第975話・学ぶ具教さん

Side:久遠一馬


 新しい年も一か月を過ぎていろいろと動いている。五百文・一貫・五貫・十貫の四種類の新しい織田手形は好評だ。軽くて持ち運べるし、なにより保管が楽だ。


 自分の身は自分で守る時代。資産も自分で守る必要があるが、これならばちょっとした隙間に隠せる。蔵に後生大事に銭を貯める必要もない。


 大湊との取り引きでは、この織田手形による支払いがほとんどだと報告があるほどだ。海路の場合、少しでも船に積む荷物を増やせると利益が増えるからね。


 銭を貯めこまないと経済が活性化する。いい傾向だと思う。もっともその効果を知るのはほんの一握りの人しかいないけど。


 あとの銀行業務はまだ様子見といったところだ。ただしウチの家臣の意見では直に流行ると言う。


 織田家では俸禄も定着してきたが、意外に困るのが銭の保管場所だという。屋敷の防備があって蔵がある家はいい。特にウチの家臣だと元の身分があまり高くないことや、甲賀からの移住組も多い。家屋敷は身分に合わせて大きくなるので、家に蔵がない人が結構多い。


 結局、ウチや滝川家や望月家で銭を預かることをだいぶ前からしている。蔵を建てられればいいが、商いが恐ろしい勢いで伸びている尾張では蔵が一番不足している。


 織田家の家臣。まあもともと領地がある人がほとんどなので本領の城や屋敷には蔵はある。とはいえ清洲や蟹江などで本領を離れて働く人たちは、日頃から使う銭をある程度身近なところに保管しておく必要がある。


 安心して銭を保管してくれるなら活用する人は増えそうなんだ。


「ほう、美味そうだな」


 この日は清洲城での仕事だ。合間に火鉢で餅を焼いていると、信長さんが姿を見せた。この餅は頂き物になる。大武丸と希美の祝いにと遠方から来た商人がくれたんだ。寄越せとは言わないけど、ちゃんと先に焼きたての餅をあげる。


「冬になると戦の話をしていた頃が懐かしいと、年寄りどもが言うておるぞ」


「歳を重ねると昔が懐かしくなるものですよ」


 今度は餅を二個焼こう。いや、今日のお供の千代女さんと一緒に食べるところだったからね。千代女さんもお餅が好きだから待っているんだ。


 ふと信長さんは耳に入った噂を口にした。変わり続ける織田家ではよくある話ではあるが気になるんだろう。繊細な人だからね。


 過去が良かったと思うかどうかは別にして懐かしさは感じる。それは一定の年齢を超えたら増えるのかなと思う。飢えなくなった。戦で傷を負うこともなくなった。でも若い頃には若い頃の、苦しい頃には苦しい頃の思い出がある。


 単純な話、文官仕事はストレスも溜まるしね。昔のほうが苦しい暮らしでも楽だったと思う人はいるかもしれない。


「そういうものか?」


「若殿も毎日鍛練をしておられた頃が懐かしいと言っていたじゃないですか」


「なるほど、それと同じか」


 信長さん、納得がいったのかすっきりした表情で餅を頬張った。出会った頃に比べると溜めこまなくなったね。


 周囲と軋轢があるという話も聞かない。言葉足らずという場面はあるようだが、わからない相手にはきちんと話すということはしているようだ。エルに何度も論理的に注意されたからね。察しろという危険性も。


 最近だと義龍さんと割と仲がいいと聞いている。義龍さんも頭の回転速いんだよね。多分そのせいだ。


「決して戻りたいとは思いませんが、私も甲賀が懐かしく思える時があります」


「生まれた国を離れると、そのようなこともあるのだな。人にはそれぞれ懐かしく思えることがあるか」


 懐かしむか。オレもちょっとだけ元の世界が懐かしく思える時がある。この世界では祭りでもないと集まらないような人混みが当たり前な都会の喧騒。独自の店内放送が流れ、独特の雰囲気があるコンビニ。あの時代が時々懐かしく思えることがある。


「いつの日か、今日この日も懐かしく思えるのかもしれませんね」


 千代女さんに焼けた餅をあげて、オレも餅を頂く。嬉しそうに食べる千代女さんを見て、ふと思う。


 いつかこんな平凡な日も懐かしむのかと。


 そんな未来も悪くない。




Side:神戸利盛


 尾張から復興の差配をするために来られた方々で驚いたのは、やはり久遠殿の奥方らか。黒い髪ではない容姿に驚くところもあるが、それ以上に敵地とは言わぬが前線に出ておることに驚く。

 

 無論、噂は聞いておる。されど何かあればいかがするのかと不安にもなる。


「宰相様、お久しぶりでございます」


「春殿、そなたらが来ていたか。ちょうどよかった。いかにして荒れたこの地を復興させるか学ばせてもらいたい」


 もっとも我らは役目をこなすしかない。歓迎の宴をと支度しておると、急遽北畠の御所様が来られると前触れがあった。それは織田家の皆様方が到着して半日くらいした頃だった。急いで支度をして織田家の方々と共に出迎えた。


 織田家の皆様も驚いておられたが、織田方で一番身分があった久遠家の奥方が異論もないとおっしゃられたために軋轢もなく迎えることが出来た。


 されど今も親しげに話す姿には、先日まで北畠方だった我ら国人衆と北畠家家臣らは驚いておるわ。


「お教えするほどのことかわかりませんが、こちらは構いません。それに宰相様のめいは断れませんよ」


「そうであったな。すまぬ。礼はする。伊勢を尾張のような豊かな国にしたいのだ」


「ええ、存じております。もっともこれが今川であれば、身分があってもお断りいたしますが」


「くっ、はははっ! 一緒にするでない」


「ふふふ、ご無礼を致しました」


 春殿ら久遠殿の奥方は、御所様と楽しげに談笑されておる。特に久遠殿と親しいとは聞いておった。とはいえこれほどとはな。


「して、いかがするのだ?」


「やることは他と変わりありません。民を動員して賦役をします。あとは領内の賊狩りはすぐにでも致します。とにかく食わせて働かせる。それが一番と心得ております」


「言うは易く行うは難しということだな」


「ひとつひとつの決まり事にも理由がございます。それは実際に差配しながらお教えいたします。出来ることからやる。この手のことをする時の基本でございます」


 御所様は決して我らを見捨てたわけではない。それが此度来られたことでも明らかだ。御所様はまことに尾張に学び、伊勢を豊かにしたいとお考えなのだ。


 我らが織田に仕え、織田家と北畠家の橋渡しをする。大役だ。


 それにしても、御所様は家督を継がれても自ら出向き学ぶとは。見習いたいものだな。



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