第953話・久遠家の新年の挨拶
Side:久遠一馬
人生において区切りといえるタイミングが幾つかある。ただ、新年の区切りが一番多い区切りではとふと思う。
この年明けにも元服する子が何人もいる。知っている子もいればほとんど知らない子もいるが、祝いの品は全員に贈ることにしている。
夢と希望を持って生きてほしいが、現状ではまだまだ世の中が変わったとは言えない。嫡男や長男は家を継ぐことを当然と考えるし、次男はそのスペア扱いだ。三男以降は家のために働かされることも多い。
職業選択の自由に該当する文を分国法に入れてあるが、まあよほどのことがないと職業を変えることはしない。そもそもこの時代だと職業は個人というよりは家単位で決まっている。
それが身分となり秩序となるので一概に否定もしないが。
リリーなんかは残念がっていることでもある。優秀な子も家の事情で勉強を辞めて、大人として働くことになり学校に通えなくなる。武士として世の中のために働くのならばまだいい。武士の郎党とか農民だと学んだことを生かせないこともある。
身分の低い者に勉強など必要ないという意識も根強くある。郎党とかだと主の武士が優秀過ぎる成績に不快に感じることもあるし、農民だと村の秩序を優先して読み書き計算くらいでいいと考えることもある。
アーシャは沢彦さんたちと共に、身分の低い子に教育を続けさせるような制度の検討に入った。社会の現状でそう簡単ではないだろう。とはいえなにかしらの手は打ちたいね。
さて新年明けて三日、新年の挨拶に来てくれる人たちでウチの屋敷も賑やかだ。初めの正月はここまで挨拶に来てくれる人たちがいなかった。久遠家が大きくなっていることもあるが、やはり身分が上がると増えるんだろうね。
「明けましておめでとうございます」
ちょうど挨拶をしてくれているのは湊屋さんと、息子さんの彦五郎さんだ。もちろん湊屋さんは重臣待遇だ。尾張の経済と流通には欠かせない人でもある。息子の彦五郎さんは蟹江の町の商いと商人を束ねる役目を担ってもらっている。
「明けましておめでとう。人が多いけどゆっくりしていって」
「ありがとうございます。如何なるのかと案じておりましたが、平穏でよき新年でございますなぁ」
しみじみと語る湊屋さんに同意する。一揆が起きたと聞いた時はどうなるかと思ったよ。一揆勢は喰うか喰われるかだ。正月なんて関係ないし。
湊屋さん、戦はわからないというしね。心配していたんだろう。一向一揆とは違うが、長々と争い泥沼の可能性も十分にあった。
みんなホッとしているのが本音だと思う。
「あけましておめでとうございます。先日は藤吉郎が御無礼を致しました」
次にやってきたのは、同じく重臣待遇で織田家職人頭でもある清兵衛さんだ。こちらは先日の藤吉郎君のゴムの一件で平謝りだね。あのあとすぐに清兵衛さんから謝罪をされたのでもういいことなんだけど。
藤吉郎君、他人の技や知恵を得ようとする時は命を懸けろと叱られたらしい。本来の職人は一子相伝だったり限られた弟子にのみ技を教え伝えるもの。弟子でさえも勝手に技を盗めば腕を切り落とされるなんて話もあった気がする。藤吉郎君の動きは職人としては大問題だったのだろう。
「ああ、あの件はいいよ。いずれ教えようと思っていたことだから。しかしあれに気付いたのが若い藤吉郎殿だとは驚きだね」
「はっ、若い者は若い者なりに考えております。藤吉郎は職人の厳しさを少し知らぬことで御無礼も働きましたが、その分、機転が利く男。必ずや御家の役に立ちましょう」
厳しく叱ったが、藤吉郎君を同時に庇ったのも清兵衛さんだった。愛されているな。藤吉郎君。
己の技を発展させていこうという概念はこの時代でもある。とはいえ領国全体のことを考えて、いいものを如何に発展させて量産するかとまで考えている職人は清兵衛さんたちの他にはいないだろう。
「殿! あけましておめでとうございます」
続けてやってきたのは、織田家船手奉行でもある善三さんだった。元はウチの船手奉行だったが、織田家の南蛮船となっている南蛮人から拿捕したキャラック船を分解し改造して組み立てたことで、織田家の船手奉行に出世している。セレスたちと同じで立場はウチの人間なんだけどね。
「あけましておめでとう。近頃はどう?」
「へい、新造南蛮船。直に進水出来ると思います」
造船は相変わらず久遠船が中心だが、織田家の事業として新しい南蛮船の建造も進めていた。水密構造や衛生面や居住性をある程度考慮したものだ。基本設計は鏡花が行なったので大丈夫だろう。
北畠家の水軍放棄にはこれも関係していると見ている。造船所は部外者には見せていないが、蟹江は日ノ本でも有数の港町になっている。造船関係者だけでも大勢の人が働いているからね。南蛮船を造っているという情報はそうそう隠せるものじゃない。
「そうか、楽しみだな」
造船用の旋盤を設けてから造船スピードは上がった。材木を乾燥させるのに日数が必要であることなど課題もあるが、経済力を背景とした造船は日ノ本一だろう。
もっとも船というのはメンテナンスが必要になるものだ。量産した久遠船のメンテナンスは蟹江と知多半島の大野でしか出来ない。それもあって船大工たちは忙しい日々らしいね。
善三さんも隠居しようとしていた人とは思えないほど、充実した顔をしている。今後も無理をしないで頑張ってほしい。
「明けましておめでとうございます」
ああ、次は山の村の長老さんだ。わざわざ山の村から来てくれたのか。この寒い日に。
「なかなか顔を出せなくてごめんね」
山の村、今は正月なのでゆっくりとしているだろうが、炭焼きの技を美濃などの山村に教えることにしたので、あちこちに出向くこともあり忙しいだろう。
彼らは滝川家の家臣という扱いだ。身分がないと何処に行っても軽く扱われるからね。少なくとも織田領内なら滝川家家臣はそんな扱いは受けない。
現在、炭、木酢液、椎茸、マッシュルーム、寒天、山の村の特産品は思い付く限りでもこれだけある。この他にも山菜や山芋やきのこなど、季節の食材を収穫しては送ってくれる。
養蚕の準備は山の村をつくった時からしていて、桑の木もある程度育ったものを移植するなどしてきた。今年からは養蚕のテストがようやく始められる。
「いえ、村は我らにお任せを」
椎茸も尾張から栽培場所を増やすべく検討している。場所はやっぱり知多半島が有力なんだけど。
陸の孤島である知多半島。不便だし水利が悪くて田んぼも作れない。水軍でなんとか食べていたような地域。ほんと、機密を守るにはあそこほど最適な場所はない。
裏切り裏切られるのが当たり前なこの時代で、鉄の掟のように機密を守るのは驚異と言えるほど。実はごく一部の不届き者が勝手にジャガイモとサツマイモを持ち出そうとしたが、村で処刑されたと報告があった。
食えるようにしてくれたのがウチだという認識が強い地域で、裏切りは死をもって処罰すると厳しい掟がいつの間にか出来ていたみたいだ。
おかげで尾張でも有数の変わりつつある地域だけど。
「ゆっくりしていって。今日はいろんな人がいるから話をするだけでも楽しいよ」
こうしてみるとウチで始めたことも成果がいろいろ出ているね。今日はとことんみんなを労って楽しませてあげよう。
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