第974話・義藤と長慶

Side:神戸利盛


「恐ろしいとしか思えぬ」


「いずこにあれほどの銭があるのであろうな」


 織田への臣従は思いの外、あっさりと許された。北畠家の新しき御所様が根回しをされたのであろう。俸禄は変わらぬが随分と甘い査定になる。野分と一揆からの復興などほとんど進んでおらぬというのに、復興後の年貢で決めるというのだからな。


 さらに驚いたのは召し上げた領地ばかりでなく、我らの残された所領を含めて復興をするという。春までには田畑を出来る限り戻したいと言うておられたのだ。


 新参者の国人の領地の復興を主家が手助けするなど聞いたこともない。家臣らはそんな織田に心底怖れを抱いたようだ。だが我らに残される領地、そこに生きる民の心さえ、召し上げに成りかねんと幾人いくにんが気づいておろうか…。


「明日にはさっそく米と雑穀が届くそうだ。蔵に入れておけ。間違ってもくすねるなよ。首が飛ぶぞ」


 織田からはすでに人が来ておって、検地を始めておる。復興を差配するお方が来る前に少しでも領地の現状を調べたいのだとか。歓迎の宴の翌日には役目を始めておられた。織田の者は動きが早い。


「殿、ご本家からは?」


「あまりよく思うておらぬようだな。されど北畠の御所様のめい。非難も出来ぬようだがな」


 神戸家の本家にあたる関家では、此度のことを驚いておったというのが本音であろう。代々受け継いできた土地を尾張の余所者に差し出すなど、大うつけ者だと怒鳴っておる者が多いと噂を聞いた。


 もともと分家は大人しくしておれと言う者が、あそこには多い。此度のことを本家に相談もなく決めたことも面白くない理由であろう。


「こちらの事情を話してもあまり聞き入れてもらえませぬからな」


「織田と北畠。双方ともに関家など興味がないだけであろう」


 当家の家臣らには関家の家臣と血縁がある者も多い。その者らも織田の力とこの先の北伊勢の懸念など伝えたのだが、聞き入れぬらしい。やはり尾張を見ねば理解出来ぬのであろう。


「まあよい。本家は本家だ。我らは北畠の御所様に恥を掻かせぬようにせねば。伊勢武士が皆、愚か者と思われると末代までの恥と心得よ」


「はっ!」


 関家はすでに別家と思えばいい。そのうち世の流れを知るであろう。懸念は我らのほうだ。北伊勢は一揆も収められず領地を捨てた、愚か者ばかりだと思われておるやもしれん。奴らと同じと思われると恥どころでは済まぬ。


 北畠の御所様は、いずれは臣従も致し方なしとお考えのようだ。このまま織田が大きゅうなればな。


 我らは伊勢武士の誇りを見せねばならんのだ。と言っても戦もないとなかなか難しいのだがな。


 今は命じられたことを誰よりも早く確実にやらねばならん。梅戸もあまり上手くいっておらんと聞くしな。




Side:足利義藤


 都に入るのは久方ぶりよな。かつては父上と共に都を追われ、三好を憎みもした。そんな頃がふと懐かしく思える。


 師と共に旅をしておった時も、ここだけは避けておった。オレを知る者も多い故にな。


 都は以前と比べると幾分良うなった気もする。もっとも活気があるとまでは言えぬ。下京は人も多いが、牢人やら良からぬ輩も多いように見える。致し方ないのであろうがな。


 今も諸国を歩けば、都を日ノ本一の町と考えておる者は多い。それに嘘偽りがあるわけではない。主上のおられる都なのだ。


 されど少し歩けば戦の跡が今も残る。さすがに多くの亡骸が放置されておるのは見なくなったがな。


 正直、ここにもう未練はなくなった。戻りたいと思わなくなったのだ。理由を問われてもなんと答えてよいかわからぬ。将軍を退きたいと思うた頃からそう思うようになったのだ。


 そのようなことを考えながら、我らはそのまま相国寺に入った。相国寺には事前に使者を出して密かに都に入ると事情を伝えておる。諸国を巡る旅をしておるとは言うておらんがな。




 そして翌日には、三好筑前守はすでに都におるとのことで、さっそく呼ぶことにした。


 今回の謁見は内密のものだ。近衛殿下にはお伝えしてあるが、三好筑前守は相国寺に参拝にくるというのが表向きとなる。つまらぬ体裁も不要だ。


「三好筑前守長慶でございます」


 若いな。武衛や内匠頭よりも若いか。供の者も僅かひとりだ。よくこの場に参ったものだ。こちらが謀れば殺されるというのに。


 御簾はない。あえて無いところにした。この男の顔をよう見るために。


「戦場で相まみえるかと思うたがな。筑前守。これもまた定めというものであろう」


「上様に手向かいしこと、まことに申し訳なく、伏してお詫び申し上げまする」


 ふむ、少し探りを入れてみたが、如何とも言えぬ顔つきで謝罪をするか。脅すつもりなどない。都を押さえ天下を手中にせんと思い、少し驕っておるかと思うたのだがな。


「よい。すべてはあの愚か者が責めを負うべきこと。筑前守。それよりそなたはなにを望む? 管領の首、はたまた職か? 如何に!」


 あまり長々と話す刻はない。本題に入る。三好筑前守はこちらをじっと見つめて答えを述べようとせぬ。


「筑前守、ここは内密の席。申したきことがあれば思うままに存念を申してみよ。余はそなたのことを知らぬのだ」


 さて、三好筑前守はオレと腹を割って話すつもりがあるのか、ないのか。




Side:三好長慶


 慣例を好まず、直言と単刀直入な言葉でわしを知ろうとなさるか。とても公方様のなさることとは思えぬ。御自ら旅に出て変わられたのか?


「某は亡父の汚名をそそぎたいという思いにて、ここまで生きて参りました」


「汚名か」


 そう望みはと言われても父の汚名をそそぎたかっただけだ。憎き晴元に仕えてせめて父の職を継ぎたいと願い出るもそれすら叶わず、あの男は分家の三好政長を重用するなど己がために三好一族を振り回した。


 最早我慢の限界と兵を挙げた結果が今なのだ。管領か。求めて得られるものならばと思うところもあるが、三好家では家格が足りぬのは明らか。晴元の愚を見ておれば三好家を滅ぼしかねぬ管領にこだわる気はない。


「その方、この荒れた世をいかが思う? 如何にすればよいか考えたことはあるか?」


「それを臣下が口にするべきなのでございましょうか? 某は相伴衆に任じていただきましたが、未だ上様の信のない身。畏れ多いことでございます」


 このお方はわしに如何なるものを求めておられるのだ? わしを疑うておるのか? 思うところがあるのならば命じればよいではないか。


「ならばよい。都は引き続きそなたに任せる。六角とよう話してつつがなく治めよ。ただし新たな管領は置かぬ。二度と細川京兆などという名が都で聞かれぬように精進致せ」


「畏まりました」


 まさかまことにわしの本音を知りたいとお考えなのか? 明らかに残念そうな顔をされた。如何なる地位も立場も願いも、わしから望めば分不相応となる。所詮は細川の家臣でしかないのだからな。それは公方様がようご存知のはずだが。


「そなたとは今しばらく刻が必要なようだ。先ほどの問い、次に会う刻まで考えておけ。それが都を治める者の務め。間違ってもあの小物の真似だけは致すなよ」


「ははっ」


 わからぬ。公方様は何故、わしにそのような問いを求めるのだ? 世を見て治めるは公方様がなさること。三好家とわしに物足りなさは感じておられるようではあるが……。


 このお方はいったい、如何なるものを見ておられるのだ?


 細川晴元の討伐すら口にされぬ。和睦を考えておられるのかと思えば、都で名を聞かぬように致せと言われる。


 明らかに聞いておった様子と違う。わしは、このお方と如何に向き合うべきなのであろうか?




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