第961話・ふたりの来訪者

Side:広橋国光


「もう少し暖かい頃ならば、ここは綺麗な花が見られるのじゃがの」


 清洲城の南蛮の間。そう呼ばれておる見慣れぬ部屋に我は武衛殿と共におる。壁は白い漆喰であろうか。飾られておる噂の南蛮絵がいかにも映える部屋だ。


 もっとも驚いたのは、部屋には硝子の窓があること。春から秋にかけてならば、この窓や戸を開けると綺麗な花が見られるとのこと。武衛殿はそれを見せられず残念であると言いつつ、牛の乳で入れたという紅茶を口に含んだ。


 部屋には南蛮暖炉と呼ばれる鉄の火鉢のようなものがある。丸い鉄の箱の中で火を焚き部屋を暖めるという。まるで冬であることを忘れそうになるほど心地よい。


「花を見ながら茶を飲むとは、さすがは武衛殿ですな」


 日ノ本の者は皆、都や畿内の真似をしておるというのに、ここ尾張だけは真似をしておらぬ。襖絵などには日ノ本の絵もあるが、いずれも都で名のある者の手ではないという。


 ならば鄙物かと思えばそうでもない。部屋の趣や面する庭の趣向と合うておるのだ。


「なんの、質素倹約に励まぬ愚か者と陰口を叩かれておろう」


 武衛殿はあまり驕らぬらしい。次の管領は武衛殿であろうと都では誰もが噂しておると言うのに。あまり管領職には興味がないというのは事実か。まるで己を軽く扱うように笑うておるわ。


 質素倹約。体裁や方便はそうであろう。されど力ある者は己の力に見合った権威と贅を求める。坊主どもですら堕落して稚児ちご女性にょしょうを抱き、色欲にふけり、酒を食らう世なのだ。武士は言わずとも知れたこと。


 当然といえば当然であろう。もっともこの南蛮の間。これは他国からの使者に尾張の力を見せるものであると思うが。


 人は己の知らぬものを恐れる。南蛮という久遠家が伝えたものを使うて他家を恫喝しておるとも思えるの。


「武衛殿、内匠助殿とはいかような男で?」


 気になる。久遠の一馬という男が。ちょうどこの場には武衛殿と近習と吾しかおらぬ故に、問うてみた。


「ふむ、一言で言えばあのままの男じゃの。和を尊び、争いを望まぬ。捨て子すら見捨てられぬと己で育てておるくらいじゃ。この乱世がもっとも似つかわしくないとも思えるの」


 返す言葉が浮かばなかった。和を尊び、争いを望まぬのはまだわかる。捨て子を見捨てられぬと? 捨て子など幾らでもおるのだぞ。しかも何故見捨てられぬ? 己にいかな得がある?


「『わからぬ』が心情に浮かぶでござろう? わしや内匠頭も近頃やっとわかるようになったこと。もうひとつ言えることは、あの男は他者を押し退けての立身出世など興味がないことか。放っておくと畑を耕すか、捨て子らや犬と遊んでおるからの」


 世捨て人か? 時折おるな。世を儚んで出家して己のことだけを見ておる者が。


 いや、違うな。それだけでこれほど世に名が知れることはない。己から世に出ておるのだ。如何なることを求めておるのだ?


「主上にあらがたてまつる男ではない。己の利と朝廷の利を合わせるくらいはするがな」


「いや、疑うておるわけではない。それだけは言うておく。主上に於かれても吾も疑いなど持っておらぬ。ただ……、吾は知りたいのだ。日ノ本の外を知る男が、如何なることを見て考えておるのかとな」


 己と朝廷の利を合わせるなど当たり前のこと。それすらせぬと言われると気味が悪いわ。武衛殿はそんな吾を面白げに見ておる。先に言うておかねばならぬな。吾は勅使として疑いがないことだけは。あくまでも興味があるだけのこと。


「せっかく参られたのだ。暫し領内を見聞なされるがよろしかろう。一馬や我らが如何なることを考えておるか、広橋公ならば早々そうそう得心とくしん頂けるはず。己が目で見たほうがよいこともある」


 武衛殿の笑みは少し寒気のする笑みに思えた。如何に己が領地を治め、広げていくか。そのようなことしか考えておらぬ武士とはまったく違う。


 吾ですら見えておらぬものが見えておるというのか? しかも見聞か。世の武士は己の領内を見られることすら嫌がる者もおるというのに。


 『次の世は尾張から動く』。そんな大内卿の遺言が頭から離れぬ。




Side:望月出雲守


「お待たせ致して申し訳ござらぬ」


 信濃望月家当主、望月信雅か。会うたのは初めてじゃが、少しやつれておるように見えるの。本家であり惣領であることから、上座で待っておるかと思えば、祝い客の作法通りに、進物しんもつと共に客座におられた。客座から上座に移られるように勧めたが、不要だと自ら客座に留まられた。ならばわしは祝いを受ける家の主人として振る舞わねばなるまい。


 すでに夕刻だ。役目で清洲城におったせいで来るのが遅れたが気を悪くした様子もない。


 以前はわしが惣領を狙うておると懸念しておったと噂に聞いた。恐らく事実であろう。とはいえ目の前の男は、惣領を争うどころか戦に敗れて落ち延びてきたような顔をしておる。


「滝川家との婚礼良かったの。あるじの久遠家と縁も繋がり滝川家とも。これで尾張望月家は安泰であろう」


 相当追い詰められておるらしいな。すでにこの男に信濃望月家をまとめる力がなくなりつつあることは調べがついておる。


 武田が危ういのだ。今川の調略も進んでいよう。一族に連なる多数あまたの者からすると惣領が信雅でも本来の惣領である昌頼でも構わぬというのが本音と言えば本音。


 ともかく遥々参られたのだ。酒と馳走で持て成してみるか。


「遠江守殿。なにかお困り事でもあられるのか? 某でよければ話を聞くが」


 口数が多くない。酒と馳走に喜びつつも物静かにしておる。もともと庶流だと聞いた。惣領を継ぐような育て方もされておらず、このような危うい立場で惣領家として如何にしてよいかわからぬというところか。


 この男を上手く使えば織田の役に立つという思いが過るが、我が殿は望まれぬこと。それに一族で騙し騙されるのはわしもあまり好かぬ。


「わしは……、惣領の器ではないのだ。皆、勝手だ。あれだけ武田しかないと皆が揃って臣従したというのに。今度はわしが見捨てられることになるのやもしれぬ」


 物珍しげにして落とさぬようにと丁寧に持っておった硝子の盃を置くと、信雅殿はぽつりぽつりと己が現状を話し始めた。


 やはり一族をまとめられておらぬのか。今川の謀であろうな。小笠原長時にはそのような策を講じるのは無理であろう。


 この分だと、甲斐の国人衆にまで調略をしておるとみるべきか。


「誤解がないように言うておくが、わしはまことに惣領など求めておらん。尾張にて久遠家にお仕えしておる現状では惣領はあまり役に立たぬ」


 助けを求めるか。決めかねておるというところか。決めかねて尾張まで来たと。庶流という生まれを思えば、ようここまで来たと褒めてやるべきかもしれぬ。


「そうか」


 惣領と引き換えに助けを求めたいと考えておったのか? あからさまに顔色が悪くなる。


「されど本家の危機となれば力にはなろう。もう少し詳しく聞かせてくだされ」


「……かたじけない」


 他人事とは思えぬな。所領を捨てて久遠家に仕えておらねば、わしとて同じ立場だったのやもしれぬ。


 如何にするべきか、今一度考えねばならぬし殿にもご報告する必要があるが。とはいえ真の助けを求める者を見捨てるは久遠家ではせぬこと。


 なんとかしてやりたいが。



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