第919話・一揆収束

Side:忍び衆


 千種と関、それとその近隣に逃げていた北伊勢の一揆勢の大部分が鎮圧された。特に千種領では一部が死兵となってしまい、根切りにしたために六角も相応の被害が出たようだ。


 千種と関は一揆勢が城をあまり狙わなかったこともあり落城こそまぬがれたものの、領内は荒らされてしまい少なくない被害が出ておる。


 それらの知らせを持って孫三郎様のもとに来たのだが、こちらは早くも町でも造るかのような賑わいで驚かされた。八千の兵が領境におるが、ただ待っておるだけではないのだ。賦役と同じく一揆勢が荒らした街道や田畑を直しておるではないか。


 織田領と伊勢の商人も多く姿を見せており、市まで出ておる始末だ。孫三郎様は近隣の寺領に逃げ込んだ者や寺領の民にも働けば銭を与えておるようで、すでに復興を始めておるのだ。六角や北畠の者らはこの光景を見て如何思うのであろうな。


「そうか。一揆は片付いたか。甲賀も三雲が処刑されたと知らせが入った。戦は終わりだな」


 知らせを報告すると孫三郎様はホッとしたような顔をなされた。六角、北畠、織田。兵を出したのは同じだが、一番被害がないのは織田だ。その分、銭と兵糧は一番使うておるだろうがな。


 そんな孫三郎様から知らされたのは三雲定持の死であった。我ら久遠家忍び衆にとって仇敵。これで甲賀も落ち着くだろうと安堵する。


「引き続き探れ。わしは領境を固める」


「はっ」


 六角も北畠も織田と争う気はあるまい。されど国人や土豪はまた違う。それに暮らしが明らかに違うのだ。織田とそれ以外の領地では暮らしの差で争いが起きるやもしれん。難しきことだな。




Side:三雲賢持


 桑名の町に留め置かれておった我らが尾張に入ることを許された。父が処刑されたのだ。喜ぶ気にはなれん。母や弟たちは無事であろうか。


 百名のうち雑兵はそのまま蟹江にて再び留め置かれて、わしは那古野の久遠様の屋敷へとやってきた。


 目通り許されたのは久遠様と滝川様と望月様であった。若い。一目みただけで驚いてしまった。


「三雲新左衛門尉賢持にございます」


「遠路はるばるご苦労様。先に報告を。三雲殿の母上殿と弟など嘆願があった者たちは無事です。近江国追放となるようですが、そのままこちらに来ることになっています。大殿と守護様に感謝してください。左京大夫殿に頼んでくださったんです」


 滝川様も望月様も特に恨む様子も軽んじる様子もない。淡々とされておる。そんな中、久遠様は母たちの安否を教えてくださった。まさか我らの嘆願のために武衛様と内匠頭様が動かれたのか? 信じられん。


「はっ、恩情はこの身に代えても必ずやお返し致しまする」


「……三雲殿、あなたたちの身柄は私が預かることになりました。その上で命じます。命を粗末にすることだけは禁じます。いいですか。恩は生きて返してください」


 穏やかなお方なのだろう。皆の家族が無事で良かったと喜んでくださった。だがそんな久遠様の顔色が変わったのはわしの言葉であった。


 あの時を思い出す。我らを迎えにきた奥方様が、自害にて嘆願をしようとしたわしにお怒りになったことだ。


「はっ、畏まりました」


「三雲殿、忠義は生きて尽くせ。それが久遠家の掟だ。我が殿は失態は許すが、命を粗末にする者は許さぬ。そう心得よ」


 母の遠い血縁がある望月様が戸惑うわしにそう語った。随分とご迷惑をおかけしたのだろう。申し訳なく思う。


「三雲殿、貴方たちの処遇なんですけどね。伊豆諸島に行ってもらうことにしました。先頃、当家が北条家より頂いた島です。当家の本領と日ノ本の間にある重要な島。表向きは遠島処分ということにします。三雲殿に直接の罪はないが、六角家に配慮する必要もあります。また当家には三雲家と因縁もありました。数年は伊豆諸島で目立たぬように働いてください。禄は働きに応じて出しますので。少なくとも飢えることになるようなことはありません」


 伊豆の島か。まあ良かろう。散々逆恨みして北伊勢で一揆まで起こした父の嫡男としての罪が消えたわけではない。それに父と比べると寛大だとすら思う処分だ。父は気に入らぬ素破をすぐに殺していたからな。


 愚かな父であった。旧知の商人と明との密貿易をしておったまでは良かった。その船が帰らぬとなってから乱心した。


 ちょうど尾張で黒い南蛮船の噂が聞かれるようになり、滝川様が一族を連れて甲賀から出ていった。父も最初は愚か者だと笑っておったが、それが憎しみに変わったのは滝川様が久遠様に重用されておると聞いた頃だったか。


 その頃から船を沈めて荷を奪ったのは久遠様だと言うようになった。


 あてにしていた銭が入らなくなり、三雲家は困窮した。父はあちこちに贈り物や献金をすることで己が力を示して、六角家中で立身出世をしようと考えていたからな。借財も多くあった。


 もう船を出す銭もないというのに、借財を止めるどころか借財で贈り物や献金を続けようとしておったからな。もっとも最後は貸す者もおらなくなったが。


 後戻り出来なくなったのは望月様の弟であり先代の甲賀望月家当主が、父と同じく六角家中に贈り物や献金をして己が地位を高めようとしたことか。


 織田様と久遠様が甲賀を狙っておると考えるようになったようで、六角家の先代御屋形様の意向に反してまで滝川家と望月家の邪魔をするようになった。


 もっとも先代の望月家当主の動きは誰も望んでおらぬようで、家臣らに殺されたようだがな。父はそれも織田の謀だと考えていた様子。


 甲賀には父を信じる者もそれなりにいたが、そんな父の様子に皆、離れていった。尾張に行けば飢えぬだけの銭をくれるのだ。そんな尾張を敵視しておる父に従ったとて、なんの見返りもない。


「一からやり直すつもりで頑張ってください。生きていれば家は残せますから」


「畏まりました」


 父を思い出しておったからであろう。優しく語る久遠様に涙が出そうになる。庭先で泥に塗れて僅かばかりの悪銭を与えられる身分になったというのに。これほど気遣ってくださるとは。


 愚かな父だ。されどわしの父であることに変わりない。


 わしは父の罪も背負い生きていくしかあるまい。新たな地でな。




◆◆


 北伊勢土一揆


 天文二十一年。北伊勢で一揆が起きた。


 この北伊勢土一揆は管領細川晴元と三雲定持の謀として有名であるが、背景には尾張との経済格差からくる人の流出があったとされる。


 当時、蟹江の港町建設に際して人手を求めていた織田家が、一向宗の願証寺や北伊勢の国人に礼金を出して人を派遣してもらったのが始まりであった。


 ただ当初北伊勢側で出したのは、戻らなくても惜しくない三男やそれ以降の民だったようで、待遇が悪かった故郷の村よりも居心地のいい尾張に居着いてしまい、戻らなくなった者が多発したと『織田統一記』には記されている。


 そんな者たちから『尾張に行けば飢えずに食える』とそう噂になっていたようで、北伊勢で食えぬ者が次から次へと尾張へ移り住んだことで、それを止めようとする国人や土豪と領民の間に対立が生まれていたようであった。


 晴元と定持はそんな国人や土豪に悪いのは織田だと吹き込み、織田と北伊勢を争わせようとしていた。これは両名の書状が現存しており明らかである。晴元は三好長慶を倒すために六角や織田の力を欲しており、争いを起こし仲介することで己が力を示すつもりだったと思われる。


 定持は晴元とは思惑が違い、六角と織田を戦わせ久遠の貿易を奪うつもりであったと考えられている。定持は自ら明と密貿易をしていたことから貿易で得られる利益を知っていたと思われる。


 さらには同じ甲賀出身の滝川と望月が尾張で立身出世し甲賀にまで影響を与えることを憎んだ私怨からくる謀であるとも伝わる。


 三雲定持はこの一件により六角義賢に捕らえられ処刑された。定持の一族は追放処分となり尾張の久遠が召し抱えている。


 これは定持の嫡男賢持が父の危うさから家を残すために織田に寝返ったことが原因にあるのだが、六角義賢はなぜ信じてくれなかったのかと嘆いたという逸話が残っている。


 土一揆の原因は細川、三雲両名とは無関係のものであり、放置しておいてもいずれ一揆が起きたというのがこの一件の見立てである。


 この一揆にて六角義賢は斯波・織田との協調路線を明らかにしており、父定頼と同じく織田と協調することにより地域の安定と六角家の今後を見据えていた。


 なお、北伊勢土一揆は、後に戦国歌舞伎として有名な題材である『六角義賢奮闘記』の一場面となる。代わりゆく世を案じながら亡くなった父定頼の後を継いだ義賢が、父の遺言に従い織田信秀の助言を受けつつ六角家を掌握していく姿になる。


 偉大なる父の後を継いだ義賢が、信秀や久遠一馬や足利義藤など多くの者たちにもまれながら名門六角家を舵取りする様子は玄人好みの題目として人気となっている。




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