第935話・ハプニングと宴
Side:北畠具教
「申し訳ございませぬ、道を空けてくだされ!」
突然騒がしくなったのは、病院の中を一通り見て回った後だった。
「なにをしておる。道を空けぬか!」
戸板に乗せられた若い男が運ばれてくる。さっと道を空ける尾張の民を見ておるだけの家臣に思わず声を荒らげてしまったわ。
「はっ!」
悪意がないのはわかる。されど己らが邪魔になっておることにすぐに気づかぬことに、ため息が出そうになる。
斬られた傷だな。しかも傷が深い。助かるまい。
「お方様! 急患でございます!」
それでもここの者らは諦めぬ。すぐにお清が声をあげると、現れたのはパメラか。ケティはおらぬのか?
「手術の間に運んで! 縫合手術するよ!!」
『手術』。その言葉はわしも知らんが、日頃は医師どころか童のように笑うパメラが真顔になっておることに驚きを感じる。
「ぐぁぁぁ!」
「暴れないで! おさえて!! 死んじゃう!」
その時運ばれてきた男が暴れた。戸板で運んできた男のひとりを蹴り飛ばし床に落ちそうになる。すぐに運んできた者らと病院の者らが押さえるが、痛みで我を忘れておるのであろう。再度暴れようとする。
「左中将様!」
「わしが押さえる! 運べ!!」
お清も慌てて押さえようとしておるが、少し荷が重い。わしが咄嗟に代わりに押さえると周囲は驚くが、すぐに運ぶのを再開する。
「麻酔と縫合道具持ってきて! 左中将様はそのままお願い!」
麻酔とは如何なるものか聞いてみたいが、そんな余裕はない。わしと若い医師見習いで男を押さえつつ治療を待つ。
「麻酔が効くまで待てない! 縫合するよ! 痛くても頑張って!!」
パメラの言葉で麻酔が痛み止めであろうとわかるが、効くまで待つことは無理であろう。傷が深く血が流れておるのだ。
「助かるのか?」
「わかんない! 辛うじて急所は外れてる! でもやる!」
痛みで我を忘れて暴れる者を押さえながら治療を見る。針と糸だ。まさか人を縫う気か? 思わず声をかけてしまった。
ああ、諦めぬのだな。先ごろケティが伊勢に来た時もそうであった。日が暮れても患者が残る限り夜更けまで診察しておったからな。
「ぐぅぁぁぁ!」
傷口を水のようなもので流すと、男は暴れる。パメラはそのまま、まるで着物でも縫うかのように、見事な針捌きで傷口を縫い合わせていく。見事だ。暴れる男にも手が止まることがないのだからな。
男が大人しくなったのは、縫合手術とやらが終わり薬が効いてきた頃だった。
「若殿、お着物が血で……」
「構わぬ。戦に出れば血で汚れるなどよくあること」
手術室を出ると家臣らが戸惑うた様子で待っておった。そういえばこやつらを案内しておったのだったな。着物に血が付いていたことで如何としていいかわからぬ顔をした。
「すぐに代わりに着物を用意いたします」
「左中将様、ありがとう! おかげで手術は上手くいったよ。あとはあの人次第!」
「なに構わぬ。かつて三郎殿が伊勢で子を孕んだ女を助けたという、その礼だ」
お清が替えの着物を取りに行くと同じく、血で白い前掛けが汚れたパメラに礼を言われた。さほど深く考えて手を貸したわけではない。されど久遠の医術。その技をこの目で見られたのだ。着物一枚など安いものよ。
人を助けるか。あまり考えたことがなかったが、悪い気はせぬな。
Side:久遠一馬
冬の日暮れは早い。東の空に一番星が出る頃、那古野城の広間ではランプに明かりが灯された。
今日はちょっとハプニングがあったみたい。北畠家御一行が病院を見学中に急患が入って具教さんが咄嗟に助けてくれたらしい。
見ていた患者さんたちも、さすがは北畠様だと感心しきりだったようだ。北畠家の家臣の皆さんも驚いたようだが、そんな様子を見て誇らしい気持ちになったんだろう。皆さん気分良さげな様子で那古野城にやってきた。
「なんと傷口を針と糸で縫うとは……」
「ああ、見事だったぞ」
お酒を出すと話題はやはりさっきの患者の話になった。助からないだろう傷の患者を縫合した。この時代ではまずないことだ。尾張では何度もしているので知っている人もいるが。
「すまぬな。着物はあとで弁済いたそう」
着物は洗濯したようだが、一度血で穢れたものを気にするかもしれない。信長さんから弁償することになった。
「構わぬ。わしはどこぞの愚か者と違うからな」
ただ具教さんは御機嫌だ。土岐頼芸のことを冗談交じりに口にすると、信長さんと同席している織田側の皆さんが笑った。北畠家の家臣の皆さんはよくわからないという顔をしているけど。尾張だと通じるジョークだ。
「以前に着物が汚れたことで、汚した子を無礼討ちにしようとしたお方がいるのですよ。その人のことです」
「ああ、土岐家の……、あの噂はまことだったのでございますか」
誰かが説明が必要だろうと北畠家の皆さんに簡単に説明するも、やはり知っていたか。紙芝居だと今でも人気なんだよね。あの話。かなり噂が流れて京の都にまで届いたと聞いたことがあるくらいだ。
「しかし流石だね。左中将殿。咄嗟に動けるってのは難しいことだよ。武士でもやっていけそうだね」
「当家は武家と大差ない。京の都の公家とは違うからな。動けぬでは困る」
今日の宴にはジュリアとセレスとケティが参加している。特にジュリアは紹介した時に北畠家の皆さんからどよめきが起きたからね。具教さんから話を聞いていたみたいだけど、思った以上に若いから驚いたんだろう。
そんなジュリアと親しげに話す具教さんに北畠家の皆さんの表情も悪くない。織田の噂は聞いているんだろう。そんな織田と臆することなく付き合うことに家臣たちも安心したのかもしれない。
「お待たせ致しました」
酒をチビチビと飲んでいると料理が運ばれてくる。今日はお膳だ。皆さんが慣れた当たり前の形での宴会にしたんだ。
「煮込み田楽を当家流にしたもので、『おでん』という名の当家の冬の料理になります。季節柄、温かいものが良いかと思いまして」
ふふふ、今日の料理はおでんだ。大根の旬だからね。
「おおっ、これはわしも初めてだ」
具教さんと北畠家の皆さんも顔色が変わる。部屋はダルマストーブで暖めているとはいえ寒い季節だ。お膳には一人用の大きめの土鍋があり蓋を開けると、湯気が立ち昇り出汁のいい香りがする。
「今日は左中将殿をもてなしたいとエルが作ったからな。一味違うぞ」
「それは楽しみだな」
おでん、信長さんも初めてだからな。御機嫌だ。具教さんはエルの料理が貴重なことを知っているからさらに嬉しそうになる。
大根、ゆで卵、こんにゃく、芋、がんもどき、ちくわ、厚揚げ、つみれ、昆布などをいろいろと入れている。
「これは……なんと美味い。なんだこれは、中まで味が染みていて絶品ではないか!」
具教さんがまず口にしたのは熱々の大根だった。熱いのだろう、ハフハフとしながらも噛みしめると顔色が変わる。
「それは大根ですね」
「大根とはあの細いものか? まったく違うではないか?」
「それは尾張で見つけた大根で大きくなるものなのです。味もいいので育て方を探っている野菜になります」
具教さん大根を知っているのか。よく御所を抜け出して修業をしているというから、思った以上にいろいろ知っているのかもしれない。
「聞いたか? 尾張では常に新しきものを探しておるのだ。我らがのうのうとしておる時もな」
大根を噛みしめながら具教さんは北畠家の皆さんに語りかけるが、大半は初めてのおでんに夢中だったので、明らかに動揺しビクッとして箸をおいて具教さんの話に耳を傾けた。
「まあよい、冷めぬうちに食うか」
そんな家臣たちに具教さんはわずかに苦笑いすると、くいっとお酒を飲んで話すことを止めた。
タイミング悪かったね。
おでんはいろんな出汁が出ているから美味しいんだよね。小難しいこと考えられる状態じゃないだろう。
織田家の皆さんは温かい表情で見守っている。自分たちも以前はああして驚いていたなと懐かしい気持ちになるんだろう。
宴は始まったばかりだ。
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