第984話・若狭討ち入り

Side:元北伊勢の国人


 雪がちらついてきた。すでに夜も更けておる。


 まっさらな雪の上を一歩一歩踏みしめてゆく。ああ、この雪を見るたびに故郷を思い出す。冬でも雪など積もらずによい土地であった。祖先に感謝せねばなるまい。あのような恵まれた地を守り抜いたことを。


 それをまさか一揆で失うとは、一番愚かなのがわしであることは承知のこと。すべては弱い己の不徳なのであろう。弱い者は弱い者なりに生きねばならぬ。されど、わしには織田の傲慢なやり方が我慢ならなかった。


 つまらぬ意地など捨てられれば、それ相応の身分で生き残れたのであろう。倅らと弟は織田に仕えろと伊勢に残した。屈辱を味わっておるかもしれぬが、生き抜いて家を残せと命じてな。


 誰も言葉がない。十中八九罠だ。仮に罠でなくとも細川晴元を討てば、罪人として我らが討たれるのは明白。武田家にとっては邪魔な晴元と我らの双方が消えると一挙両得というところか。


 しくじっても晴元を追い出す理由になるやもしれぬ。晴元のほうも危ういと逃げ出すこともありうる。むしろこちらが狙いか?


 鎧兜でもあればまだよかったのであろうが、あいにくとそのような銭はない。武田家家臣を名乗る者から僅かばかりの銭を渡されたが、最後の盃として皆で酒を飲んだら終わりだ。


 細川晴元は守護の館の離れにおるという。ただし毎夜の如く寝所を変えると聞き及んだ。家臣も信じられぬ男が管領を務めておるのかと信じられぬ思いだ。公方様にも見捨てられるわけだ。


 側近すら信じぬ男を誰が使いたいと思うものか。北伊勢の一揆はそんな公方様と六角への嫌がらせなのであったのだろうな。この話を聞いた時、妙に皆で納得がいった。




 ああ、守護の館だ。とうとうここまで来てしまったな。目当ての離れに通じる門へと急ぐ。さすがに寝ずの番の兵がおろう。


 ひとりの仲間が門に手を掛けた。開ければあとは一気に踏み込んで晴元を討つのみ。開かねば忍び込んで開けねばならぬが……。


 鈍い音と共にまことに開いた。


 気の短い男は先陣を切る如く中に駆けこんだ。これが戦場ならば如何程よかったかと思うてしまう。次から次へと駆けていく仲間にわしも続く。


 待ち受けておる兵がおることも考えたがおらぬ。まことに武田家の謀であったのか? まあそのようなことはもう如何様でもよい。


「くせ者だ!!」


 館の離れに先陣を切った男が入ると、廊下におる寝ずの番に見つかった。


「我らは北勢四十八家の者! 天下の逆賊細川晴元めはどこだ!!」


 先陣を切るだけはある。男は声高に叫びつつ、持っていた刀で寝ずの番を一刀両断にした。


「くせ者だ! であえ! であえ!」


 風の吹く音以外は物音ひとつしない夜更けだ。すぐに次から次へと寝ずの番が現れるが先陣を切る男はむしろ寝ずの番のほうへと進んで駆けていき斬り捨てておる。


 晴元の寝所のほうに寝ずの番が多いと考えたか? なにも考えておらぬだけの気もするな。


「如何した?」


「そなた臆病な者が如何様に逃げると思う?」


 わしも続いたが、四十八人の仲間がすべて押し入ったところで四方から敵が起きてくる。このままでは晴元の寝所を探す前に殺されてしまう。


 ふと思うた。これを晴元が策でないとするとあの男はいずこに逃げるのであろうとな。


「武田だ。武田の館のほうへ行くぞ。臆病者は己で戦おうなど考えぬ」


 外は危うい。晴元にはこちらが如何程いるかわからぬのだ。とするとより警護の多い武田の館に逃げるはず。罠ならばいずれにせよ終わりだ。


 近くにおる者らと共に出てくる敵を斬りつつ武田の館の方角へと急ぐ。大人しく隠れておるはずはない。己の側近すら信じぬ男だからな。


 ひとりまたひとりと仲間が斬られる。されど斬られた者が残りの仲間を進ませるために息絶えるその時まで暴れた。


「いたぞ! あの男だ!!」


 隣にいた男が叫んだ。ああ、晴元だ。幾人かの者に守られながら武田の館に逃げていこうとしておる。


「晴元がいたぞ!!」


 皆、一心不乱に晴元に駆けていく。己だけは生かしておかぬ。


 その一心でだ。


 くっ……、あと一歩。あと一歩で。腹が焼けるように熱い。槍で突かれたか。晴元の顔をせめてと睨むが、死を間近にして気でも狂うたのであろうか。晴元の背後におる小物の顔がやけに気になった。


 あの時だ。年始ということで謁見を許された時に見えた御簾の向こうにおった晴元の背格好と重なりて見えた。


 まさか……。


「おのれだぁぁ!!」


 意識が遠くなる中、背後におる男めがけて脇差しを投げた。


 せめて……、せめて一太刀……。


 おのれだけは……。




Side:武田家家臣


「ひぃぃ!」


 ひとりの男が死に際に投げた脇差しが晴元めの顔をかすめた。


「御屋形様!!」


 ふん、側近に己の着物を着させて、己は側近の着物を着て逃げるだけの知恵はあったか。かすめた脇差しに腰を抜かしたように倒れ込むと這うように逃げ出し家臣らが慌てて守っておるわ。


 上々の出来だな。あのような管領でもこの場で死なれると困る。若狭が己にとって安住の地でないと知り出ていってくれればよいのだ。


 すぐにあちこちから兵が集まる。直に賊どもは討ち取られるな。


「ご下命通りに致しました。某を召し抱えていただく件……」


 さてそろそろ助けに行くかと思うておると、内通させておった小者が忍んで参った。


「ああ、わかっておる」


 控えた小者にわしは刀を抜くと一太刀で斬り捨てる。


「なっ……」


「ようやった。褒めて遣わす」


 ふん、証人になるような男を生かしておくと思うたのか? 愚かな男だ。晴元の生死を問わず、己らは領内を荒らす不逞の輩として、始末する手筈なのだ。


 晴元も伊勢の牢人も要らぬ。


「管領様、ここはあやううございます。さあ、参りましょう」


 そのままわしは途中におった賊を斬り捨て、晴元を連れて殿の館へと案内する。されどこの男、家臣に背負われておる。まさか腰を抜かしておるのか?


 このような小物が天下の管領とは。世も末ということか。


 己のせいで武田家は公方様にも睨まれておるのやもしれんのだ。さっさと丹波にでも帰ればいいものを。


 まあ、よい。あとは管領が腰を抜かしておったと噂を流して恥を掻かせて、若狭におっても危ういと思わせればよいのだ。


 臆病者のことだ。勝手に怯えるであろうがな。


 天下の政は天下でやればよいのだ。若狭を巻き込む者は許さぬ。決してな。




◆◆


 天文二十二年、閏一月二十六日。若狭守護武田家の館の離れに滞在中の管領細川晴元が襲撃された。


 犯人は北伊勢の国人衆たちで、この前年にあった北伊勢の一揆における晴元の行動に対しての恨みと思われる。


 事の仔細は残念ながら不明で、当時の書状や織田家に残る報告書により幾つかの事実が判明している程度である。


 織田家ではこれを『武田館、討ち入り』と記載しており、一部推測と噂を交えた報告書になっている。


 それによると武田家内部は将軍足利義藤派と管領細川晴元派に分かれていたようで、この件は義藤派の者たちが背後で関与していたとされる。


 その日は一晩中雪が降り続く中での討ち入りだったようで、晴元の滞在していた離れと庭は牢人たちと武田家の兵の血で真っ赤に染まっていたという逸話が若狭に残っている。


 晴元は己の着物と近習の着物を入れ替えて逃げる念の入れようであったが、牢人のひとりに見破られて死の間際に脇差しを投げつけられると腰を抜かしたとある。


 この一件は若狭武田家も隠そうという意図がなかったようで、晴元は臆病者と若狭でも笑われたという。ただ襲撃自体は失敗しており、四十八人の牢人は全員討ち取られて終わった。


 後に細川晴元の非道な行いの数々が明らかになると、彼らに対する同情も相まって彼らを美化したものが歌舞伎の演目として人気を博す。


 もっとも織田家の報告書によると、彼らのほとんどは賊紛いのことをしていたりと決して褒められた者たちではなかったとの事実もあることから、近年はあまり演じられなくなっている。





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