第924話・変わる伊勢
Side:久遠一馬
「へぇ。六角も本気かぁ」
季節は冬だ。相変わらず祝いの使者や来客がくる。来客の応対のために清洲城への登城はしばらく免除になっている。
まあ報告は相変わらず上がってくる。特に北伊勢のことは注視していて報告を頼んでいるが、少し驚いたのは六角が梅戸領を中心に北伊勢の復興に積極的に関与していることだ。
本領の近江でもない北伊勢の国人領地を六角家が関与して復興させる。当然今までにはないことだ。そもそもこの時代では村の復興や田畑の復旧はそれぞれの村で行うべきものという認識がある。織田家ではすっかり賦役がおなじみとなったけどね。それは織田家だけのはずだった。
「罪人を使うようでございますな。これなら反発も多くはないと思われまする」
報告は望月さんが持ってきた。一揆に加担した領民を捕らえて復興をさせる。あっちに逃げた人が多かったのでそれなりの人数になるだろう。
報酬の出る賦役は経済をきちんと理解しないとまず無理だろう。それに賦役は税の一環という考え方があるので六角家では難しいだろうね。織田の賦役は税の一環ではなく、どちらかと言えば公共事業だから。
しかしまあ、出来ることから変えていこうという意気込みは凄い。織田家だって流行り病の対応とか、いろいろ苦労してこの形にしたんだ。
北畠家も復興をさせるようだ。こちらも罪人中心だろう。具教さんは織田式賦役のやり方を知っているが、本来の領地でもない国人の領地で未経験の形を試すのは無理だろうね。
「長野は……」
「落ち着いておりませぬな。北畠家が兵を挙げれば落ちるやもしれませぬ」
北伊勢はひとまずは収まりそうな情勢だ。その分というわけではないが、割を食ったのが中伊勢の長野家だ。今まで北畠と互角に対峙して中伊勢の領地を守っていたが、今回の野分と一揆での被害が重くのしかかっている。
当初は北畠が攻めてくるのではと警戒して兵を集めていたが、結局はその兵で一揆を鎮圧した。どこの援軍もなしに鎮圧したのは見事だけど、自領だけで片付けた分だけ被害が多く恨みも残っているようだ。
一部では北伊勢から逃げた一揆勢がそっちにも行ったらしく大変だったみたい。一揆を起こした側も鎮圧した側も同じ領民なんだ。長野の力は半減したと見て間違いないか。
そうそう、織田で占領した北伊勢の復興は順調だ。反発して蜂起する者も相変わらずぽつぽつといるらしいが、大きな軍勢になるはずもなく賊程度で討ち取るか捕縛されている。
一万五千ほど出していた兵も半分は尾張や美濃に戻していて、地元の人たちが中心の復興に移行しつつある。一揆で荒らされたのは領主の城や『食い物があるに違いない』と目を付けられた土豪や寺社の直轄村が中心で、街道や田畑は季節的なものもありそこまで滅茶苦茶でもない。
田畑はむしろ耕作放棄地が多いと報告があるほどだ。一揆で蜂起した人が逃げたことで北伊勢の織田領では人口は減っていると思われる。来年以降の田畑の作付面積をどうするのか検討が必要だろう。
織田で捕らえた一揆勢は千人もいないようで、こちらも罪人として厳しい現場で働かせる予定だ。食事は出すがもちろん報酬はない。美濃の山岳部の街道整備や川の浚渫などにするべきだろうな。
あと北伊勢に関しては国人と土豪が消えたことで、区画整理をするべく清洲城の文官は動いている。三河の本證寺領一帯の区画整理が上手くいったからだろう。米が作れない土地も麦や綿花や大豆の生産地として収量は明らかに上がった。
織田家に関しては細かいアドバイスは未だに必要だが、大まかな方針はアドバイスが必要ないほど順調だ。食べ物さえ切らさないことと、このまま経験を積んでもらうほうがいいのかもしれない。
「無事に子が産まれたとか。めでたいな」
北伊勢での一揆討伐を終えた北畠具教さんが姿を見せた。正式な祝いの使者は別なようだが、お祝いの言葉をかけてくれた。
「双子と聞いたが……、まあひとりが姫ならば大きな騒ぎにはなるまい。あれは跡継ぎで揉めると聞くからな。それより北伊勢だ。六角がまさかあそこまでやるとは思わなんだ」
具教さん、双子についてここに来る前に状況を聞いたのだろう。忌み子の迷信は家督争いの種にならないならウチだと問題ないと判断したみたい。この人も地味にウチの風習が日ノ本と違うことに興味を持っているからね。
「左京大夫殿が尾張と争わぬと
北畠と六角は血縁があるが、かといってそこまで親しいかと言われるとそうでもない。争わないだけの関係で双方共に十分だというのが本音だろう。
具教さんはそんな六角が、今までのやり方を変えようとしていることに驚いている。どちらも名門であり変えること自体が難しいのがよくわかるのだろう。
「北畠は長野を攻めるのかしら?」
「ここだけの話だが、父上が隠居をされてオレが家督を継ぐことになった。織田との関わりも此度の一揆で家中の反発は大きくない。家督を継いだら長野と決着をつけることになろう」
先ほどから一緒に話を聞いていたメルティは、具教さんに長野とのことを単刀直入に問い掛けていた。菊丸さんもそうだが、具教さんも回りくどいことがあまり好きじゃないんだよね。そのせいだろう。
対一揆とはいえ、制海権維持と補給を切らさずに陸揚げしたことで北畠の信頼度があがったらしい。特に活躍もしなかったがウチのキャラベル船も出したことが良かったのかもしれない。南蛮船は抑止には最適だ。
「そう、いい頃合いだと思うわ。今なら長野を落とせるはずよ。関は今後の動き次第では荒れるかもしれないわ。六角が本気になれば東海道の優位がさらに崩れるわね。現状だと緩やかな臣従で収めるんでしょう? やるなら早い方がいいわ」
「やはりそうか」
「民の暮らしに差が出るのは早いわよ。北伊勢で起こったように、今後は神戸や関の領地でも民が土地を捨てるようになるわ。国人だと対処は難しいわね」
アドバイスが欲しかったんだろう。メルティは遠慮なく今後の予測を語る。良くも悪くも織田は止まれない。経済力を生かして領地を治めていかないと現状を変えていくのは難しいからな。
「領内の
メルティのアドバイスは基本中の基本だった。とはいえ領民を食わせるなんてことは織田くらいで他はそこまで考えない。北畠家、大湊などからの税や上納もあるので財政的には悪くないはずなんだよね。
それを生かしているかといえばそうとも言えない。戦に備えて兵糧を備蓄することはあるが、食糧の値段の安定と飢饉に備えることはまずしていない。
北畠のある南伊勢の経済って尾張の経済とほぼ一体化しているから、よほど頓珍漢なことをしない限りは恩恵が大きい。
「実は警備兵をつくりたいのだ。人を貸してくれぬか?」
「正式には殿に上申した後になりますが、多分大丈夫ですよ。手配しておきます」
具教さんがメルティのアドバイスに答えたのは警備兵だった。おそらく以前から考えていたんだろう。創設すれば具教さんの子飼いになるだろうしね。
家臣に命じてもいいんだろうが、ノウハウがないとなかなか上手くいかない。誰を送るかセレスと相談するか。
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