第948話・それぞれの年末
Side:北伊勢の領民
見上げるとちらりちらりと雪が降ってやがる。寒いわけだ。
「まさか三河で年越しを迎えるなんてなぁ」
同じ村で育ち一緒に一揆からも逃げて生き延びた友が、ゲルっていう布の家の中で火に当たりながらそうこぼした。
三河なんて辛うじて噂を聞くくらいの遠い国だとしか思ってなかった。おらたちはそんな三河の矢作川で、昨日まで賦役をしていた。今日から年明けまでは休みだそうだ。
「極楽浄土は寒くねえんだろうか?」
雪を見ていると思い出すのは故郷の村だ。一揆と称する近隣の村の連中に、突然夜中に攻められた村だ。長老衆は殺され、奪えるものはすべて奪われた。おらのおっ母もおっ父も。みんな。
ようやく一揆だと騒いでいた奴らが逃げていって村に戻ると、村を襲った連中がおらたちの村を勝手に占領していた。もっとも奴らは生き残った村の和尚様が織田様に訴えてくださったおかげで捕らえられたけどな。
「寒くねえといいな」
暖を取る薪や炭どころか種籾すら奪われ食われた。おらたちは生きていくために織田様の
友も迎えたばかりの嫁と子を亡くした。泣いて泣いて涙も枯れ果てた。そんな様子だ。
「おーい、餅をつくぞ。手伝え」
なにも話す気も起きねえで、ただ火に当たっているとおらと友が呼ばれた。外に出ていくと同じく伊勢から来た奴らが集まっていて、あちこちで餅つきの支度をしてやがる。
「もち米なんてよく買えたな?」
「買えるわけねえだろ。織田様から頂いたものだ。皆で食えとな」
賦役の銭で食うには困らねえが、もちなんて食えると思わなかった。野分で田んぼが駄目になって一揆で村が焼かれたからな。
喜び笑っている奴もいれば、泣きながら支度をしている奴もいる。もう一度だけでいい。おっ母とおっ父と一緒に餅が食いたかったな。
落ち着いたら村の連中と一緒に供養してやらんと浮かばれんだろうな。
今年も終わりか。
こんな悪夢のような年は早く終わってほしいな。
Side:吉良義安
久方ぶりに戻った領地は信じられぬほど変わっておった。野分により矢作川が氾濫したことで無残な姿になっておった故郷は復興されつつあり、伊勢の民らが住まうゲルなる布の家が立ち並んでおった。
「殿、よう戻られましたな」
出迎えに来た家臣に案内されて懐かしき城に戻る。心なしか家臣らも以前とは違うように見える。今では民と共に賦役で汗を流す日々だという。
『先陣を駆けるつもりで働かねば居場所がなくなる』。久遠家の奥方にそう言われたそうだ。すべては弱い己らの不徳と従っておったが、その意味を家臣らはすぐにわかったという。
領内の民らは皆で銭を集めて、久遠殿の子が生まれた祝いを持参したと聞く。この冬を越せるかすらわからぬ民がだぞ。久遠殿に今も皆が感謝しており、子が無事に育つようにと祈るほどだとか。
以前の領内を思うと、あり得んとすら思うほどだ。
久遠殿もわざわざ三河から祝いを持参したことを喜んでおったという。先日には返礼にと混ぜ物の入っておらぬ金色酒が民に贈られたと騒いでおったらしい。
ここは久遠殿の領地になるのでは? そう期待しておった者が大勢おったと先ほど家臣らに聞いた。
最早、わしが声を上げても兵は集まらぬだろう。織田の恐ろしさが心底わかる。
「殿、人質暮らしは、さぞご苦労をされたでしょうな」
「人質とは言えぬな。織田の家臣として仕えておっただけだ。困ったことはなかった」
城は変わりなかった。留守中も家臣らが守ってくれておったようだ。西条吉良家の家臣らの切腹と一族郎党の流罪、それがよほど応えたらしい。先代の東条吉良の血筋である荒川も滅び、最早抵抗する気すら失せたというのが本音か。
家臣らはわしを人質暮らしと言うたが、厳密には違う。織田は最早吉良家に人質が必要とすら思うておらぬ。早う織田の治世を学び働かねばわしも居場所を失う。それだけのことであった。
「
「はっ、命じられたまま大人しくしております」
「そうか、ならばよい」
東三河が揺れておる。守る気のない今川に見切りを付ける者が続出しておるのだ。清洲の大殿からは悪いようにせぬので今しばらく大人しくしておれと命じられた。
もっとも大殿はあまり領地が広がることを喜ばれぬ。織田は先ごろ北伊勢にまで領地が広がったことで忙しかったこともあろうが。
斯波家の悲願といえる旧領奪還。それも近いのではと清洲でも噂になっておったが、武衛様も大殿も今はその気がないようだ。
よくお二人で酒を酌み交わし、茶を飲んでおると聞くほど。
「今宵は久方ぶりに皆で宴に致しましょう。皆、殿のお帰りをお待ちしておりました」
「ああ、それは楽しみだな」
不肖の弟は清洲に置いてきた。西条吉良家の城は織田に召し上げられ家臣らもすでにおらぬ。ここ東条吉良の城は弟にとってあまり居心地がいいとは言えぬ故にな。
大殿に無礼を働いた乱心者。そう囁かれることもあるのだ。出家して寺におるので三河に戻るよりは寺で年を越すほうが良かろう。
家臣らを労ってやらねばならんな。苦労をしたのであろう。
来年はいい年になるとよいが。
Side:神戸利盛
年を越せる。そのことに安堵しておるのは武士から民まで変わるまい。領内の寺ですら寺領を一揆勢に荒らされて困っておったほどだ。
北畠の若殿の差配により、なんとか織田に人を出すことで食い物を手に入れることが出来た。あれが北伊勢の一揆の理由だとしても背に腹は代えられぬ。
愚か者はすぐに戦だと叫ぶが、万を超える兵を集める織田と軽々しく戦など出来ぬ。北畠家に従い生きるしかあるまい。御所様は若殿に家督を譲るという。すべて任せるわけではあるまいが、これからは若殿が北畠家を動かすのであろう。
若殿は伊勢を如何するおつもりなのであろうか。中伊勢の長野は遠くないうちに攻めるおつもりのようだが。長野を従え、神戸や関を地続きにして守る気か?
織田領となった北伊勢と境になる土豪などは、いっそ織田に臣従をしたほうがよいのかもしれぬという声すらある。
すでに一揆の混乱で多くの民が織田領に逃げ出してしまったところがあるのだ。領地を守ることすら叶わぬとわしに泣きついてきたところもある。
若殿にはそのあたりはすでにお知らせをしておるのだが、如何するのか。
「織田は怖いな」
筋を通せば助けもくれるし野分の時は知らせもくれたが、あまりの力の差が怖いわ。機嫌を損ねれば桑名のように無視され商人すら寄り付かなくなる。
北伊勢の国人や土豪などは賦役に人を出して礼金を貰っておったことから助けてくれると安易に考えておったが、織田は冷たかった。
一揆が織田の謀かという声は今も密かに囁かれることだが、仮に事実だとしてそのようなことをされるほうが悪い。文句があるならば領地を恙なく治めればよいのだ。
本家の関家とは考えの違いが大きくなっておる。他の北畠方の国人はすべて尾張に賦役の人を出して食べ物を得たが、関家だけはそれは不要と断った。
久遠殿に祝いの使者も送っておらぬらしい。織田の若殿の嫡男の時も祝いの使者を送らなかったことを理由に必要ないと考えたようだがな。
無論、長野との戦には馳せ参じると言うておることから、北畠家に逆らう気はないようだが。若殿は扱いに苦慮されておるのやもしれぬな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます