第931話・違う世界
Side:久遠一馬
北伊勢では領民の三河への移動が始まった。あっちもこっちも大規模な賦役をして中途半端になるよりは、三河へ人員を集中して野分の被害からの復興と矢作川の洪水対策をすることを優先した。
北伊勢の復興は北伊勢に残る軍勢と尾張や美濃から集めた領民でやることになる。
無論、これは織田家の判断だ。三河は一応、人口調査と検地が終わっているしね。矢作川の浚渫と川の流れを変える大規模改修も検討している。
北伊勢の領民の反発は相応にある。元の村に戻って生き残った者で協力して村の復興を始めていたところもあるし、先日も言うように村内下剋上やら係争地の土地を奪っていた人もいた。
総じて言えるのは、村のことは村で決めてなにが悪いという反発だ。そのくせ、織田の賦役をあてにして参加する気でいる。これに関しては命じることで従えと強制することになる。この時代では当然だ。特に織田は北伊勢の領民を食わせるんだからね。
北伊勢では道三さんが動いている。信光さんはまだ国境沿いから動いていないからね。道三さんは各地の村や村の跡地に立て札を立てて、勝手な田畑の占領は認めないと布告して三河の賦役に参加するように命じた。
反発して村に残る人もいるが、現実問題として食料がない。食えるのならばと素直に従う人が大半だ。
「若様、如何します?」
この日、夕方となり信長さんがウチに来ていた。最近は清洲城での仕事もあり、毎日のように来ていたかつてとは違うが、仕事が終わったあとにウチに立ち寄ることはよくある。
ちょうど具教さんから文が届いたのでその件で相談する。
「手を貸さざるを得まい。失態となれば左中将殿も困ろう」
火鉢で餅を焼きつつ信長さんは答えた。餅は大武丸と希美のお祝いに貰ったものだ。具教さんの文は北伊勢の神戸とかのことで困っているらしい。
一揆に加担した者を罪人として復興をさせることまでは認めさせたが、如何せん食べ物が足りない。さらに暮らしの格差からすぐに領民が逃げるのはわかっていることだ。
具教さんはどうやら、神戸家を織田に臣従させる方向で考えているみたいなんだよね。織田の下に北畠家に血縁のある家を送り込んで関係を強化し、連携を強める。そんな思惑があるらしい。
織田は両属を認めないが、北畠家となると絶縁するわけにはいかない。必然的に神戸家は北畠家に主従関係に近い血縁のある家の立場を持ち織田に臣従した立場になる。上手いこと考えたなと思う。
前に話したが、具教さんは中伊勢の長野との対決に向けて準備と北畠家中の根回しを始めている。出来れば一回の戦で決着をつけたいらしく、それも視野に入れているんだろう。
それで具教さん、百聞は一見に如かずと、神戸とか北畠家中の人たちに尾張を見せたいらしい。具教さん自身はわりとよく遊びに来るが、一緒にくるのって側近と護衛だけなんだよね。武芸大会とか花火大会はそれなりに家臣も来たが、未だ尾張を知らない人が大多数だ。
ただ面倒なのは正式な訪問とか招くことにすると、家柄とか体裁とか力関係がどうとか考えることが多い。基本的にこの時代だと、目下の者が目上の者のところを訪ねるという形が多いからね。
ウチは頻繁に目上の人が遊びに来るけど。
従って具教さんはお忍びで来るつもりだ。清洲城に行くと公式になるから、こちらは那古野城とウチで信長さんとオレが個人的にもてなす形でどうかと考えている。
「六角は如何なるのだ?」
「あっちは自力でやると思いますが……、足りない食べ物は借財をして手にいれるのかな。八風街道は手放したくないでしょうし」
同じく食べ物が足りない六角方の梅戸とか千種。千種は六角家の後藤さんの弟を養子に迎えて梅戸の下に置かれることになるらしい。被害でいえばあそこは織田方とか梅戸の比じゃないんだよね。こちらから追い立てた一揆が集まったんで。
まあ攻めてくることはないと思う。三雲家の扱いを考えると。ただ食べ物はこっちから適正価格で売ることも考えたほうがいいかもしれない。近江から運ぶよりは安上がりになる可能性がある。
「尾張は変わったが、変わった分だけ他所との違いが争いを呼ぶか。難しいものだ」
焼けた餅に砂糖醤油を付けて食べる信長さんは政の難しさを痛感している様子だ。
まあね。一揆や係争地で争うよりは働けと言われそうなのが今の尾張だ。実際に係争地の利害調整は織田家でしているが、係争地と関係なく食えるので後はメンツと拘りからくる争いになる。
とりあえず武力で争うと、問答無用で係争地を取り上げるのでそれはしていない。あとはほんと時間をかけて対立を解きほぐしていくしかないんだけどさ。元の世界でも埋め立て地をどこの行政区分に入れるかで対立したなんて話がある。解決は大変だろうね。
実はこの件、織田家で強制してしまえという意見が結構ある。三河の本證寺の跡地で強権を発動して人を入れ替えて利権の整理をしたことの評判がいいんだ。
食えると不満を持っても一揆まではいかない。あとは働かせてしまえばいいという意見が結構強い。
もっとも尾張も利権と土地の整理は進んでいて、そこまでややこしいところはないんだけどね。尾張内の寺領でさえ、整理もそろそろしてはどうかという意見がちらほらとある。
織田一族も信光さんの成功があることで一律整理を目指して調整しているからね。
関所の廃止と、病院の下請けとしての医療ネットワークに学校の下請けとなる寺子屋。寺社も変わりつつある。おかげで農業改革も交換条件なしで教えているくらいだ。
正直、オレは元の世界の歴史としての比叡山や石山本願寺や高野山を知っているからか危険視していたが、ウチの改革に敏感で協力して進めてくれているのって寺社なんだよね。尾張だと。
あとオレが貧しい寺を中心に寄進していることで、相当感謝されて信心深いと思われている節がある。
なんだかんだいいつつ、地域の中核なんだよね。寺社って。災害や争いがあれば寺社に避難するし。利権があって豪華な寺院があるところは勝手にやってくれと思うが、雨漏りして今にも倒壊しそうな寺で頑張るお坊さんは積極的に支援していた。
おかげで大武丸と希美の祝いもあちこちから来てくれたね。寄進したか覚えていないところもあったけど。
「北伊勢が落ち着けば楽になりますよ」
いろいろ大変なのは変わらない。とはいえ北伊勢の一件は美濃と三河が安定している今で良かったと思う。
三雲定持と細川晴元は自分の首を絞めただけだったのかもしれないね。
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