第957話・総奉行の苦労

Side:久遠一馬


 大評定が終わると清洲城では平常業務の日々が始まる。一般的には松の内であるが十五日も休む余裕は織田家にはない。


「久遠殿は余裕そうで羨ましい限りだ」


「商いはウチの本業ですし、家臣が揃っていますから」


 新体制で特に四苦八苦しているのは、総奉行に就任した氏家さんと勝家さんだった。ふたりは現状では仕事を捌けないのでオレたちで手伝っている。


 正直、新体制で一番余裕があるのがオレなのは間違いない。商務総奉行の仕事でも資清さんや湊屋さんが活躍してくれるし、エルたちもいる。伊達に織田家をここまで支えてきたわけではない。


「家臣か。槍を持たせると働く者はおるがな……」


 氏家さんは西美濃衆の中で抜きん出て出世した。臣従した時期が早かったことと、織田の統治に積極的に関わり働いたことが評価された。とはいえ氏家さんの家自体はそこまで変わったわけではない。


 氏家さんの家臣も平時は田畑を耕していることが多く、領地整理で田畑を手放した家臣はいるが、それでも賦役の監督など織田家の下で働いているのであって、文官がメインの家臣が増えたわけではないらしい。


 勝家さんも同様だ。隠居していた年配の経験豊富な家臣など連れてきて仕事を覚えさせようとしているが、まあすぐには上手くいかないよね。


 犬山城城主であり信秀さんの一つ下の弟である信康さん。彼は内務担当で以前から働いていたので一番役目に慣れているだろう。とはいえ内務全般と訴訟関連も担当なので、そもそも大変な役目だ。


 工務総奉行の義龍さん。斎藤家嫡男という立場と、清洲城での実務や美濃わら半紙の製造の成果を評価された。ただ、工務は中心となる工業村が、引き続き織田家直轄事業となっている。


 ほぼウチの管理で工務に任せるのはまだ無理だろう。ちょうどいいので縦割り行政にならないように新体制を運用していく必要があるだろう。


 伊勢守家の信安さん。彼が産務総奉行になったのは、焼き物村の設立と運営の結果を出したからでもある。もっともあそこもかなりウチで関与したので、すべてが信安さんの手柄とは言い難いが、文官気質であることや一番の適任者であることもあっての就任だ。


 産務。これもね。当面はウチでフォローと計画立案しないと迷走するだろう。元の世界のように産業がすでに成立した時代と違い、尾張では依然として試行錯誤の日々だ。現状では主に水産と畜産だが、特に畜産関係はほぼウチの独占となっている。


 ただ牧場は美濃に新たに作る計画があるので今後は期待したいところだ。


 全体としては仕事の分担と連携。これがまあ難しい。この時代だと出来る人が一手に引き受けるなんてことも珍しくないからね。その人が亡くなるまで、その仕事の価値を理解してなかったなんて話も史実にはあったはず。


 毛利隆元とか、大内家で学んだ統治を知る男として、史実では大きくなった毛利を内政面で支えていた。彼ならばと信頼する商人なども多かったと聞くが、父親の毛利元就や弟の吉川元春や小早川隆景はあまり理解してなかったという逸話もあった。


 ただね。織田家は今までもみんなで頑張ってきたんだ。力を合わせて協力すれば出来ると思う。人を育てるという意味ではウチも出過ぎずフォローするように頑張ってきたんだ。


「久遠殿……この件は……」


「ああ、それはですね」


 賦役の統括をする土務の氏家さんも大変だが、農務総奉行の勝家さんも大変そうだ。新農法とその効果、また技術秘匿など難しい案件もある。


 とりあえず勝家さんにはそれらの仕事を覚えることと、北伊勢の田畑の概算から、この春に作付けする田畑に必要な人員と物資と割り振りの私案を見せて、検討を頼むことにした。


 北伊勢では寺領以外の田畑を取り上げている。この春までに人を配置し直すことは無理だろう。検地も時間が掛かる。ちょうどいいので賦役による農作業のテストもすることにしたんだ。


 共産主義みたいで個人的にはあまり好ましくない手法ではあるが、緊急時や領地が整うまでは必要な措置だ。まあ本領である尾張では、村単位ですでに新農法を求めたり試行錯誤して競争原理が働いているので、そこまで心配することではないが。


 この件、賦役は土務に当たるので氏家さんとの協力も必要だ。人員を何処から北伊勢に移すか。現状でも北伊勢に駐留する軍でやるのかなど、検討課題はいろいろと残してある。


 こちらの私案はウチでメルティと資清さんと一緒に立案した。基本的に現状でも織田家のいろいろと新規の提案をしているのはウチだからね。総奉行になる人たちは知っていることだ。


「それにしても、銭とはあるところにはあるものなのですな」


 ああ、氏家さんと勝家さんが一番驚いたのは織田家の財政だろう。さっき仕事の前に簡単に説明したが、唖然としていた。


 戦に勝てばいいとかそんなレベルじゃない。放っておくと金蔵が足りなくなるレベルだ。無論、銭を後生大事にしまうなんてしてないので、その心配は無用だが。


 まあこれからは銀行業務が始まるので、その分の銭は常に用意しておく必要はあるけどね。


「領内に出回る銭の量は、織田家で把握しておく必要があります。銭の価値が急激に高くなっても安くなっても駄目なんです。ただこの件は領内で収まりません。銭は領地を越えて動くので」


 ぽつりと呟くようにこぼした勝家さんに再度説明をすると、信康さん、信安さん、義龍さんの三人が苦笑いを僅かに浮かべながら、勝家さんと氏家さんを見守っている。


 ウチで大量に銅銭を持ち込んでも、緩やかではあるがデフレ傾向であることに変わりはない。尾張の良銭の価値は上がる一方だし、逆に堺銭などの悪銭や古い鐚銭の価値は下がる一方だ。


 宋銭、明銭。畿内は宋銭が人気で関東は明銭でも喜んでくれる。ある程度混ぜて造って尾張に持ち込んでいるが、総じて良銭ならば価値は高い。


 経済圏が広がると織田の強みになるが、面倒を見ることにもなる。なかなか難しいことだ。


 銭の価値を安定させる。その一点で言えば必要なのは理解してくれる。ただ具体策やなぜという疑問が尽きないのが本音だろう。


 畿内辺りだと未だに悪銭や鐚銭も多いからね。朝廷や石山本願寺くらいだといいが、堺とか比叡山とか高野山とか、織田と縁がない勢力は資産の価値が下がっているとも言える。


 静かなる戦いはすでに始まっているとも言えるんだよね。


 まあ現状だと、ただ商いをしていればいいというわけではないと理解してくれれば十分だ。


 課題や疑問をひとつひとつ解決していくだけだね。


 ああ、そろそろ官位を与えるために朝廷の使者が来るんだよな。そっちの受け入れ準備もしないと。武家伝奏。朝廷の使者として武家との取り次ぎが役目の人。北畠家からの情報では、広橋国光さん。従二位の権大納言の殿上人なんだよね。オレは名前も知らなかったが。


 相応の接待が要る人だろう。



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