第1004話・北畠織田合流
Side:長野稙藤
「申し上げます! 亀山城、落城したとのことでございます!」
籠城の支度が進む中で入った知らせに家臣らは戸惑うておる。いや、わしもか。勝ち戦を目前に織田と北畠が争い始めたのか?
亀山城の関は北畠に臣従をしたはず。それを織田が落としたとなると、織田が北畠を裏切ったのか? そのようなことがあり得るか? 織田になんの利がある。
すぐに詳細を探るように命じた。
「殿、織田と北畠がかような争いをするとは思えませぬ」
「わかっておる」
織田と北畠が争うのならば長野にも生きる道が開けるやもしれん。されど家臣らはそのような甘い見通しをもっておらぬ。北畠が関を織田にくれてやったと見ることも出来るのだ。
北畠と関はあまり上手くいっておらぬと噂もあったからの。
「申し上げます! 織田方、安濃津より上陸しております。北畠の動きに変わりなし!」
知らせはすぐに届いた。やはり織田と北畠が争うことはないと見るべきじゃの。海沿いは駄目か。兵も船も数が違い過ぎる。
ひと月でいいのじゃ。関は一晩と持たず落城したと聞く。亀山城と我が城は違うが、僅かでも籠城出来れば面目も立つ。野戦では痛み分けと言えなくもないのじゃからの。
一族の者や家臣には降伏も認めた。此度の戦は退き際がすべてなのじゃ。双方いずれかに退けぬほどの被害が出れば長野家は終わる。
世の流れなのであろう。わしが生まれるよりも古くから、伊勢は統一されたことがないと聞く。それがすでに北伊勢は六角と織田によって独立した国人はおらなくなった。
せめて北畠より先に織田と誼を結べておれば違うたのかもしれんがな。
Side:北畠具教
「亀山城を一日も籠城させず落とすとは。噂通りということでございますな」
長野領内に攻め入り届いた知らせは亀山城が落ちたというものだった。関など織田の敵ではないと誰もがわかっておったことだが、それでもこれほど早いことには驚かされる。
わしは長野城を目指すが、途中の城も無視出来るものではない。幸いなのは
願わくはすべての城を降したいが、北畠には無理なことだ。関ヶ原の戦を見たからわかる。織田のように金色砲もなければ、鉄砲すら少数しかない。先の野戦とて、わしの心中では勝ったとは言えぬものだ。
勝てぬことを理解しておる長野に武勇を示す機を与えただけなのだからな。それでもわしは兵共の前では『まずは先勝よ』と言わねばならぬ。将とは左様なものと心得てはおる。
そのまま長野領の各城に備えの兵を残して、わしの本隊は一路長野城へと向かう。領内に攻め入り五日ほどした頃には、織田の軍勢と合流した。
「御所様……、あれは?」
「ゲルと言うたか。織田が野営に用いる天幕よ」
一足先に着いて野営の支度を終えておる織田勢に、家臣らは如何とも言えぬ顔をしておる。ゲルという布の家。それが幾つも並ぶ光景は見たことがない者には驚きなのであろう。
「織田の者は大人しゅうございますな」
こちらの軍勢など、すぐさま近隣の村を荒らしに行った者が多かろう。ところが織田はそのようなことを許しておらん。皆で野営と飯の支度をすると大人しゅうしておるからな。
信じられぬと言いたげな家臣に、家中も関と同じで世の流れを知らぬ者が多いのだとため息が出そうになる。
「尾張介殿、援軍かたじけない」
身分はわしが上であるが、援軍としてきてくれたこともあって、こちらから織田の陣を訪ねた。それに家臣らに織田の陣と兵を見せたいという考えもある。
尾張介殿のゲルの中は暖かかった。連れてきた家臣らは暖かさに驚き、中の造りを興味深げに見ておるな。中にあるものも変わっておるな。床几のような座るものなれど背もたれがあるが、鎧の
「野戦での勝利おめでとうございます」
「負けてもおらぬが、勝ったとは言えぬ。戦とは難しいものよな。織田のようにはいかぬ」
「それはこちらも同じ。勝っておるのは久遠家の功だ。オレではない。まだまだ学ぶべきことが多くて難儀しておるわ」
肝心の尾張介殿だが、連戦連勝の織田の嫡男とは思えぬ様子だ。いささか緊張しておるか? 謙虚とも言えるが、己の物足りなさを他家の者に話せる。なかなか出来ることではない。いかにわしと親しいと言えどもな。この場には北畠家の家臣もおるのだ。
かつては大うつけと呼ばれておったと聞くが、そのような者には思えんな。
「宰相様、お久しぶりでございます」
「おお、春殿と夏殿。二日とかからず関家を降してしまったな。見事。おかげでわしも己の不甲斐なさを思い知らされておるわ」
しばし尾張介殿と話しておると久遠家の春殿と夏殿が参った。家臣らが驚いたのがわかる。小娘というほどではないが、若い女だからな。驚きであろう。
「戦を待ち構えていた長野と、長野を攻めるつもりだった関では違うわ。それに動員出来る兵も倍以上は違うはず。更に山城だという長野は一筋縄ではいかないわね」
多少の世辞もあるが本心でもある。勝てると思う戦とて楽な戦はあるまい。それを含めても相変わらず内匠助の奥方はよくものが見えておるわ。
わしの家臣にもこのくらいの者がもう少しおればな。
Side:北畠家家臣
見たところ髪の色が違う以外はそこらの女と変わらぬと思うが。関を二日と掛からず降してしまうとは。
そもそも久遠では内匠助殿の奥方の名が知れておるが、忠義の八郎と今弁慶の慶次郎を筆頭に家臣も名を
如何にしてそれほどの者を揃えたのか聞いてみたいものだ。
それにしても、このゲルというものは凄い。すきま風の入る寺に泊まるよりいいのではないか? 己らでこうして雨風をしのげるものを用意出来るならば、陣を張るところも選べる。敵地において信じてよいかわからぬところに世話になるよりはよほどいい。
金色砲や南蛮船を恐ろしいと聞くが、このゲルというものも十分恐ろしい。御所様が織田との争いを避ける理由がよくわかるわ。
「尾張介様、このゲルというものは売っておるのでございまするか?」
さすがに織田のように雑兵にまで使わせることは無理でも、御所様と我らが使う分くらいは買えぬかと思い、御所様との話も終わりひとまず戻る前に恥を忍んで問うてみた。
「ゲルか。これは久遠家が用意したもの。春、いかがなのだ?」
「お売りするかどうかは、当家の主に聞いてみないことにはなんとも。ただ必要であればこの戦の間にお貸しする事位ならば構いません。予備ならばすぐに、あとは蟹江から運びます」
御所様にはこのような場で、ものを売ってほしいと言うなど恥を知れとお叱りを受けるかと思うたが、そうではないらしく面白げに見ておられた。
「おお、それがよいな。北畠の兵も籠城相手に幾日も外で野営は辛かろう。足りぬ分はすぐに取り寄せよう」
久遠家の春殿と尾張介様はこちらに貸してくれるとあっさりと言われた。
「すまぬな」
思わぬことにわしも驚いておると、なんと御所様が尾張介様と春殿に頭を下げた。
そのあまりの出来事に、わしを含めた北畠家の者らが驚いたようで固まっておる。身分のある北畠家の当主が、家臣のおる前で身分の低き他家の者に頭をさげるとはあり得ぬこと。
「すべては戦に勝つため。私たちとて負ければ帰れません」
尾張介様は黙って見ておられたが、代わりに春殿は少し笑みを浮かべた顔つきで答えた。貸しでも施しでもない。勝つため。そう言うておけば御所様の面目が立つ。
ああ、久遠家の者が立身出世したことがよくわかるというもの。日ノ本の外の生まれだというのに、こちらの面目まで理解しておるのだからな。
学ぶべきことが多い。御所様のおっしゃる通りだ。この戦で我らは織田から如何程まで学べるのであろうな。
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