第933話・北畠家御一行、学校に行く

Side:北畠具教


 連れてきた者らは蟹江の賑わいに目を奪われ、気付いておらぬようだな。湊の足元を固める南蛮漆喰のことに。あまり目立つものではない。されどこれひとつで戦がまた変わる。尾張にはこのような珍しきもので溢れておるのだ。


 並みの知恵者は人の二手三手先を考えるが、久遠家の者は更にその先を考えておる。五年十年先どころか、百年先を考えておると言われても信じてしまいそうだ。


「北伊勢では米どころか野草でさえもないというのに……」


 道沿いでは飯を売る者がおる。久遠家では屋台と言うておったな。神戸の家臣であろう。あまりの違いに如何とも言えぬ顔で呟いた。悔しいとさえ言えぬ力の差だ。されど……。


「それはさほど難しきことはしておらん。蔵を建てて米や雑穀を数年前から溜めておるだけだ。此度のような時に備えてな」


 南蛮船や人の多さに惑わされておる者らに教えてやらねばならん。誰でも思い付くことを確実に実行しておるだけだということをな。


 無論、口に出すほど容易いことではない。城の者が食う分を備えるのと民が飢えぬようにと備えるのでは訳が違う。されど、織田から得た礼金を己らで使い贅を尽くしておった愚か者どもとはまったく違う。


 中には備えとして銭を貯めておった者もおると聞くがな。ところが久遠家の者によると銭は貯めるのはあまりよくないという。難しきことよ。


「これは……」


「馬車でございまする」


 家臣らが騒めいたのは漆塗りの馬車を見た時だ。八郎がわしに用意したらしい。北畠は公卿家とはいえ牛車は使わぬ。馬か籠か輿か。これも誰も見たことがなかろう。


「中が透けて見えますな」


「硝子窓でございます。まだ尾張にも数は多くありませぬもの」


 物珍しさから見入る者らには身分に合わせて馬が用意された。賑わう蟹江の町を見ながら我らは那古野へと向かう。


 馬車の中には小さな火鉢が置いてあり外より暖かい。この時期は馬に乗るのも寒い。こういう心遣いをされると心憎いな。


「今日は学校と病院をご覧になられてはいかがですかな?」


 共に乗るのは側近がひとりと八郎だ。八郎とはこの後のことを話す。


「そなたに一切任せる。よしなに頼む」


「畏まりましてございます」


「そなたほどあやつらの心情をわかっておる者はおるまい」


 八郎は人の心がよくわかる男だ。一馬が以前にそう言うておった。日ノ本と異なる久遠家の伝統とやり方を理解し、尾張の者らに伝えまとめる。同じことを出来る男は多くはなかろう。


「いえ、そのようなことは……。されど人は知らぬことを恐れるもの。織田を知り尾張を知ると、そこまで恐れ嫌うことはないと心得ております。無論、それを受け入れるには刻が必要でございましょうが」


 土地を治め、その土地から得るもので生きる。それは農民も武士も公家もあまり大差ない。久遠のやり方はむしろ寺社に近いのではと思う時がある。


 寺社や公界となるはずの町を一から造りあげて己らで治める。これもまた容易いことではない。


 わしはここに度々来ることで思うのだ。日ノ本は変わるべきではとな。北畠は変わることが出来るのであろうか?


 出来なくば北伊勢の国人や土豪と同じ道を辿るのかもしれんな。




Side:神戸利盛


 ああ、大きな城、いや寺社か?


「ここが学校でございます」


 蟹江から移動し辿り着いたのは学校か。織田の学び舎。噂で聞いておったより立派だ。門をくぐると幼い子らが走っておるのが見える。楽しげな声にここが如何なるところなのか察することが出来る。


「ここでは学ぶ意思のある者は身分に関わらず学べまする。無論、他国の者は別でございますが」


 従う者には身分に関わらず与えるが、従わぬ者には一切与えぬ。さほどおかしなことではない。知恵も技も食べ物も。他国の者に易々と与えてやることなどあり得ぬ。


「おや、左中将殿ではないか」


「これは若武衛殿」


 幼い子らと走っておった者のひとりがこちらに気付いて声を掛けてきた。若武衛、まさか斯波家の嫡男か? 我らは慌てて控える。


「珍しいな、これほど供の者を連れてくるなど」


「今日は家中の者に尾張を見せようと思いましてな。今や都よりも栄えておるという尾張。知らぬでは済まされぬというもの」


 つい数年前までは名を聞くことすらほとんどなかった斯波武衛家。今では公方様に疎まれておる細川晴元に代わり、次の管領は武衛様であろうと噂されるほど。


 織田の傀儡だとの噂もあるが、子らの様子を見ておると違うらしいな。慕われておるのであろう。周囲に多くの子らがおり見ておる。


「羨ましいの。わしも他国を見聞したいものよ」


「なかなか難しきことでございますからな。わしなど最初は父上に隠れて尾張に来たほど。いずれ伊勢の神宮にでも来ることがあれば、案内致そう」


「神宮には行ってみたいの。その時はお願い致そう」


 若殿は本当によく尾張に来ておるようだな。都より栄えておる。そのような噂はあるな。商人などがよく言うておる。他国を知り学ぶことに重きを置く。尾張に来ることはいささか軽率とも思えるが、北畠家は当面安泰か。


 それにしても学校とは面白きところだ。大人も学んでおる。職人もまた文字の読み書きを学んでおることには驚いた。


「おお、アーシャ。久しいな」


「左中将様、お久しゅうございます」


 学校の建屋の中を案内されておると若い女が働き盛りであろう武士らに教えておった。誰かと思えば久遠家の奥方だとは。


「なにを教えておるのだ?」


「日ノ本の外のことでございます。せっかく来られたのだし、皆様にも少しお教えするわね」


 アーシャ。天竺の方と呼ばれておる女は、若殿と我らに、なにか絵でも描かれておる丸い玉を見せた。


「これは地球儀。日ノ本と海の向こうの地図なのよ。ここが日ノ本で、ここが明。天竺の国があったところはここね。もっとも今はすでに天竺なんて国はないけど」


「一馬の部屋にもあったな。何度見ても世は広いと思うわ。尾張や伊勢がこれほど小さいとはな」


 日ノ本の外の地図だと!? そのようなものまであるのか? しかも天竺がすでにないだと……。まことか?


 周囲の者と顔を見合わせてしまうが、如何に問えばいいかもわからぬ。疑い、嘘だと笑えば久遠家を愚弄したことになろう。それでは若殿の面目を潰してしまう。


「さあ、皆様もよくご覧になられてください。にわかには信じられなくてもいい。こういうものがあると覚えておいておくだけでも、皆様の知恵のひとつになりますわ」


 我らの戸惑いが伝わったのだろう。天竺の方はそれでもいいからと我らに地球儀という地図を見せてくれた。


「ここでは疑問に思ったこと、わからないことを皆で考えているのです。嘘だと思う時は何故そう思うのかを皆で話すことで、更なる知恵を見つける。それが私たちの学問の基礎よ」


 天竺の方の話にわしは愕然とした。師の教えに疑いを持つなどあってはならぬことだ。少なくともわしはそう教えられた。


 嘘だと思えばその訳を話し、皆で考えると? ここまで違うものなのか? 尾張は隣国であろう。久遠家の知恵か?


 恐ろしいと思う。我らが田畑を耕して今日のその日を生きるのに精一杯だというのに。尾張はまったく別のことをしておるのだ。


 敵となれば北伊勢の国人らのように、相手にもされず蹴散らされて終わりだというのに。


 若殿が尾張に拘るわけはそこにあるのかもしれぬな。




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