第972話・旅の空

Side:足利義藤


 観音寺城を出て十日。昨夜は道中の寺で一夜の宿を求めた。


 人のいい和尚のようで寺は荒れており雨漏りまでしておったが、近隣の民には好かれておるようで食うことだけは出来ておる様子。和尚は昨晩と今朝には、我らに雑炊を出してくれた。氏素性も明かしておらぬ武芸者としておるのにもかかわらずだ。


 高僧には幾人も会うた。学問を修めた者や権威ある寺の者まで様々な者にな。中には素晴らしき者もおったが、愚物も少なからずおった。


 このような村から離れると名も知られておらん寺の和尚のほうが、よほど素晴らしき者に思えるのが今の世の坊主どもなのだ。


「何事もほどほどが一番か」


 そこまで考えて、以前に伊勢で会うたあの銀次という男を思い出す。


「菊丸殿?」


「いや、独り言だ」


 思わず呟いた一言が与一郎に聞こえてしまったらしい。


 高僧に教わった数多のことより、あの男に教わった一言。『何事もほどほどが一番』というものが旅では本当に役にたった。あの男は今も面白きことを探して尾張か伊勢におるのであろうな。いつかもう一度会うてみたいものよ。


 オレは今、都を目指しておる。三好筑前守長慶と会うために都に向かっておるのだ。供の者は与一郎と師から借り受けた兄弟子たちだ。表向きは兄弟子の武者修行の旅の供をしておるということになっておる。


 実際に武者修行として各地を歩き都に向かうつもりだ。


 三好筑前守からは目通りを願う直筆の書状が届いた。必要とあらば観音寺城に参ると言うてきたが、そこまでさせては三好家としても面目が立つまい。


 三好筑前守は如何程まで世を見ておるのであろうな。三好家の天下か? それとも日ノ本の統一か? 会うてみたいと思うておったのはオレも同じだ。


 三好筑前守が日ノ本を統べる器の者であり、その気もあるならば任せてみてもよいとも思う。もっとも現状の三好の動きを見ておるとその器とは思えぬが。


 あの小物の代わりに管領に収まろうと考える程度の男ならば、大人しゅうしておればよいのだが。はてさて。


 一馬が見る世を日ノ本に広げるには、今しばらくの刻がいる。そこまで腹を割って話したことがない故にオレにも詳しくわからぬが、今がその刻ではないのは確かだ。


 見極めねばならん。三好筑前守が新たな世に必要な男なのか、それとも小物と同様に不要な男なのかをな。


 オレは将軍として相応しくない男だ。その地位にありながら、すでに違う世を夢見ておるのだからな。いつか父上や先祖にお叱りを受けるだろう。


 それでも……、オレは……。




Side:久遠一馬


 昨年秋の野分による被害地域の復興は、北伊勢を除いて順調に進んでいる。北伊勢は相変わらず軍を一定数動員したままになっていて、彼らによる復興が続いているが、野分と一揆のダブルパンチの被害からの復興は簡単ではない。


 まあ初動が軍としての動員だったこともあり同じ形態をとっているが、実質賦役の動員に近い扱いでもある。関ヶ原の賦役でもそうだったが、この時代の人は戦があればみんな戦うので、領民とするとどっちでもいいという感じだと報告が上がっている。


 織田領の人口は、北伊勢の人口を入れないで九十万人ほど。史実の安土桃山時代の日本の人口が一千二百万人と言われているので、現状でもかなりの人口を抱えている。


 農業漁業などの一次産業がほとんどでそれ以外は未だに少ない。特に農閑期である冬期は賦役で食いつなぐ領民が大勢いる。彼らのマンパワーにより復興は進んでいた。


「ああ、この件はやってみるしかないですね」


 この日、ウチの屋敷に来ているのは佐久間盛重さん。通称大学。大学允や大学介の官位を私称しているのでそう呼ばれている。今年の正月の新体制で織田家家老に推挙されたひとりである。


 元の世界の史実では織田信行の付け家老となった人で、その後織田信長に味方し仕えたものの桶狭間の戦いで戦死した人になる。この世界では勘十郎君は俸禄になっていて独立していないので付け家老は与えられていない。


 現状の織田家は当主と嫡男の一本化を今年の新体制で明確にしたので、信長さんの直臣だった人たちはすべて信秀さんの直臣となった。元信長さんの家老だった佐久間信盛さんたちも同じく織田家家老となっていて、現在家老には佐久間一族からふたりいる。


 佐久間信盛さんたち家老や重臣は、信秀さんの家臣のまま与えられた人なので別だが、信長さんの直臣は以前に完全俸禄化しているので、今回の当主と嫡男の一本化はスムーズに進んだ。


 家老に関しては意図的に増やしたんだよね。大変だから。


 筆頭家老の政秀さんの仕事は信秀さんの命令で減らしている。吉法師君の守役もあり、年齢もそろそろ隠居してもいい頃だという事情もあって。


 代わりに調整役として少し前から活躍している人がこの佐久間盛重さんになる。


「ふむ、やはりそうか。しかし難しきことよ。ひとつ間違えるとわしの腹ひとつで済まぬ損が出る」


 織田弾正忠家でも古参の家柄で文武両道。そこまで目立つ武功はないが、文治に理解がありあちこちに顔が利く。織田家の拡大と共にズルズルと忙しくなった人になる。


「間違いも経験しないとわからないことがあります。必要なのは損害が出た時を想定しておくことですかね」


「皆、失態を恐れておる。久遠殿は失態など致しておらぬからな」


 政秀さんほどではないが、家中の融和と意思疎通を図ろうと頑張っている人だ。非公式の雑談ではあるが、こうして家中の雰囲気とか問題を教えてくれる。


「当初の考えと違うことはウチもありますよ。蟹江城なんて、それそのものですし」


「あれはな。仕方なかろう。願証寺があれほど大人しゅうなるなど誰が考えよう」


 失敗を恐れる。あまりいい状況じゃない。盛重さんとその意見で一致する。戦場なら武功で取り戻せばいいと考えるが、あまりに織田家が上手くいきすぎて失敗を恐れて萎縮し始めている人もいるとは。


 みんなウチは失態を演じないというが、違うんだよね。リスク管理しているだけで。


 蟹江城だって当初は対伊勢への軍事拠点として計画したが、経済優先しているうちに必要性がなくなり、二転三転して水軍学校と行政庁舎としてようやく建築が進んでいる。


 リスク管理。教えているんだけどなぁ。実際に経験を積みながら学ばないと難しいというのが本音なんだろう。


 新しい価値観と体制とやり方。誰もが手探りで、オレたちが思いもよらないことを考える人もいる。歴史を知っていると頓珍漢なことに思えても、当人は必死に考えた結果で真剣だ。


 たとえ結果が見えていても始める前からすべてを否定してはいけない。


「田畑を耕し武芸に励んでおればよかった武士にとって、今の織田家はあまりに難しきことをしておる。もう少し皆が励めるようにしたいのだがな」


 生みの苦しみ。その一言に尽きるのだろう。盛重さんの言うようにもう少しみんなで働けるようにしないとなぁ。




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