第929話・苦悩する者たち

Side:神戸利盛


「……噂以上か」


「はっ、大勢の民を動員し働かせております。織田では賦役と申しておりますが、銭と飯を出すあれは賦役とは呼べぬもの。とはいえ民は喜び、野分で荒れた川や田畑を復興しておりまする」


 北畠の若殿に命じられるまま送った祝いの使者が織田の様子を見て参った。まさか向こうからあれこれと見せるとはな。若殿が根回ししたこともあろうが、それだけ自信があるということか。


 織田のやることが他と違うなど今に始まったことではない。織田が船を出すので神宮への街道など人が来なくなり、東海道でさえ人が減り続けておる。


 民が村を捨てて尾張に出ていくのは我が領地でもあること。


 北伊勢は変わってしまった。国人や土豪は多くが所領を失ったのだ。織田ばかりではない。六角と北畠も血縁がない者らは見捨てた。かつて奉公衆だった者らは所領を失い、北勢四十八家のまとめ役である千種でさえも六角に助けられなんとか残っておるのみ。


 北畠の御所様が、織田と六角から所領を取り戻してくれぬかと期待した者もおったようだが、その気はない。


 実はわしは先日には北畠の若殿に呼ばれて内密に話した。神戸家と北畠家。そして伊勢のこれからのことだ。織田はすでに北畠でさえも軽々しく敵に回せぬ力がある。特に海だ。水軍で勝てると思えぬのはわしにもわかる。


 このままでは神戸家も北勢四十八家と同じ道をたどる。北畠の若殿にそう言われた。


 野分の被害もあるが、深刻なのは一揆の被害だ。領内の村では一揆に家を焼かれ田畑は荒らされ、種籾すらないところもある。今までならばこういった時は各々の村でなんとかしろと言うて終わるはずだった。


 それが今は通じぬ。織田は民を飢えさせぬために賦役と称して働かせて飯を食わせるのだ。同じ北伊勢で、織田に属することになったところだけ食えるというのは致命的だ。


「苛烈ではあるが、生きるということだけを考えると悪うはないか」


「はっ、とにかく織田は土地を与えるのを嫌がります。織田一族ですら土地を返上して俸禄にしておるとのこと。されど、上手くやれば裕福にはなります。守山の織田信光殿や水軍の佐治家などが、そのいい例でしょう」


 北畠に同じことを望むのは無理だ。それは若殿に直々に言われた。北畠もまた織田に倣い、国を変えようとしておるが、現状で北伊勢の飛び地にそれほどの銭と食い物を与えては他に示しがつかぬとな。


 己の所領は己で治めろ。それが当然だ。とはいえ我が神戸には民を春まで食わせるような銭も食い物もない。


 織田領に逃げる民が増えるであろうな。止めようとすると再び一揆が起きることもあり得る。止めねば人が減り領内は荒れるばかりか。


 本家の関はなるべく現状を変えたくないらしい。北畠に臣従するのは仕方ないが我が神戸の後塵を拝するのがよほど嫌な様子。気持ちはわからなくもないが。


 北畠の若殿からは一度己の目で尾張を見たほうがいいと言われた。望むのならば若殿自ら尾張に連れてゆくともな。若殿と御所様の真意はいずこにあるのであろうな。苦しくとも耐えろということか?


 わからぬな。このまま座しておれば状況が悪化するばかりなのはわかるが。


 御所様は近々、若殿に家督を譲るという。若殿を試しておるのか? わからぬな。もう少し問うてみたほうがよいのかもしれん。なにを望み、なにを考えておるのかをな。




Side:三好長慶


「変わらぬな。あの男は……」


 北伊勢で謀か。未だに己が天下を動かせるのだと諸国に示したつもりか? あの男の下手な謀で動くような相手ならば苦労はせぬわ。


 六角は管領など見ておらぬ。六角が見ておるのは尾張。織田だ。此度のことでも争うのを避けたとすると当面は六角と織田が戦をすることはあるまい。これには公方様の御意思も関わるのか?


 一度お会いしてお考えを聞いておきたいが、まだ旅を終える気はないらしい。


 六角左京大夫殿からは細川晴元を如何にするか、今一度考えたいと書状が届いておる。己の家中にまで謀をされたことで、六角は細川晴元を敵だと定めたのかもしれん。斯波と織田が如何に動くか知らんが、邪魔はせぬはずだ。そうすると六角と共に細川討伐もありうるか。


「殿、内裏の修繕は年内に始められまする」


「万事抜かりなくな。弾正」


 都を押さえたとはいえ、公方様は観音寺城におるということになっており、管領は若狭だ。天下の政は観音寺城にて行われておると見るべきか?


 そんな公方様からのめいは内裏の修繕だ。銭は斯波・織田・六角・北畠・本願寺などが出すという。その上で作事の一切をわしに任せるというから驚きだ。


 この件は失態が許されぬので松永弾正に任せておる。


 それにしても公方様は変わられた。わしもそれほど知るわけではないが、かつては己の武勇を示して天下を束ねようとお考えだったようだが、今はまったく違う。


 弾正の話では公方様を変えたのは織田ではと言うておった。考え方が似ておるという。思えば晴元を切り捨てたのは、公方様が武衛殿と内匠頭殿に会いたいと観音寺城に出向いてからだ。


 病と称しておることもあるが、動かぬことで晴元でさえも手が出せぬほど公方様の権威と力は上がった。我が三好と公方様、六角の和睦。それを成したのが実は斯波と織田であることを都では知らぬ者がおらん。


 表には出ずに済ませたが公家衆が知っておることだからな。


 気になるのはそんな斯波と織田が如何なることを考えておるか、今ひとつわからぬことか。天下が乱れることは望んでおらぬようではあるが、すでに尾張を抜きに天下を語れぬほどになっておるというのに。


「弾正、堺は如何だ?」


「申し訳ありませぬ。そちらは一筋縄ではなかなか……。殿に逆らう様子はございませぬが、尾張を不倶戴天の敵だと見定めておりまして」


「困ったものだ。偽金色酒に偽手形、さらに偽南蛮船で堺は紛い物の町と笑われ、すでに鉄砲くらいしか売れるものがないというのに。未だに己らで天下を動かしたいのか」


 まあ斯波と織田はよい。話をするとまっとうな返事が返ってくる。騙し討ちをする理由もないしな。懸念は堺だ。


 かつては畿内どころか日ノ本でも有数の町であったが、斯波に絶縁されて以降廃れておる。多くの有能な者が町を出た。尾張に行く者や石山に行った者も多い。ところが会合衆は未だにかつての栄華が忘れられぬらしい。


 近頃では斯波や織田と縁遠い比叡山や高野山に近づいておるとか。偽金色酒では朝廷が懸念を示すほどの事態となり、偽手形では斯波を激怒させて絶縁された。その上さらに南蛮船の紛い物で大恥をさらしたことでも懲りぬとは。


 偽金色酒はわしが止めさせた。南蛮の酒として売るのならいいが、金色酒だけは認められん。偽手形の一件では職人が多く逃げだすきっかけになった。織田は職人を許して厚遇したからな。


 そうそう、偽南蛮船の一件では関与した船大工たちが逃げ出した。船が公家衆の見ておる前で沈んだことで大恥を晒し、会合衆のひとりも責めを負わされて死したと聞くが。懲りておらんな。


 織田からはもう少しましな銭を造れと言われ、わざわざ材料を融通するとまで言われたが、堺に任せるのは危ういか。


 いっそ堺から銭を造れる職人を引き抜いてしまうか? それとも織田に職人を寄越してほしいと頼むか? 織田が銭を造っておるとは聞かぬが、造れるのであろう。堺銭の欠点を知っておるくらいだからな。


 堺の厄介なところは地下請じげうけか。己らで町を治めることを公方様から認められておるところにある。会合衆はその上にあるのだ。その会合衆に手を出す名分がわしにはない。


 まして堺はわしに従っておるだけに始末に負えぬ。落ちたとはいえ堺の会合衆だ。あちこちに顔が利くし、縁もある。従順な商人を名分もなく潰すとわしが疑われる。


 困ったものだ。




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