第930話・冬のとある日
Side:セレス
北伊勢は桑名の町。ここは現在、織田方の補給の中継地となっていて、多くの物資が日々尾張や大湊から集まっては内陸に運ばれていきます。
もともと尾張・美濃からも荷が集まるだけのキャパシティがある町なだけに、ここが最適でしょう。
「林殿、如何ですか?」
この地の警備兵を任せたのは林通政殿。家柄や過去ではなく、能力第一で選んだ結果です。不特定多数の人が集まるこの桑名の町は良からぬことを企む者も多い。
「申し訳ございませぬ。万事抜かりなくとは言いきれませぬ」
国人や土豪が消えて惣村も崩壊しています。一向宗を中心とした寺社は無事ですが、そことて流民と治安悪化に四苦八苦しているところ。桑名の町でも細々とした問題が起きています。
「想定の範囲内です。あとで報告を書面であげてください」
林殿は面目や失態を隠さず、現状をありのまま報告してくれます。そんなところも彼を選んだ理由になります。彼や佐々兄弟など、実情と警備兵の今後を考えて動ける人はまだまだ多くありませんからね。
「民は三河に移すのでございますか。致し方ありませんな。勝手をする者ばかりでございます」
今日、私が桑名に来た理由は警備兵の視察と、北伊勢で起きている問題の解決の方策を整えること。一向宗の寺領など惣村が残っているところは別として、それ以外の国人や土豪の領地だったところの領民を三河の賦役に投入するためです。
願証寺とは北伊勢の寺と寺領の扱いについて協議をしていますが、さすがに結論が出るのは年内を目途にしている程度。願証寺としても末寺の取りまとめの時間が必要になるのでそれでも早いほうでしょう。
ただそれ以外のところでは田畑の奪い合いや、勝手な占領など問題が起きています。
不法占領は認めない。それが織田の方針であり、先日には正式に評定にて決まりました。北伊勢に残る軍と警備兵で、北伊勢の領民を一時的に三河へと移送するための下準備が必要なのです。
北伊勢では食料がまったく足りません。野分の被害があっても最低限の食料はあったのですが、一揆勢が食べつくしました。残る領民を飢えさせないことは必要ですが、勝手ばかりする彼らをこのまま北伊勢に置いては問題が増えるだけ。
ちょうどよいので三河の矢作川の氾濫からの復興と治水に、北伊勢の領民を動員するのです。
「素直に従わぬ者は罪人とします。それと近江方面からは賊も増えるでしょう。当面は大変ですが頑張ってください」
「はっ、かしこまりました」
北伊勢の復興は、尾張・美濃・三河から集めた領民で賦役をせねばなりませんね。少し手間ですが、長い目で見るとこのほうが北伊勢は安定するはずです。勝手に土地を占領して土豪化などさせません。
「懸念は北畠方と六角方ですね」
ただ私が気になるのは、織田領となったところよりも北畠方と六角方です。残念ですが権威も代々土地を治めた実績も、飢えには勝てません。双方共に罪人を領地の復興に使うつもりのようですが、足りぬ食料をどうするのでしょうか?
混乱と戦火が拡大しなければいいのですが。
Side:久遠一馬
工業村製のベッドメリーが届いた。吉法師君の時のものより多少改良されたもののようだ。
お市ちゃんが嬉々として紐を引くと硝子と金属が揺れてさわやかな音がする。ロボ一家がそんな見知らぬ音にビクッと反応した。
そうそうベビーベッド代わりに布団を囲う柵を作ってもらった。これで先日生まれた山紫水明とその前の花鳥風月の子たちを、ウチの赤ちゃんに会わせてあげることが出来た。
花鳥風月の四匹は躾も出来ているからいいんだけど、山紫水明の四匹は今躾をしている段階だからね。
好奇心旺盛な仔犬たちは、大武丸と希美ばかりか柵やベッドメリーにも興味を示して楽しそうだ。ロボとブランカはやはりわかっているみたい。大武丸と希美の近くにいてそんな仔犬たちが騒ぐのを見ている。
この部屋にはダルマストーブがあるが、そこも柵で囲ってある。ヤンチャな仔犬たちだからさ。
「いい子いい子」
ベッドメリーが鳴ると大武丸と希美は興味があるのか喜んでいるように見える。そんなふたりにお市ちゃんも満足げだ。ふたりが手を伸ばすと優しく触れてあげている。
清洲城にはお市ちゃんの腹違いの妹と弟がいるんで、意外に赤ちゃんの扱いに慣れているみたい。昨日なんかは少し早いと思うが、大武丸と希美に絵本の読み聞かせをしていたほど。
織田家では子育ても以前と変わりつつある。学校に通わせているし、ケティがあれこれと指導しているせいだろう。もちろん白粉も無毒性のものだから赤ちゃんとか子供が一緒でも安心だ。
「わふ!」
「わふ! わふ!」
「ほら、駄目だって」
ああ、ヤンチャな山紫水明の四匹が柵をどうにか越えようとし始めたので止める。まだよちよち歩きだし無理なのはわかっているけどね。躾もしていかないと。
「しー!」
お市ちゃんもオレの下から逃れた
頻繁に授乳時間があるが、可能な限り自分でしているので、まとまった睡眠時間がないんだろう。このあたりはケティや資清さんの奥さんのお梅さんとかとも話しているが、無理をしない範囲でということになっている。
「姫様、エルと大武丸と希美をお願いしますね。私はこの子たちを連れて少し散歩してきます」
せっかく眠ったエルを起こしてはいけない。オレは仔犬たちを連れて部屋を出ることにする。お市ちゃんは任せてと静かに頷いてくれた。女の子はおませさんというか、精神的な成長が早いね。
ロボとブランカは残るらしい。子守りをしてくれているんだろう。侍女さんたちもいる。任せよう。
仔犬たちにリードを付けると庭に出て散歩をする。クンクンと匂いを嗅いで歩く八匹の仔犬たち。歩くスピードも違うが、みんな楽しそうだ。
「これは殿、なにか御用でございましょうか?」
「ううん。この子たちの散歩にね」
仔犬たちに任せているとたどり着いたのは温室だった。花鳥風月の四匹はここが暖かくて植物が生えていることを覚えたみたい。
温室にはこの時期、暖房を入れているので火の管理をする奉公人が常時いる。仔犬たちはそんな奉公人にじゃれついていた。
「しかしお家の知恵とは凄いものでございますなぁ」
この日は年配のお爺さんが火の管理をしていたが、青々とした植物が育つ中を見て驚きとも感慨深げとも言える顔をした。寒い冬に夏のような植物が育つ。天変地異のような驚きと扱いをされることもある。
「今は試す以上のことは難しいけどね。いつか冬にも当たり前に新鮮な野菜が食べられる日が来るかもしれない。その時には与平殿たちがこうして火の番をした苦労が報われるはずだよ」
「それは光栄でございますな」
彼も理解しているだろう。その日がまだまだ遠いことを。でも自分の仕事が、いつの日か子や孫やそのまた子の時代を作る。そう思うと誇らしいと思えるはずだ。
「与平殿も暖かくして火の番をお願いね」
「かしこまりましてございます」
仔犬たちと共に温室の中を散歩して屋敷のほうに戻る。
ただ生きるだけではない。この時代の人は家と名を残すことをなによりの喜びとする。そして次の世代に繋ぐということを一際意識している。
オレの生きた元の世界では失われつつあった古き良き伝統。
みんな頼もしいね。本当に。
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