第983話・厳冬の最中に

Side:元伊勢の国人


「達者で暮らせよ」


 暦はもうすぐ二月になろうとしておる。共に伊勢からここ若狭まで来た者らもひとりまたひとりと減り、今もまた親類を頼ると別れを告げた者を送り出した。


 食うに食えず賊となった者、そして討たれた者や、伊勢に戻り帰農すると帰った者もおる。ここ若狭で出家した者や新たな仕官先を見つけた者もおったな。


 管領が許せぬ、斯波と織田が許せぬ。六角も北畠も許せぬと、怒りと恨みばかり募らせた者だけが今も残っておる。


 誰が如何なることを謀りて、我らをこのような苦境に陥れたのか知らぬ。管領と三雲が謀をしたことだけは確かだがな。


 されどもう事の真偽など如何様でもよいのだ。我らを軽んじた管領細川晴元を討つ。それだけで残る我らは一致結束しておる。


「信じてよいものか」


「もはや如何様でもよい。偽りならば最後まで暴れて一矢報いるまで」


 我らは細川晴元が滞在する、若狭の守護である武田家の館から離れた山中に身を潜めておる。元は村があったところだ。村人は我らが始末したのだがな。


 我らは牢人として、日々の糧を手に入れるためと称してあちこちに出向き、細川晴元の様子を探っておると武田の家臣から思わぬことを命じられたという。


『明日の夜、管領殿がおられる館の離れに通じる門を開けておくゆえに細川晴元を討て』というものだ。いかにも怪しいが、それなりに理由もあるという。


 武田家にとっても晴元は邪魔だと言うのだ。公方様に疎まれた晴元のせいで、三好が攻めてくるやもしれぬというのが理由だと話しておったらしい。武田家としては公方様に弓引くなどという考えはなく、迷惑なのだとか。


 そのまま信じるのは危うい話だ。されど我らにはもう待てぬ者も多い。


「いいだろう。イチかバチかやってみようではないか。油と火矢を用いて嘘偽りである時は館に火を放てばよい。いずれにせよ、これ以上、人が減れば一矢報いることも難しくなる」


 小者を合わせても四十八人しかおらぬ。降り続く雪とこの寒さに嫌気がさして逃げ出した者も多いのだ。さらに晴元は館の外に出ることはない。そろそろ引き際なのは確かなのだ。


 晴元めを討って我らの意地を天下に示してくれようぞ。




Side:望月信雅


 城を出て幾日になるか。老いも若きも男も女も皆で尾張を目指す。この寒空の下、雪が降る中での旅は辛いものがある。尾張の出雲守殿が支度金だと銭をくれたのでなんとかなっておるが、あれがなければ旅など無理だった。


 信濃の一族からは臆病者、裏切り者と謗られ、絶縁するとわざわざ書状を寄越した者もおった。無論、家臣の中には残りたいと申す者もおった。その者らには好きにしろと命じて、わしは共に参る者らといち早く城を出た。


 最後に聞いた話では、甲斐の御屋形様は望月一族に新たな惣領を決めるように命じられたとか。ただし忠義を誓う誓紙と新たな人質も出すように命じられたと騒ぎになっておる。


 今川の謀があることをご存じなのだろう。とはいえ御自身は誓紙を破ることもあるというのに、臣下には求める。武田家に限らず武士とは勝手なものなのかもしれぬと改めて思う。


「これほどの良銭をくれるとは。尾張はやはり違うの」


 道中は寺に泊まることが多い。謝礼を払えばどこも嫌な顔など致さぬ。武具など持てる荷はもってきたが、銭もまた助かるが荷物になる。父上は形の揃った良銭を見て改めて如何ともいえぬ顔をされた。


「久遠様の許しは得ております。暮らしは楽になるようにするともおっしゃっていただきました」


 尾張望月家では下男に至るまで皆が腹いっぱい飯を食えるという。それどころか酒や菓子もくださる時があるのだとか。父上らにそれを教えても半信半疑なようであった。


 わしも実際に見るまでは信じられなかった。特に祝いの日でもないというのに、久遠様から皆で分けるようにと頂いた酒を分ける姿を見たのだからな。


「過ぎたるものを求めてはならん。惣領などになって良かったことなどひとつもない。尾張望月家の下で慎ましく暮らせるのならばそれでよい」


 惣領という地位と武田家直臣という立場に父上も最初は喜んでおられたが、実情は決してよいものではなくむしろ厳しきことが多かった。一族の者も形の上では惣領と認めても誰も本心から認めず従わぬ。


 武田家に至っては属領ということで、いかに税を搾り取るかしか考えておらぬ時があった。武田家が信濃に心配りをするようになったのは今川が動いてからだ。


 この先も今川との争いの行方次第では見捨てることもありうる。父上はむしろ此度のことでホッとしておるようであるな。




Side:梅戸高実うめどたかざね


「さすがは六角家。こうも先のことを見通しておったとは」


 北勢四十八家も今は昔ということか。神戸など北畠方の国人が、何故か知らぬが織田に臣従をした。これで北伊勢は六角家に従う者以外は織田の手に落ちたと言える。


 仔細はよくわからぬが織田と北畠の間では話が付いておるようで、この件で争うことがない様子。わけがわからぬ。それがわしらの本音だ。もっとも観音寺城に仔細を送ると、驚きはないようで戦はないので領内の復興を急がせろと指示があった。


 六角家が動かねば我らも織田に食われておったのであろうな。向こうは民を三河に送り働かせており、北伊勢の復興は織田の兵が行っておる。何故そのようなことをしておるのか理解出来ぬが、とにかく動きが早い。


 こちらは一揆を起こした罪人どもがバタバタと倒れておるが、それでやっと織田に後れをとらぬように復興を出来ておるのだ。


 同じ伊勢では関も長野も苦しい様子。北畠だけは織田との商いが盛況なようで余力があるようだがな。


 誰が謀り、誰がそれを利用したのか知らぬが、結局一番得をしたのは織田か。小うるさい国人や土豪を一揆勢が追い出し、その一揆勢を追い立てることで易々と勝手出来る領地を得た。


 もっとも北伊勢の国人衆は織田に民を貸し出すことで長いこと利を得ていた。あのままでいても遠からず北伊勢の国人らは織田に臣従をしていたとも思える。織田とすればそれでもよかったはず。一揆を謀ったとみるのは少し早計であろう。


 一揆を起こした愚かな民ですら逃げ出すほどの力の差があったのだからな。国人がいかに考えようとも流れは変わらなかったはずだ。


「織田は六角の更に上をいくか」


 北伊勢の国人らで争うておった頃が懐かしく思える。今後北伊勢は織田と六角が対峙する場となるのだ。今のところ両家に争う気がないのでよいが、一旦争えば我が梅戸家は双方の争いの最前線となってしまう。


 六角家を裏切るなどあり得ぬが、誼くらいは通じておくべきか。幸い六角家も織田と誼を通じておる。


 挨拶の品を贈るくらいはしてもよかろう。野分の時には知らせる使者を寄越してくれたこともあるのだ。名分はある。



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