第960話・信濃望月家

Side:望月信雅


「ここが……出雲守殿の屋敷なのか?」


 ここ那古野は、織田の若殿の城だとか。城下には町があり大いに賑わっておる。そんな城から近いところにある立派な屋敷に、思わず気後れしそうになる。


 思えば信濃を出たのは初めてなのだ。まさか婚礼に出席するために、遥々尾張まで来ることになるとはな。


 わしはかつて真田殿の仲介で、武田に抗った惣領家と袂を分かち武田に臣従した。城と所領を守るには仕方なかったのだ。惣領が我が物になるという欲もあったが、あの頃の御屋形様に勝てる者は信濃にはおらぬとまことに思ったのも事実。


 それが今では……。


「はっ、少し前にここに越してきました。元は織田の若殿のご家老様のお屋敷でございます。久遠の殿が新しい屋敷を建ててくださるとのことでございますが、何分尾張では大工も忙しく、今のところ不便もないのでこのまま使うておりまする」


 織田の若殿の家老の屋敷を頂けるとは。噂以上ということか。


 武田の御屋形様は我が子を人質として尾張に出した。甲斐の者らは屈辱だと言うておるが、それだけ苦しいということ。織田が信濃へ兵を出せば武田は信濃を失うどころか存亡の機と言えよう。


 昨年の秋に、ちょうど尾張から出雲守殿の養子となる者の婚礼の儀を知らせる文が届いた。さて誰を出すかと思案したが、思うところあってわしが参ることにした。無論、御屋形様の許しは得た。


 御屋形様も少し思案して、尾張を見て参れと仰せになったのだ。今川との戦に忙しい武田において、信濃に織田が兵を出すかどうかは重大なこと。


 とはいえ……。


「遠路はるばる、ようおいでくださりました。某は望月太郎左衛門。今、養父を呼びに行かせております。しばしお待ちくだされ」


「そなたが太郎左衛門殿か、よい相手と縁組となり良かったの。しかもこのような立派な屋敷を頂けるとは。同じ望月の者としてこれほど嬉しいことはないわ。出雲守殿も忙しかろう。わしは夜でよい。役目をまっとうされよ」


 屋敷は建て替える必要などないと思えるほど立派だ。真新しい畳が敷き詰められた部屋に、羨ましいという思いが込み上げる。


 太郎左衛門。甲賀望月家の分家の男だという。久遠家でも厚遇されておると噂を耳にした。着ておる着物も上物だな。しかもよい面構えをしておる。


「では風呂でも沸かしましょう。養父は清洲でございます。少し戻るまで刻がかかる故。旅の疲れを癒してくださりませ」


「かたじけない」


 望月家惣領か。庶流に生まれたわしには過ぎたるものだったのかもしれぬな。出された白湯の味すら違う気がしてきたわ。


 武田に敗れて降ったわしが、今また今川に降るわけにもいかぬ。あちらにはわしを目の仇にしておる元惣領家の昌頼殿がおるからな。


 それに信濃は一進一退。武田は追い詰められておるが、今川がどこまで信濃に兵を出し続けるかわからぬ。信濃の半ばを得て満足してしまい、武田を降すまで戦う気がないとなれば、わしらが御屋形様に殺されてしまう。


 東国一の卑怯者とも言われる御屋形様だ。寝返った国人など迷いもなく皆殺しにしても驚かぬ。


 仏の弾正忠とまで言われるお方の下で働ける尾張望月家が羨ましいわ。




Side:久遠一馬


 官位も貰ったし勅使はすぐに帰るのかと思ったが、少し滞在するらしい。まあ武家と交流するのも仕事のうちなんだろう。オレは出るかわからないが、茶会とか歌会の予定がある。


 ウチでは滝川家と望月家の結婚式の準備が進んでいる。両家の親戚が甲賀から来るし、望月家は信濃の本家からも来る。


「申し上げます。信濃より望月遠江守殿、那古野到着とのよし


 噂をすればなんとやら。信濃の本家から人が来たか。しかも望月一族の惣領なんだよね。この人。事前に文があったので知ってはいたが。それにしても、官位を受けてから、ウチの人達のオレへの物の言い方が硬くなることが多くなった。チョット寂しい。正式な身分を持つことは、こんな所にも影響が出るのか…。


 しかし来るのが早いね。まだ十日以上あるのに。


「千代女の時とえらい違いだね」


「申し訳ございません。信濃望月家は苦しい立場なので……」


 千代女さんとの結婚式の時との違いに少し呆れていると、一緒に報告を聞いていた千代女さんが申し訳なさげに頭を下げた。千代女さんが謝ることではないが、望月さんの亡き弟の件や先頃の三雲家のこともある。望月さんの血縁って少しトラブルが多いからね。


 もっとも信濃望月家の気持ちもわからなくはない。今川相手に四苦八苦している武田がどこまで守ってくれるか不安なんだろう。


 そんな時にちょうど結婚式があった。なにかの役に立つかと藁にもすがる思いで尾張にきたというところか。


 オレと千代女さんの結婚式の時も一族の人が祝いに駆けつけてはくれた。ただし当主自ら来た今回と比べると扱いが違うのは確かだ。


「元惣領殿は今川方に馳せ参じたとか。信濃は大変だね」


 そうそう武田に敗れて城を奪われた元望月一族惣領である望月昌頼もちづきまさよりは、先の戦で小笠原長時さんの要請を受けて出陣して今川方に付いている。一応出家しているはずなんだけどね。


 あの人、前にこちらにも使者を寄越した人だ。ところが使者が武田の渡り巫女だったお夏さんを狙った。使者とすれば土産の代わりとでも思ったんだろうが、織田としてはそれが余計で適当に返事を濁して援助もしなかった。


 望月さんが惣領争いに巻き込まれるのを懸念して手を引いたというのが実情だが。


「さて、どう出るかだね。まさか惣領家だからと上から命じることはないと思うけど」


「それはありますまい」


 懸念は婚礼のためにやってきた望月信雅。武田に臣従して代々惣領家が名乗る遠江守を称している男。援助を寄越せというのか、または縁組で関係強化を求めるのか。


 さすがに上から命じることはないだろうと資清さんも言うが。追い詰められているからね。少し気になる。


「領地を捨ててくるなら一族郎党すべて面倒見てもいいけど。妥協出来るとするとそのくらいか」


「金銭での援助はしてもいいと思うわ。今川方についた元惣領殿はあれ以来こちらに使いも寄越さないもの」


 キャンバスに新しい絵を描いているメルティにちらりと相談するが、仮に手助けするにしても微妙に難しい距離と立場だ。金銭での援助か。してもいいけど、武田方だと焼け石に水というところだろうね。信濃も別に豊作というわけでないのに、甲斐の不作で重税だというし。


 まあ恨まれない程度に手を貸すべきだろうね。この時代では一族の繋がりは重いものがある。


 それにしても武田か。


 武田晴信。彼はこの世界だと戦国武将として大成するのは難しいのかもしれない。元の世界での評価は置いておいて、この世界では東国一の卑怯者という名があまりにも広まり過ぎた。


 そもそもこの時代、家同士の同盟や約束事がそこまで諸国に広まることはない。情報伝達が未熟であることもあるし、そういった外交交渉の内容や結果を広める必要はないんだ。だから同盟破りも問題ないだろうと思ったのかな。


 まあ史実でも地元の国人や近隣の有力な大名なんかは、噂程度ならば知っていたんだろうが。武田が強いということで無視できない存在ならば違ったんだろう。ところが現状の武田は強くはないからなぁ。


 織田としては武田に振り回されるのはごめんだ。それに史実のこともある。信じるのは難しい。史実の織田信長は武田と同盟していた頃に、今川を攻めたことで北条と徳川と上杉に挟まれた武田を助けてもいる。


 その後、当然のように武田は織田包囲網に加わり牙を剥いたからな。


 望月一族。所領を捨ててくれば面倒がなくていいんだが。




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