第951話・遠きを訪ねて

Side:北伊勢の元国人


「何故、わしがこのようなところに……」


 また始まった。愚痴を言いたければ己の家臣に言えと何度言うても聞かぬ愚か者。斯波と織田どころか、北畠や六角にも見捨てられた我ら北伊勢の者が頼るのは若狭の管領様しかおらぬというのに。


 何故だと? 一揆も抑えられず己の領地を守れぬ無能者など何処も要らぬということ。それが何故わからぬのか理解に苦しむ。


 年明けて二日、昨日は若狭に着いてから世話になっておる寺が、我らを憐れんで餅を食わせてくれた。世話になる礼をするにも六角から借り受けた銭も残り少ない。見るからに追い詰められておる我らが野盗にでもなるのではと危惧されておるのだろう。


「ええい、貴様の愚痴など聞きたくないわ!」


 愚か者がめそめそと泣き出すと、気の短い男が刀を抜いて部屋から追い出した。


 途中で伊勢に戻り帰農すると去った者もおれば、公方様と六角のあまりの冷たさに怒り観音寺城の門の前で腹を切った者もおる。同行する者らと喧嘩をして斬られた者もおる。ああ、寒さから朝起きると冷たくなっておった者もおるな。


 供の者も合わせて百数十名はおった我らだが、すでに百を切っておる。


 小者でもよいからと織田や六角に仕えると残った者もおるが、奴らのほうが正しかったのかもしれぬな。


「管領様が謀られたのは明白なのだ! なんとしても我らの窮状を訴えねば死んでも死にきれん!!」


 共に若狭まで参った者は一縷いちるの望みを持ってきた者か、この者のように返答次第では一矢報いてやると意気込む者だ。


 この男は聞けば公方様の奉公衆の家なのだという。もっとも公方様の下に馳せ参じたこともなければ、目通りを許されたこともない。奉公衆そのものがすでに存在しておらぬのだ。公方様も見捨てるわけだ。


「ゆくぞ!」


 この日、ようやく我らは管領様に目通りが叶う。昨年末に若狭に着いた我らは、目通りを頼むために管領様がおられるという若狭の守護、武田様の館に参ったが、側近に「己らなどに用はない。帰れ」と追い返された。


 あまりの扱いに怒る者や騒ぐ者がいたせいだろう。武田様の計らいで年始の挨拶ということで特別に今日、目通りが許されることになった。


 もっとも我らはそれぞれが別の思惑がある。気の短い男は返答次第ではその場で管領様を亡き者にすると毒を手に塗っておるほど。


 止めたいところもあるが聞く男ではない。こちらに累が及ばぬようにせねばならぬな。




「何用か?」


 年長の者が我らを代表して年始の挨拶をするが、管領様のお顔は御簾があり見えぬ。側近どもはまるで汚らわしいものでも見るかのようにしておるわ。


「はっ、我らは……」


 そのまま年長の者が我らの現状を訴え、管領様のお力でなんとか領地の奪還をと嘆願をする。ただ側近からは笑い声が微かに聞こえた。いや、御簾の向こうからも聞こえた気がする。気のせいだとよいが。


「管領様はそのようなことは一切存ぜぬこと。公方様を不当に軟禁して天下の政を己がものとせんと企む六角の謀であろう。六角に訴えよ」


「我らには管領様の書状もあるのですぞ!! 一揆を起こし六角と織田を叩けという書状が! さらに己の力の及ぶ地で一揆を起こす者がおるはずがない! 今まであちこちで謀をしておられる貴方様の所業と伊勢でも近江でも評判だ!」


 そう、我らの中には六角で処刑された三雲殿の使いが持参した、管領様の書状を持っておる者もおるのだ。


 気の短い男はそれを手に見せて御簾の向こうの管領様に詰め寄るように大声を上げた。


「無礼者が! 己の領地さえ守れぬ愚物の分際で!!」


 側近はそんな男に怒りの声をあげると、すぐに兵が周囲の部屋から入ってきて我らには槍が突きつけられた。


「わしはまことに知らぬのだ。それにの。その方らがまことに北伊勢の者かわからぬ。すぐにわしの前から消えろ」


 初めて聞いた管領様の声はとても冷たく、我らを虫けらの如く見ておるのが声だけでわかるほどだった。


 気の短い男も槍を突きつけられては如何ともしようがない。殺してやると睨みつつ、我らの管領様との短い目通りが終わった。





Side:久遠一馬


 元日はそのままみんなで過ごした。昨年の正月と比較して変わったこと、変わらなかったこと。いろいろある。大武丸と希美が人気だったのは言うまでもないが。


 お昼前からは今年も孤児院の子供たちも呼んで、ウチらしく賑やかな一日だった。


 そして翌二日、清洲城に新年の挨拶へと行く。


 エルは大武丸と希美のことがあるので、今年はメルティ、ジュリア、セレス、ケティ、シンディ、リンメイ、リリーの七人と一緒だ。


「人も馬も多いね」


 清洲城の門を潜ると各地から集まった家臣たちの馬や奉公人がたくさんいた。織田家では一昨年から奥方の同行を推奨しているので尚更だろう。


 遠方の家臣も増えた。北美濃なんかは雪が積もるし、新年の挨拶に来るだけでも一苦労だ。新年の挨拶に遅刻は出来ないと、年末のうちに清洲に来て正月は清洲で迎えた人も結構いるらしい。


 当然遠方の家臣に配慮をして命令ではなく、良かったら奥方も同伴でくるようにとの誘いだ。


 もっとも妊娠と子育てなど来られない理由がある者を除いて、ほとんどの家臣が奥方の誰かを同伴したとは思うが。


「じゃあ、シンディ、リンメイ、リリー。そっちは頼んだよ」


「楽しんでまいりますわ」


「女子会というのも楽しみネ」


「そうね。こういう機会はいいものだわ」


 城に入りオレの部屋にて着替えると、シンディたちとは一旦別れる。彼女たちは女衆の新年の挨拶と新年会に出るメンバーだ。


 オレとメルティたちは役職があるから男衆の挨拶に出向くんだよ。義統さんと信秀さんに挨拶して、そのまま新年会があるからね。そっちにも参加するが。


「これは久遠様、明けましておめでとうございまする」


「ああ、奥平殿。明けましておめでとうございます」


 ちょっと挨拶の前にトイレへと行くと、ばったりと奥平定国おくだいらさだくにさんと出くわした。武芸大会以降、しばらく客人として働いていたが、程なくして正式に織田家に仕えることになった人。史実では奥山神影流の開祖となるはずだったんだけどね。


「ジュリアが褒めていましたよ。筋がいいと」


「鄙者故に己の弱さも知らずにいたこと、お恥ずかしい限り」


 文官仕事はあんまり得意じゃないみたいだけど、武芸のセンスはいいとジュリアが褒めていた。もっと鍛えてやるとすずと一緒に笑っていたくらいだ。


「御実家の件、なにかあればおっしゃってください。力になりますよ」


「かたじけない」


 それとこの人、ちょっと面倒に巻き込まれている。実家は東三河亀山城の奥平家の分家であり家臣のようだが、勝手に尾張に来て武芸大会に出たことで、武芸大会のあとには実家から怒りの文が届いたらしい。


 政秀さんに相談して対処したらしいが、年末には本家にあたる奥平家から元気かという文と年の瀬で大変だろうと僅かだが銭も届いたんだとか。


 実家では武芸大会のあとで勘当したようだが、情勢が織田に傾いている三河で本家の奥平家はむしろこの繋がりを歓迎しているらしい。


 まあ正直言うとこの手の話はよくある。西三河や尾張に血縁や親交があるところと交流が活発化しているからね。


 奥平さん本人は正直、この手の問題はどうしていいかわからないようで困っていたが。すでに独立したので実家は無視でいいが、本家とは交流をしつつ様子をみることにしたらしい。





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