第952話・新年会の変化

Side:シンディ


 女衆の新年の挨拶も、適度に緊張感のあるものですわ。武衛様の御正室はあまり政治に興味を持たれぬお方。女衆を束ねることなどはすべて土田御前様がしておりますわね。


 この時代の武士の妻の立場は、一言ではいい表せないものがあります。家同士の繋がりとして嫁いだ身であり、人質としての立場もあり、時には実家の利益と立場を主張しなくてはならない立場でもあります。


 無論、嫁ぎ先の家の女として子を産み、家を支える必要もありますわ。自らの収入源である所領、この時代では化粧料とも言いますが、それを持つ事もありますわね。


 男でさえ自らの所領を出ることが少ないこの時代、女は城に籠ることが多い。出掛ける先が寺社くらいしかないとも言いますが。


 ただ、尾張ではそういったこの時代の一般的な様子から変わりつつあります。烏賊のぼり大会、観桜会、花火大会、武芸大会と一年を通してイベントがあり、茶会、能楽鑑賞、宴と、男女共に参加するイベントや女衆だけのイベントなどいろいろあります。


 評判は上々でしょうか。当初は城を空けることに不安の声もありました。夫婦共に城を空けると乗っ取られるのでは? そんな不安がないわけではありません。


 もっとも織田の大殿がそのようなことを許すはずもなく、留守に乗っ取りを企んだ者は弁明すら許さず処刑されました。


 領地を空けても大丈夫だと知り、国人や土豪も領地整理で身軽になったこともあるのでしょう。清洲に屋敷を持つ者が今も増えています。夫婦そろって清洲で文官や警備兵として働くことも決して珍しくはありません。


「桔梗の方様、お久しぶりでございます」


 新年の挨拶が終わると新年会ですわ。料理と酒はもちろんながら、甘味や紅茶も用意されています。そこまで堅苦しい場ではなく和やかな女子会という雰囲気でしょうか。


 この女衆の集まりは私たちが原因。格式と礼儀を重んじる挨拶と比較すると驚くほど和やかな雰囲気と言えますわ。


「近頃はいかがかしら?」


「ええ、もう子らは元気で元気で」


 私は女衆との付き合いは多いですわ。久遠流茶の湯の指南、紅茶や抹茶の煎れ方から客人のもてなし方などを教えることが多いからでしょう。医師として往診に出向くケティと同じくらいに付き合いは広いはず。


 久遠流茶の湯、どちらかといえば元の世界のアフタヌーンティーやガーデンパーティーに近いのかもしれません。この時代の価値観と形を基本としていますが、私たちの影響で男女共に楽しむのが作法として定着していますわ。


 この時代の頃から畿内や堺で流行するはずの侘び寂び文化は、織田領ではほぼ見かけませんね。自然の趣と侘び寂びの心で楽しむ個人は多少いるようですが、作法として重んじられるには尾張では権威も格式もありませんからね。


「子はそのくらいでよいのですよ。そろそろ学校に行かせてみるのもいいと思いますわ。多くの師と友が子らの明日には必ず役立ちます」


 奥方の皆さんと会話を交わす。これもまた織田家には必要なこと。長年対立していた尾張、美濃、三河とそれぞれ違う国の者たちがひとつになるには大切なことでしょう。


 それにこういう場では、忍び衆でさえ調べてこられないような面白い情報が聞けることもあります。


 この奥方は西美濃の国人の奥方ですが、北近江三郡に実家がありそちらの話を教えてくれました。


 六角の締め付けが厳しく不満が溜まっている。管領の細川晴元が謀をしているようで、そちらに期待する声があるとのこと。北近江の元守護家である京極家も未だに旧領奪還を諦めていない様子。


 そんなところでしょうか。


 中でも北近江の民が美濃に逃げ出す者がちらほらと出始めたという情報は、なかなか重要ですわ。


 伊勢ほど餓えるということではないようですが、野分の被害が大きかったところや、惣村に嫌気がさして逃げ出す者がいるとか。


 あちらは関ヶ原までいけば賦役で食べていけると広まっているようです。原因には領外からの流行り風邪の患者に対して、治療費代わりに働かせたことが影響しているようですが。


 今年も昨年と同じく穏やかなままでは終わらないのかもしれませんわね。




Side:久遠一馬


 堅苦しい新年の挨拶も終わると、皆さん待っていましたと言わんばかりの顔になる。この新年の宴を楽しみにしている人は多いと聞いたことがある。


 織田一族や重臣クラスになるとそれなりに食生活も変わっているが、国人や土豪となるとそこまで劇的に変化しているわけではない。なによりも新年会で出るような料理は他ではまず食べられないものが多いからね。


「あの方は……」


「ああ、北畠家から挨拶に参った者だ」


 ふと知らない人がいるなと思い誰かと考えていると、信長さんが教えてくれた。本来、新年の挨拶とは目下の者が目上の者に挨拶に行くのが通例だ。ただし北畠家には昨年の一揆の折に水軍を援軍として出している。その返礼もあって新年の挨拶に使者が来たようだ。


 あとは東三河の国人や土豪からも代理の使者が結構来ているようだ。今川に遠慮してさすがに当主自らが来たところはないようだけどね。


 信秀さんは三河守だから名目はある。というか遠江攻めが近いと考えている人が意外に多いのかもしれない。


 料理は伊勢エビの入った雑煮があるね。縁起物の干しアワビなどに干し椎茸、餅菜とかも入っていて具だくさんだ。丸餅は焼いてないか。焼くというのが城を焼くということに見立てられてあまり縁起がよくないと言われるからだろう。


 料理には鯨肉とかカズノコもある。これも美味しいんだよなぁ。大根、牧場村で冬菜と呼ばれている小松菜、もやし、白菜もあるな。今年は結構野菜が豊富だ。特に青菜野菜があると料理が華やかでいい。


 しかし、うなぎの蒲焼きと骨せんべい、肝吸いもあるのは何故だろう? 縁起物ではないんだけどな。まあ、うなぎは冬が旬になる。ちょうどいいと言えばちょうどいいが。


「ああ、美味しい」


 雑煮を一口食べると思わず声が出てしまった。美味しいなぁ。出汁も出ているし塩加減も絶妙だ。喉を通る時の幸福感は格別だろう。


 そういえばマドカが驚いていたっけ。昨年の大内義隆さんの法要の時、料理をエルに代わり手伝ったが、清洲城の料理人の腕前が上がっていたことに驚いていたな。


「大根も美味いな。北畠家からは礼と共に良ければ売ってほしいと文がきておるぞ」


 信長さんは昆布や烏賊の干物と煮込んで味の染みた大根を口にして笑みを浮かべつつ、大根の話を始めた。


 本当、大根の評判がいい。北畠家には昨年の師走に視察に来た時におでんで出したし、たくわん漬けをお土産として持たせたからだろう。


「そうですか。では幾らか譲りますよ」


 これ来年は作付面積をもっと増やさないと駄目だな。まあ幸いなことに農業指導は引く手数多だ。塩水選とかすぐに出来ることは領内では普及しつつある。大根を作りたい人もすぐに見つかるはずだ。


 米も来年からはF1種から切り替えたほうがいいのかもしれない。


 ウチが持ち込んだ品種である南蛮米。冷害や病害虫に強く収量も多い。味は元の世界の一級品より少し劣るが、なにより育てやすさを優先した品種だ。他国への流出防止のために今まではF1種でウチが種籾を管理していたが、領国が広がり南蛮米の作付けも増えて種籾の輸送も大変になりつつある。


「ガハハハッ」


 ふと考え事をしていたら笑い声がした。みんな楽しげだ。


 酒が飲めない人にと麦湯、温かい麦茶や紅茶に甘酒や冷やしあめなども振舞われている。これ実は信長さんの指示だと聞いた。最近は少しずつ飲めるようになったが、あまりお酒が得意ではないことで、飲めない人には違うものを出すようにしたんだとか。


 良くも悪くもウチの考えに染まっている信長さんは、古い慣例も変えるべきところは変えてしまえと考えている。


 まあ実際、これ評判がいいと聞いた。いるんだよ。お酒を飲ませたがる人とか飲めない人を軽んじる人が。


 変化もありつつ、宴という楽しみは変わらない。この加減がうまくいっているうちは、織田家は安泰なのかもしれないね。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る