第920話・始まりの日

Side:久遠一馬


 信光さん凄いな。北伊勢で遠慮なく銭と兵糧を使って復興を始めた。


 物資とお金が潤沢にあると人も集まるし、懸念していた食料の値段も上がらないだろう。現物が豊富に見えるところにあると人は安心するものだ。


 一時的な出費よりも、長々と北伊勢が不安定なほうが織田にとってはマイナスだろう。信光さんには経済とか教えてないと思うんだけど、ウチのやり方を見て覚えたのかな?


 兵たちも慣れたもので戦がなくても賦役で銭が貰えると喜んでいるっぽい。


 それに六角と北畠への影響も計り知れない。織田の力を見せるという意味ではこれ以上ないかもしれない。具教さんとか蒲生さんは知っているんだろうが、六角も北畠も家中のほとんどは経済や物量の力を理解していない。


 信秀さんが隠居させないはずだよね。誰もが思いつかないような奇策を実行したり、軍神と呼ぶような武勇があるわけではないだろう。とはいえ万の兵を卒なく差配して戦後の復興まで始めてみせた。


 当たり前のことを当たり前にする。これが難しい。


さんゆかりみなあきら、お前たちも元気だな」


 新しい仔犬たちはみんなで相談して名前が決まった。さんあきらがオスでゆかりみながメスだ。今もよちよち歩きで部屋の中を探検している。


 可愛いな。いろんなものに興味を持ち、疲れたら眠る。そんな姿を見ているだけで飽きない自信がある。


「殿!! エル様が! エル様が産気づいたようでございます!」


 最近はお市ちゃんもあまり走らなくなったので、珍しくバタバタと走る音が聞こえたかと思うと、慌てた侍女さんが駆け込んできた。


 オレは居ても立っても居られずにエルの部屋へと急ぐ。


「ケティ! 冬!」


「立ちあう?」


「落ち着いて、大丈夫だよ」


 現在エルは妊娠出産のために改築した部屋で暮らしている。この時代の身分の高い人だと新たに新築してそこで出産するらしいが、ウチだとそこまでする必要もないしね。トイレとかと近くて過ごしやすい部屋にいる。


 今日はケティと冬が屋敷にいてくれたようで、すでに出産の支度を始めていた。臨月になった頃から屋敷には医療型の誰かが必ず滞在していて、侍女も年配の出産経験者が離れずにサポートしている。


「もちろん立ちあうよ」


 この時代の武士が出産に立ちあうのはまずない。出産を穢れという考え方があることが原因だろう。ケティに立ちあうかと問われたオレは、すぐに返事をした。


 エルとは仮想空間を含めると二十年にもなる付き合いなんだ。こういう時にこそ傍にいてやりたい。


「かずま!」


 エルの部屋に入るとお市ちゃんがいた。資清さんの奥さんであるお梅さんと侍女さんたちを手伝ってくれているようだ。お市ちゃんは精一杯エルを励まして応援しようというような前向きな意気込みがあるように見える。


「エル、大丈夫か?」


「はい、陣痛が始まりましたが大丈夫です」


 良かった。エルの様子も落ち着いている。不安もあるだろうが、我が子を迎える母の心境なんだろうか。


 元の世界でラマーズ法と言われた方法を基本に、ケティが取り上げるようだ。オレはエルに声を掛けるしかしてやれない。


 もっとも事前準備はしてある。ギャラクシー・オブ・プラネットには本来、妊娠出産というシステムはなかった。そのため宇宙要塞にも出産するための施設は存在しなかったんだが、この世界に来た後にケティの提言で出産のサポートが出来る設備を造ってある。


 それと昔イベントで使うために造った宇宙と大気圏内併用型の病院艦も出産に対応する改修を行なっていて、伊勢湾の海中に配置してある。最悪の場合はケティの判断でそちらに搬送することも事前に相談済みだ。


 まあケティの話ではそこまで必要になる事態はほぼ考えられないということだが。


「頭が見えた」


 ケティの声に周囲の女性陣から喜びの声が上がる。早いな。まだ三十分も経ってないし、エルもあまり苦しそうじゃない。ケティたちが凄いんだろうか?


「ああ……」


 ロボ一家の遠吠えが何故か聞こえる。珍しいな。そんなに騒ぐほうじゃないのに。まるでロボ一家が喜びの遠吠えを上げるように、その瞬間、赤ちゃんが産まれた。


「まだだよ!」


 元気に泣く赤ちゃんに周囲が安堵するが、冬がそんな女性陣を引き締める。


「双子。もうひとりいる」


 いつも冷静なケティの言葉にオレは驚く。双子だったのか!? エルのお腹を見た感じだと気付かなかったな。


「頑張ったな、エル」


「……はい。ありがとうございます」


 二人目の赤ちゃんもすぐに生まれるとエルもホッとした様子で、ケティと冬も一息吐いて安堵の表情を見せた。


 生まれた子は男の子と女の子の双子だ。


「私たちは双子を幸運の子と呼ぶ。あなたたちのおかげ。ありがとう」


 オレとエルに似ているかなと双子の赤ちゃんを見ていると、ケティが女性陣に嬉しそうに声を掛けていた。ああ、そうか。この時代は双子が不吉だと言われていたんだっけ。


「そうでございましたか。おめでとうございます」


 お梅さんがそんなケティの言葉にホッとしたように喜びの言葉を口にした。静かだったのは双子だったからか。


 喜んでいいかどうかわからなかったんだろう。


「元気なあかごだ!」


 お市ちゃんだけはオレと一緒に、最初から双子の赤ちゃんを喜んでくれていた。一緒にお散歩したりしたいとエルと一緒に楽しみにしてくれていたしね。


 もしかするとお市ちゃんの前向きな明るさこそが、今回の安産に繋がったのかもしれない。ふとそう思った。


「殿、皆が待っております。ひとまず皆にお知らせしてくださいませ」


 我が子を抱き抱えてエルたちと喜びを分かち合うが、お梅さんに言われて思い出した。オレは父親でもあるが久遠家当主でもある。みんなに知らせないといけない立場だ。


「ケティ、冬、頼むね。エル、ゆっくり休んで」


 赤ちゃんをケティたちに託し、エルに労いの声を掛けるとオレは出産部屋から出て広間へと行く。


「かず!」


「ようやったな!」


 驚いたことにそこには信長さん、信秀さんを筆頭に、義統さんや岩竜丸君までいる。真っ先に喜び声を掛けてくれた信長さんと、まるで本当の孫が生まれたように嬉しそうに安堵する信秀さんの姿にオレは感極まるものがあった。


「ワン! ワン! ワン!」


 ああ、ロボ一家も嬉しそうに駆け回っているね。わかるんだろう。そんな気もする。


「皆様、ありがとうございます。生まれた子は当家で幸運の子と伝わる双子でした。数代前に優れた双子の兄弟がいたそうです。日ノ本では不吉だとも言われるそうですが、それ以来、当家では双子を喜びます。どうかよろしくお願いいたします」


 双子が幸運の子というのは、多分ケティが考えたものだろう。オレとエルは生まれるまで性別も聞いていなかったからね。


 生まれてくる子がみんなに歓迎されるように願いを込めたのかもしれない。


「それはめでたいの。古き習わしも不要となれば変えるのが尾張ぞ。真偽のわからぬ迷信など変えてしまえばよい。さあ、祝いじゃ、祝いじゃ」


 双子という言葉に少しどうしていいかわからない顔をした人もいた。でも義統さんが笑ってオレの言葉にお墨付きをくれた。


 その言葉に集まった人たちもみんな納得してくれたみたいだ。


 斯波家という家柄の義統さんの言葉は重い。産まれてきた子たちへのこれ以上ない祝いの言葉になるだろう。


 名前考えないとなぁ。信秀さんとはすでに相談していて、名前は久遠家の仕来りで好きに付けてもいいが、幼名は付けたほうがいいのではと言われている。


 形式は武士として整える必要があるだろう。忌み名という扱いは止めたいが。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る