第958話・勅使到着

Side:広橋国光


 尾張まであと少しか。霧山御所を発ち大湊から迎えの船に乗った。近頃では旅をする者は皆、大湊から船で尾張や北伊勢に参るという。


 北畠家を訪れる際には近江をして参ったのだが、六角の勧めで八風街道から桑名に抜けてそこから噂の黒い船に乗り大湊まで参った。


 そう、久遠船と呼んでおったな。


 船に乗るのは初めてではないが、この船はよいの。大きく速い。昨年の大内卿の法要の際に公家衆が乗った南蛮船はさらに大きいと聞いた。嘘か真か遥か海の向こうまで参るというが、恐らく苦難の旅であろう。尾張に着いたら話を聞いてみたいものだ。


 武家伝奏をしておると、世の中がようわかる。


 田畑は荒れ果て、守護がその役目をはたしておらぬ地など幾らでもあった。三好のように己が力で生きる者でさえも珍しくない。されど誰が治めようとも、その地の様子はさほど変わるものではない。


 ところが大湊と伊勢は驚くほど変わった。堺の商人が商いで鄙者ひなものに敗れた。その末のことだ。近頃では名のある商人でさえ、尾張詣せねば商いが立ち行かぬとまで言われる始末。


 尾張の斯波と織田。その両家が今は世を騒がしておる。畿内に攻め上がるつもりもなければ、自領の尾張商人を都に赴かせ、商うこともない。関白殿下は、都を荒らすことしかせぬ武士には嫌気がさすが、斯波と織田のように関わるのを好まぬのも困るとこぼされておったな。


「おお、なんと大きな船だ」


 尾張に着くと見入ったのは見たこともない大きな黒い船であった。これが久遠の南蛮船か。湊には幾隻もの船があり、近頃では船も寄り付かぬ堺に取って代わったような光景だ。


「お久しゅうございます」


 迎えの者は平手五郎左衛門か。だいぶ前だが官位伝奏で会うたことがある。


「これはまた立派な湊じゃの」


 目を引くものがいくつもある。南蛮船から荷を降ろしておる木を組んだものに、見かけぬ形をした荷車。さらに驚いたことは足元か。漆喰であろうか。見事に平坦に固めておる。雨が降るとぬかるむ地とは大きな違いだ。


「はっ、すべては主上のおかげでございまする。このあとは如何されまするか? 御役目もございましょう。すぐにでも清洲へ参られまするか? 実はこの地には温泉がありまする。良ければ旅の疲れを癒しては如何でございましょう」


 迎えの馬に乗り町をく。吾は役目から日ノ本の各地に参るが、これほど賑わう湊町は珍しい。博多に勝るとも劣らぬのではないか。


「ほう、温泉か。それはよいの。武衛殿や内匠頭殿に会う前に旅の疲れを癒すとしようか」


 平手殿の勧めで温泉に入ることにするが、ふと気付いた。町の民が皆、道を空けて頭をさげるのだ。吾の身分を考えると当然と言えよう。されど当然のことすら出来ぬのが鄙に住まう者らなのだ。


 無論、まったくないこととは言わぬ。されど今日明日の飯さえもない者らからすると、公家であれ武士であれ関わりがないと、無礼な振る舞いをする者がおるのが世の中というもの。


 これは以前に参った時には尾張もそうであったはず。やはり伊勢と同じく尾張も変わったのか? 主上が畿内の外の者を気に掛けるのは珍しきこと。それだけの者だというのか。尾張者は。


 楽しみよの。




Side:久遠一馬


 北畠家を発った勅使は大湊から久遠船で蟹江に入った。当初は陸路での尾張入りを考えていたらしいが、北畠家で海路を勧めたようだ。


 伊勢で一番治安が悪いのは中伊勢の長野領だからな。もともと東海道の治安がよくないうえに、昨年の北伊勢の一揆勢の一部が長野領に逃げた。さらに長野領でも発生した一揆はなんとか鎮圧したが、後始末があまり上手くいっておらず治安が悪化しているんだ。


 当然、こちらも朝廷の勅使なので迎えの船を出した。大湊で先に久遠船を見てはいたようだが、乗ってみると噂以上に大きく立派な船であることに驚いていたと報告が入っている。


「かじゅ! かじゅ!」


 今日のウチの屋敷はちょっと賑やかだ。吉法師君が遊びに来ているからね。ロボ一家とも初対面だ。馬は見たことがあるようだが、当然犬は見たことがなかったらしい。


 お前誰だと言いたげなロボに吉法師君はキョトンとしていた。まあロボも敵ではないと判断したんだろう。すぐに気を許して仲良くなったが。


「わたしが絵巻を読んで差し上げます」


 滅多に城を出ることがないうえに、ウチには珍しいものがあるからなぁ。キョロキョロとする吉法師君にお市ちゃんが絵本を持ってきた。


 お市ちゃん、小さい子の面倒見がいいとよく言われる。エルとかリリーの影響だろう。本来はそんな身分じゃないし、そもそもこの時代では織田家クラスになると兄弟や姉妹ですらあまり交流がないこともある。異母腹だとほぼ絶無だ。


 一緒に住んでないことだって珍しくないからね。もっとも信秀さんは朝夕の食事を定期的に一緒に取るなど、以前の暮らしとは変えているが。


 お市ちゃんもロボとブランカの子であるてうつきと弟や妹を連れて、城の庭を朝晩散歩しているんだそうな。


 そんなお市ちゃんと吉法師君が並んで絵本を読むのを見ていると、微笑ましいものがある。


 血を分けた肉親が争っても家を残さなければならないこともある。でもね。協力して家を残すという道もあると思うんだ。少なくともこれからの織田一族は、一致結束していかなければならない立場だ。


 織田家のお家騒動のせいで天下が荒れるということだけはあってはならない。


「若君も姫様も麦湯と菓子でも如何ですか?」


 同じ絵本を何度も読んでとせがむ吉法師君に、お市ちゃんは三回ほど読んであげたが、そんな時にお清ちゃんがお菓子を持ってきてくれた。


「かし!」


「尾張芋団子でございますよ」


 吉法師君とお市ちゃんの目が輝いた。今日の菓子は尾張芋団子と呼ばれているが、実質はスイートポテトだ。スイートポテトの丸く形を整えたものになる。表面にはゴマをまぶしているのでゴマの風味もいい。


 主材料のサツマイモが尾張の小豆芋と呼ばれていることから、尾張芋団子といつからか呼ばれている。


「さあ、手を洗いに行きましょう」


 吉法師君はすぐにでも食べたい様子だが、お市ちゃんは食事の前には手を洗うということを徹底しているので残念そうに従い洗いに行く。


 そんなふたりを見てお清ちゃんもクスッと笑った。


 このまま人を思いやり助けることの出来る大人になってほしいね。



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