第945話・藤吉郎君、叱られる

Side:久遠一馬


 天文二十一年も残り僅かとなった。年の瀬ということもあり、尾張ではみんな忙しく働いている。


「困ったね」


 そろそろ落ち着いてほしいのだが、東三河が揺れているというか動いている。一言で言えば今川はもう見限られているんだ。


 戦をしても今川に勝ち目がないのは明らかだ。それ故に西三河から撤退して甲斐を攻めている今川だが、弱いところに従いたいと思うほど今川に思い入れがある国人は多くない。


 一応織田の臣従条件は伝えているが、それでも検討しているというのだから余程のことだろう。


「遠江攻めの検討もしているわ。でも……」


 メルティの表情も困ったと言わんばかりだ。事が三河で終わればいい。怖いのはなりゆきで遠江攻めをしないといけなくなることだ。今川がいつまで織田との戦を避け続けるかはわからない。


 失うわけにはいかないとなると、勝てないことを承知で戦になることも十分あり得る。一旦今川と戦端が開くと織田は遠江まで攻める必要が出てくるだろう。そうすると武田と今川の戦にも影響もある。東三河・遠江・駿河・甲斐・信濃。影響は大きい。そのうち甲斐と信濃は面倒事も多くて、すぐに統治する必要も旨味もない土地だ。


 さらに将軍足利義藤さんは味方をしてくれるかもしれないが、これ以上織田が大きくなると周囲の勢力は確実に恐れて警戒する。誰かまとめ役が出てくると史実の織田包囲網のようなものが出来てもおかしくはない。


 細々とした国人や土豪なんて要らないんだが、そうも言えないしね。


 それと北伊勢の梅戸と千種を中心とした六角領では、近江から食料を入れて復興をしている。あちらは捕らえた一揆勢への扱いは苛烈で、死者も多く出ていると報告が上がっている。


 もっとも罪人の扱いなど何処も同じだ。織田領ではなるべく死者が出ないようにしているが、それにしても長く働かせたほうが得だからであって人権や命を守るためではない。


 梅戸も楽ではないだろう。食料などは六角の支援もあるだろうが、大半は梅戸の借り入れのはずだ。放置すると織田領との格差で領地を維持出来ないと知る六角家が動いているので、今後は六角による統制が強まる。


 いろいろ難しい問題が常にある。それが政治だといえばそれまでだが。休憩を兼ねて庭で山紫水明の四匹の躾をしていると、意外な人物が目通りを求めてきた。


「殿! これを使わせてくださいませ!!」


 現れたのは少し興奮した様子の藤吉郎君だった。その手には何故か聴診器がある。


「聴診器がほしいの?」


「いえ、このくだでございます」


 山紫水明の四匹は初めて会う藤吉郎君にお前誰だよと言いたげな様子だが、藤吉郎君が欲しいのはゴムのくだらしい。ゴムかぁ。この時代にはまだ使われていないものだが、病院だけは使っているんだよね。ケティがなるべく人の命を助けたいと言うから。


 ゴム製品は病院では普通に使っている。その特性を知っているのは、ケティたちが指導している曲直瀬さんたち医師や看護師を除いていないはずだった。病院外の人間で最初に気付いたのは藤吉郎君かぁ。


「うーん。いいけど、それまだ工業村の外に出したら駄目だよ」


「はっ、心得ております!」


 ウチの職人頭である清兵衛さんの弟子になっている藤吉郎君は、未だに見習いの半人前扱いだ。とはいえ細かいことに気が付くということでいろいろと忙しく働いている。


 清兵衛さん、ウチのやり方を学んでいるからか、見習いにも定期的にひとりで仕事をさせてそれを評価するということを始めているので、藤吉郎君も鍛冶仕事なんかをしているらしい。


 若い見習いの失敗を見ているのは面白いと前に言っていたね。見習いは職人の技を見て真似をする。それが失敗にもなるが、時には思いもしない結果にもなるって。


 メルティをちらりと見るが、まあゴムはそろそろ解禁してもいいと思っていたころだ。問題ないだろうと笑みを浮かべたので許可を出すことにする。


「あとでそれを作る技を教えに誰か行くから、学ぶといい」


「ありがとうございます!」


 藤吉郎君、楽しそうなんだよねぇ。元の世界では織田に仕官する前に遠江に行ったり、いろいろと苦労をしたらしいが、この世界ではそんなこともなく武士になろうという様子さえない。


 この世の中には不思議なもので溢れている。それはウチの品物とか道具ばかりではない。それに気付き、発見する。それがまた難しい。


 この閃きこそ、天下人にまで昇り詰めた豊臣秀吉の才覚のひとつだったんだろうか?


 ちなみに聴診器は、病院で打撲の診察をしてくれた曲直瀬さんに土下座して借りてきたらしい。当然ながら誰にでも貸すというわけではない。清兵衛さんはウチの重臣扱いだし、藤吉郎君はその甥であり家中でも知られているから借りられたものだ。


「藤吉郎、少しでよい。礼儀作法を学べ。他家の者にそのような作法で話せば恥を掻くのは殿なのだ。それとそのような許しを得たい時には先に清兵衛に申せ。場合によっては清兵衛が後でお叱りを受けることになりかねんぞ」


「ははっ、申し訳ございません」


 話が終わると興奮気味に聴診器を握りしめる藤吉郎を、資清さんがため息交じりに指導していた。職人だしね。そこまで口煩く言う必要はない。とはいえ新たな発見に興奮したらしく病院から直行して許可を得に来たことは、さすがに叱るべきことだと判断したらしい。


 藤吉郎君も言われて気付いたのだろう。失敗したと苦笑いを浮かべている。


「世話をかけるね。八郎殿。でも叱る加減が上手いね」


 藤吉郎君が下がるとオレとメルティは思わず笑い出してしまった。なんというか資清さんって、叱り方がうまい。


「当家には慶次郎もおりますので。あの男は昔から騒動を起こすのでございます。もっとも叱られるだけで済むことしか致しませんが。おかげで叱る加減は覚えましたな」


「なるほど。慶次か」


 人を叱るということは難しい。資清さんは人を束ね指導することが上手いが、その理由には慶次も関係するのか。


「若い者が失態を演じ間違うことはよくあること。それを受け止めてやるのも役目かと思うております」


 本当、替えの利かない人材なんだよね。資清さんって。家中の信頼も厚く、若い家臣や農民出の家臣がよく相談事をすることもあるんだとか。


 俸禄も今では三千貫になっている。そのほかにも役職手当とか成果報酬とか導入したのでトータルではもっとあるけど。そろそろ俸禄の加増を考えてもいいかもしれない。



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