第985話・北伊勢の細々としたこと

Side:久遠一馬


 二月に入った。宇宙要塞の中央指令室から興味深い報告があった。


 細川晴元が北伊勢の国人衆の者たちに襲撃されたという。随分と怨んでいたというのは忍び衆の報告でもあった。彼らは若狭で村を殲滅して乗っ取り、機会を待っていたみたい。


 元の世界の価値観だと非道に思えるが、この時代には人権もなければ命を尊ぶような思想もほぼない。敵国の領地、もっと言えば自領以外だと何をやってもいいと考えるのが普通になる。


 京の都でさえ上洛した軍は漏れなく略奪に励むという時代だ。


 きっかけは若狭武田家の内部争い。まあこれも普通なんだよね。この時代では。迂闊だったと騙されるほうが悪いとなる。晴元も伊勢の牢人も邪魔というのが本音だろう。わからなくもない。


 肝心の晴元は助かったが、もともと臆病な性格だったこともあり臆病さと疑心暗鬼が酷くなっているとか。


 結局北伊勢の国人たちは全員討ち取られた。これは当然と言える。勝手に守護の館に襲撃して許されるはずがない。彼らには彼らの言い分があるのだろうが、それとこれは別の話。


 若狭武田家にはなんの関わりもない。賊は始末して当然。この時代の武士の基本的な法律である御成敗式目にも書いていることだ。


 なんというか、戦国時代の価値観で忠臣蔵をやるとこんな形になるのではと思う結果だ。本家は元禄時代。戦乱の記憶も薄れ、ようやく命の尊さを理解し始めた時代だ。


 そもそもこの時代だと駄目な主君に尽くすというのは別に褒められることではない。駄目な主君は変えてしまえと考える時代だ。


 史実の織田豊臣時代にはころころと主を変える武士も多いが、特に悪いこととされることもなく有能な武士は引く手数多だったとも言える。


「これも厄介なことでございますな」


 しばし若狭のことを考えていると資清さんが渋い顔をしている。北伊勢の一向宗高田派のことだ。


 このあたりの高田派をまとめている無量寿院との交渉が決裂したので個別に交渉を始めたんだが、その無量寿院から抗議の使者が来た。まあ抗議というよりは嘆願に来たという感じではあったが、各地の寺に手を出さないでほしいというもの。


 末端の寺の反応は様々だ。真剣に話を聞いて検討してくれるところもあれば、無量寿院に知らせたところもあるんだろう。願証寺の末寺は一揆の際に織田と協力したのでまだ違うが、高田派の寺はそれも出来なかったからなぁ。


 しかし逆に高田派の末寺から助けてほしいという嘆願も来ているところがある。それぞれの立場や思惑も相まって結構面倒なことになっているんだよね。


 ちなみに願証寺は高田派のことには関わってない。関わらせるとまとまる話もまとまらなくなるし。仲悪いみたいだからさ。


「無視するしかないだろうね。どのみち今まで通りでいいという寺はそのままにするんだし」


 北伊勢の領内の寺社にはこの件とは別に織田の統治について説明に行っている。織田の賦役に参加して医師の診察を受けたり、食べ物が不足する時に織田家が支援するには、織田の法に従う必要があることは説明が必要なんだ。


 三河でもあったことだが、当たり前のようにそれらの行政サービスを受けられると思っている寺が結構ある。


 それと今までは寺社に人が集まって市を開いて商いが行われるが、織田領ではその形態はなくなりつつある。織田が管理する町で市を開くからね。別に寺社の市には規制をかけていないが、人の集まりは悪くなっていると思う。


 その分、織田領の寺社は旅籠の代わりをしていたり、紙芝居や寺子屋で人を集めているが。


「失礼します。桑名の牢人。背後に一部の商人がおりました」


 デリケートな問題で悩んでいるとセレスが報告に来た。先日行った桑名の件だ。すずが調査を指示していたことだな。


「大殿に上申する案件だな」


「すでに報告済みです。捕らえて詮議のうえ、厳しき沙汰を下すようにとの命を受けました」


 自分たちの思い通りにいかないことに不満がある商人もいるか。牢人を使って適度に暴れさせて、自分たちが仲介して治めることで存在感を示して、一定の自治を引き続き得たいと考えている商人が多くはないがいるらしい。


 実はこの手の謀は尾張でも珍しくない。織田に逆らう気もないから余計に厄介とも言える。マッチポンプ禁止も分国法に必要なんだろうか?


 明確な法律の整った法治社会である元の世界と違い、織田分国法もまだまだザル法だ。それにいつの時代も同じだが、人は法の抜け穴を探す。信秀さんに認めてもらうためにあの手この手でアピールするのは割とあることだ。


 当然グレーゾーンなやり方も珍しくない。法を守る従順な人よりも上手くやった人が褒められるというか評価される時代でもあることも原因だろうが。


 まあ織田の場合は警備兵が育っているから、こうして発覚するんだが。


「あとは現地にお任せでいいだろう。正直、桑名の商人ってあんまりたいした人いないんだよね」


 かつてはこの辺り一帯の中核都市だったが、まともな商人は湊屋さんが引き抜いたり自発的に尾張に越してきたりしたし、反織田の商人は消えている。結果として残った商人が現在の桑名商人になる。


 早い話が経験不足な人たちなんだよね。


 本気で逆らう気がないなら、もう少し大人しくしていてくれるとある程度任せることも出来るんだけど。自治とまではいかないが、商人の組合のような形で残して町の運営にも参加してほしいところなんだよね。


「せー!」


「これは若様、いかがされましたか?」


 いろいろ問題があるなと改めて考えていると、吉法師君がやってきた。今日も遊びに来ていたのか。セレスの姿に嬉しそうに駆け寄っている。


「稽古が見たいのではありませぬか? 先日喜んでおりましたからな」


「ああ、なるほど」


 セレスの着物を掴んで、なにかを訴えるように求める吉法師君にセレスもすぐにわからなかったようだが、資清さんが気付いた。


 先日、セレスが家中のみんなに稽古をつけているところを楽しげに見ていたんだよね。まだ武芸を始める歳でもないし、偶然見学しただけだったが。


「では参りましょうか」


 現在、ジュリアが妊娠した影響で一部の稽古をセレスが代わりに付けている。もっとも石舟斎さんとかもいるので、さほど多くはないらしいが。


 警備奉行のほうも今年の春の新体制で文官が増えたので余裕が出来たと言っていた。これは土田御前の意見があったからだという。セレスに限らずウチの奥さんは優秀なんで仕事を任されているが、あまり任せ過ぎた結果、子作りに影響があったのではないのかと考えたらしい。


 信秀さんも気になったのか、セレスやケティには文官を多めに付けられた。


 吉法師君、セレスと手を繋いで楽しげに行ってしまった。武芸が好きなのは信長さんに似たのかな? まあ絵本とかお絵かきとかいろいろ好きなんだけどね。信長さん、吉法師君には幅広い教育をしているから。


 さて、オレは仕事の続きをするかな。




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