことを察した佐久間大学が、少し懐かしむように以前の戦を語り出す。そういえば、ここに来るまでも北畠の軍勢は抜け駆けなどせずに命には従っておったな。


「とはいえ北畠だけでは勝てるか難しいところですな」


「左様、春殿が関を降して北方の城を押さえたことがなければ、いかがなっておったのやら」


 今まで戦をした相手と比べると北畠は強かろう。皆の意見がそれで一致した。されど長野を此度の戦で降すのは難しいというのが現状か。


 手伝い戦ということで少し気乗りせぬ者もおるようだな。


「春、ひと月は籠城されるか?」


「放っておけばね。でも長くても半月ほどで落とせると思うわ。懸念はむしろ北畠の兵とのいさかいかしら」


「それで相撲を取らせるか」


 さっさと落とせばいいと言えるほど楽な城攻めではない。とはいえ先に亀山城を落とした春の意見を聞くと周囲の皆が納得の顔をした。


 これが織田の戦ならば違ったのであろうが、北畠では多少無理攻めでもしなくては落ちぬのであろう。こちらがやり過ぎぬ範囲で手を貸して半月か。


「では名門北畠家の戦、我らはお手並み拝見といきますかな」


 大学にとってはあまり面白うない戦なのかもしれん。そう言うと盃に残っておる酒を飲んだ。


 やり過ぎては北畠家の不興を買う。確かに相撲でも取らせてのんびりと構えておるほうがよいのかもしれぬな。


 海沿いと北方の城はこちらで押さえたのだ。これ以上の武功は要らぬ。南伊勢の先には大和と紀伊があるからな。北畠には頑張ってもらわねばならぬ。





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