第964話・学問ノススメ

Side:久遠一馬


 具教さんから文が来た。年始の評定が終わったらしい。海の守りを織田に任せることと北伊勢の国人の鞍替えが決まったようだ。


 もっとも具体的な話はこれからになる。臣従の条件など基本的なものは伝えてあるが、多少は北畠家に配慮する必要もあるだろう。水軍はね。どうなるだろうか。北畠家としては海の守りを織田に任せると決めた。


 これ言い換えれば既存の水軍を信じてないと言っているのに近い。織田に従えと言ったとのことで、織田の水軍に組み込むことも検討して幾つかの条件と私案はまとめておくか。理想は土地と切り離して俸禄化だが、そこまで受け入れるかはわからない。


 最悪、現状維持で邪魔さえしなければいい。


 北畠家での改革について、これはすでにある程度まとめてある。今後領地が広がった時にすべてにおいてウチで管理してやれないこともあるだろう。現状の武士でも出来る改革の方策を試す機会でもある。


 ウチでは一益さんと太郎左衛門さんの婚礼の支度が進んでいる。日時は一月二十一日、三年前にオレがお清ちゃんと千代女さんと結婚した日になった。


 婚礼の儀に関しても幾つかこの時代の武士としては異例なこともする。まず婚礼を両家合同ですること。一益さんと太郎左衛門さんの婚礼を一緒に同じ会場でするんだ。場所はウチの屋敷になる。


 これも最初はこの時代のやり方で検討していたんだけどね。一緒にお酒飲んで話を聞いていたジュリアが、合同でやればいいと提案したんだ。一応、久遠家の家臣の婚礼の儀を久遠流で行うという体裁になる。


 滝川家と望月家は久遠家家臣として生きていくという決意表明になるし、両家と久遠家の確かな信頼関係を内外に確実にアピール出来る。


 この案が結果的に採用された。


 まあ資清さんも望月さんもウチに来てから、迷信や風習を改めて考えることが多かったというのもある。ふたりはウチの風習をよく学びそれに合わせてくれていたからね。


 すずとチェリーなんか未だにふたりを義父殿と呼ぶ。当然ながらすずとチェリーにとってふたりは義父じゃないんだけどね。それが久遠家の掟だというと困った顔をするものの喜んでもいる。


 まあ婚礼の儀の内容は武士としてのやり方がほぼそのままだ。身分もあって信長さんやオレの時よりは質素だが。


「三年かぁ。あっという間だったな」


 ふと一緒に仕事をしている千代女さんの姿に、年月が過ぎるのが早いと感じる。数え歳でオレが二十二歳、エルは二十四歳、そしてジュリアは二十六歳だ。千代女さんとお清ちゃんも二十一歳と十九歳になる。


 ただオレも含めてみんなこの時代の人と比較すると若いとは言われる。スキンケアやアンチエイジングなどをしていることもあるしね。千代女さんたちもエルたちに勧められて同じことをしているからか若いと言われる。


 一益さんたちも忙しいこともあり結婚が遅れてしまった。申し訳ないことをしたね。元の世界では三十歳で独身も珍しくないから、どうしてもその感覚が抜けなかったことも言い訳としてはある。


「ジュリア様に懐妊の兆候があるとか……」


「贅沢は言わない。オレはみんなが元気ならそれでいいんだけど」


 ふとこの三年間を振り返っていると、千代女さんがオレの言葉を別の意味で捉えたらしくジュリアの妊娠について口にした。


 ジュリアが妊娠した。もっともこの時代の医学でははっきりするまで時間がかかるので、兆候があるという表現で知らせてあるだけだが。


 ジュリアの場合は武術の指南をする関係上、懐妊の兆候があると先日、織田家中に知らせた。当面は直接稽古をつけるのは避けなきゃいけないからさ。


 ぬか喜びをさせてはいけないからと大きな騒ぎにはなっていないが、武闘派の人たちが祈祷を頼んでいたり、体にいいものを届けてくれたりしている。


 やはりエルたちは自発的に避妊をしていたのだろう。大武丸と希美が無事生まれて問題ないと把握してから避妊を止めたとみて間違いない。


 今後妊娠増えるのかな? 子どもがたくさん生まれるとウチが賑やかになるなぁ。新しい屋敷はその辺を考慮した造りになるとは聞いているが。


 一益さんと太郎左衛門さんの合同結婚式もある。このまま平和になってのんびり暮らせたら幸せなんだけどなぁ。


 まあ無理だよね。




Side:広橋国光


 尾張の民は身綺麗にしておる者が多い。何故と問うと、病を防ぐためにそうしろと命じておるらしい。久遠の知恵。尾張ではそう呼ばれておるうちのひとつだとか。


 もっとも寺社では穢れを払うために身を清めるというのは当然だ。さほど驚くことではないが、民がそれを守っておるのは少し驚きである。


 さらに那古野には湯に入れる風呂屋があり、織田の民ならば僅かな銭で入れるのだとか。おかげで近隣ばかりか領内からも遥々おとなう者がおるほどだという。


「なんと、尾張では武士の子弟ばかりでなく民や職人らも学問をおさめるのか」


 この日、案内されたのは学校という学び舎だ。ここもまた珍しき物が多い。大きな黒い板に、白い石のようなもので字を書いて教えるのだ。これにはまことに感服した。紙と墨がなくても皆で学問がさずかれる。よう考えたものよ。


「はっ、多くの者が学ぶことで国が豊かになることを目指しておりまする。礼儀作法を学べば争いも減りましょう」


 平手殿の言葉に驚きのあまりまことかと見入ってしまった。これも久遠の知恵か? 学僧らだけでは足りんというのか?


 事実を見ねばならん。尾張は在野ざいやちまたの民ですら吾に頭を下げてよく働くのだ。何故かと思うておったが、このようなことをしておることが理由か。


外国とつくにや古きに倣い、尾張者は学問が好きだと聞いておったが……」


 図書寮の再建。噂は聞いておる。何故今更と思うたが、尾張者が学問好きだという噂はまことであったか。


「我ら武士が言うのは分不相応かと思いまするが、明や古きに倣い、国を良くしとうございます」


「なんの。それを理解する者がおることが喜ばしいわ。官位が欲しいときだけ頭を下げそれらしく繕う愚か者が如何に多いか。戦ばかりで世は荒れる一方なのだ」


 他国で聞く噂は、織田は久遠の商いで力を付けて大きゅうなっておるということ。あれがあれば己も天下に名を知らしめることが出来ると語る者もおるのだとか。


 ところが関白殿下や近衛殿下は違う。織田は新しい国の治め方を始めておるのだという。遥かいにしえの折に朝廷が世を治めておった、律令ですら知っておると驚かれておったほど。


 特に近衛殿下が気に掛けておられるわけがわかる。知れば知るほど興味深い。


「相当な知恵者がおるな。吾も学びたいほどよ」


「広橋公にそうおっしゃっていただけるなど光栄の極み」


 ひとつひとつの知恵は探せば知る者もおろう。されどこれを今の世の為に使えるものとして形としたのは誰ぞ。


 久遠の一馬か? それとも、都において下魚と言われるうなぎを上魚へと変えた、噂の大智か? このふたりは主上が直に話してみたいとこぼされたという話さえあるのだ。


 一時の勢いで栄えておる国ではないな。足利はこれを如何するのであろうな? 


 また大乱を起こしてすべて灰としてしまうのか?


 吾には如何ともしようがないが、それは惜しいの。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る