第918話・些細な因縁が歴史を紡ぐ
Side:銀次
「しかし慶次郎様も物好きだ。あっしに付き合ってここまでくるなんて」
そろそろ近江と伊勢の国境に差し掛かる。甲賀では今頃三雲定持の処刑でも行われているだろうね。慶次郎様とあっしらはそれを見ることなく帰路に就いている。
元はと言えば遊女屋で偶然出くわして、一緒に酒を飲んだのがきっかけだった。『三雲定持の討伐がある』、慶次郎様はそうあっしに教えてくださった。
「オレも一度顔を拝んでおきたかったのさ」
三雲定持はあっしの親の仇になる。近隣で土豪だった親父は三雲定持の手の者に殺された。素破働きが気に入らなかったという理由でだ。
仇を討とうなんて気はなかった。ただ、一目三雲定持の最期を見届けたいと思い、甲賀に行くと言うと、なぜか慶次郎様が一緒に来てくださった。
おかしな人だ。今や諸国に名の知れた方のはずなのに好き勝手に遊んでいる。いいのかと思うが、いつの間にか役目は役目でこなしておるようなお人だ。
「仇だったんですよ。親のね」
あっしと三雲定持の因縁を知っていたんだろう。慶次郎様はそう教えても驚きもせず握り飯を食っておられる。
今や久遠家忍び衆は甲賀のことで知らぬことはないと言われるほど。あっしは仕えているわけじゃないんで、三雲定持の討伐なんか知らなかったがね。
「討ってしまっても良かったんだぞ」
「それをしちゃやり過ぎでございますよ。何事も腹八分目が信条なんでね。あそこで討てば六角と織田の関わりに疑念が生まれかねませんでしょう」
共にいる者たちは久遠家忍び衆だ。慶次郎様は独断で人を集めてここまで一緒に来てくださった。北伊勢は今も一揆の混乱でなにが起きてもおかしくねえ。あっしひとりだとさすがに危ないとでも思われたのかもしれんがね。
ここまでしてもらって久遠家にご迷惑をおかけするわけにはいかねえ。
「あっしより慶次郎様は大丈夫なので?」
「構わんさ。十日やそこらは菓子や酒を禁じられるくらいの罰は受けるかもしれんがね。その程度だ」
まるで童が受ける罰のようだ。ひとつ間違えれば騒動どころでは済まぬはずなのに平然としておるのが、慶次郎様らしいと言えばそうだが。
「甲賀もいつの日か尾張のように飢えぬ国になるんですかね?」
「さてね。我が殿がそれを考えているのは確かであろう。山には山の役目があるそうだ」
ただ慶次郎様を好きにさせている久遠様も、相も変わらずとんでもねえお人だ。僅か数年で尾張どころか甲賀をも変えちまったんだから当然だが。土地を治めることなく甲賀を制することも出来そうなお人だ。
「では参りますか? 早く戻らねえと」
「だな。行くか」
握り飯を食い終わるとすぐに歩き出す。甲賀の方角を見て親父に別れを告げて。
Side:久遠一馬
資清さんの表情がなんとも言えないものがある。慶次がなんの報告もなく北伊勢に入って以降行方が知れないからだ。ふらっといなくなることはあっても、織田の領外に出ることはなかったんだけどね。
今回は忍び衆も連れていったみたいで、そこは良かったと思う。命を粗末にするようなことをしないなら、個人的には別にいいと思う。ただ資清さんとしては褒めるわけにはいかないだろうな。
まあオレは行き先知っているんだけどね。虫型偵察機の情報で慶次が甲賀で三雲定持を捕らえたことを知っている。これは中央指令室からの情報だが、銀次というフリーの忍者の仇討ちに同行したらしい。
「まあ、ウチだとよくあることだからね」
ジュリアが困ったような資清さんに笑って声を掛けた。すずとチェリーもそうだが、オレの奥さんたちはあちこちに行くからね。自発的に。
「北伊勢でございますが、さすがは山城守様でございますな。復興の素案を早くまとめませぬと、こちらが後れをとりまする」
少し元気のない資清さんに代わり望月さんが話を変えてくれた。上手いな。資清さんは真面目だから、こうすると気晴らしにもなるだろう。
道三さんは武力で一揆勢や国人と土豪の残党を蹴散らして北伊勢を安定させている。信光さんと主力は未だに六角との境である、梅戸と梅戸に連なる者たちのところで動いていない。
大丈夫だとは思うが、信光さんが引くと向こうの一揆勢がまたこっちに来る可能性もあるんだよねぇ。
「国人や土豪は蜂起した者は捕らえておるとのこと。大殿は如何なさるのでしょうな」
「大殿はどちらでも構わぬとお考えであろう。だが今更蜂起しても認めるものなどないはずだ」
道三さんのやり方は割とシンプルだった。蜂起しない者たちは俸禄での召し抱えを口添えすると約束して従えているが、蜂起した者は罪人として討つか捕らえている。
時代的に蜂起しても己の力を示したら降伏して臣従と考えているんだろうが、道三さんはそれを認めていない。特に細々といる土豪はそんな感じらしいね。
望月さんが資清さんに信秀さんの考えを聞くと、資清さんは気持ちを切り替えたようで推測ながら答えた。
申し訳ないが細々とした武力を示しても評価されないんだよね。今の織田家だと。そこんとこの情報を得ている人がほとんどいない。
「商いと旅人は、当面は東山道経由だろうな」
道三さんは頑張っているが、北伊勢が安定するには今しばらくの時が必要だろう。以前から東海道は関所が多く賊も多いということで商人たちは避けていた。
近江商人なんかは八風街道をよく使っていたらしいが、尾張商人は美濃の東山道経由が多かった。理由は治安がいいからだ。関ヶ原近辺はウルザとヒルザが頑張っていたこともあり、治安が良かった。近江に入ると幾分治安が悪くなるが、あっちは琵琶湖の水運も使えたしね。
「左中将殿から今後のことを話したいって文がきているよ」
ジュリアはどうも具教さんに手紙でアドバイスをしていたらしい。北畠勢が織田と連携して追い立てるよう動いたのはジュリアのアドバイスだろう。
関ヶ原と同様に
東海道、通りやすいのは確かなんだよなぁ。治安と無駄な関所さえ改善すれば。
尾張に頻繁に来る具教さんは、経済格差と治安維持の差による影響をおおよそではあるものの理解している。具教さんは特に警備兵の仕組みについてセレスに聞いていた。恐らくは南伊勢の北畠家の直轄領で試すつもりだったんだろうが、もしかすると北伊勢でもやりたいのかもしれない。
「飛騨からの人足、こうなると本当に助かるなぁ」
そうそう、飛騨からの職人と人足が尾張に到着してすでに働いている。職人は犬山城下にある木材集積所と那古野の職人町で主に木工をしていて、人足は尾張と美濃で街道整備に従事している。
そこまで人数が多いわけでもないが、北伊勢に一万五千も出しているので助かっている。
「北美濃と東美濃では食べ物を送ったことを驚いておりますな。まさかそこまですると思わなかったようで」
北伊勢にどの程度の人を残して治安維持と賦役をするべきかと考えていると、望月さんが興味深いことを報告してくれた。
分国法に書いてあるんだけどなぁ。とはいえ本当に食わせてくれると思わなかったというのが本音か。新参の領地なんてどこも軽視されるからね。仕方ないが。
「植林と炭焼きの件もこれできちんとやってくれるか」
北美濃と東美濃には山の手入れと植林、それと炭焼きの技を伝授するので先行して実施する候補地を選定すると知らせてある。今回は国人にも教える前提なので監視も必要だが、国人の側にも情報秘匿に協力してもらわないといけない。
まあ領地整理で人のいない山などはすべて織田家の直轄領にしてあるので国人に隠してやることも不可能ではないが、一緒に仲間に加えてやらないと面白くないだろう。もとは自分たちの土地なんだ。
森林資源の管理と燃料問題をそろそろ軌道に乗せたい。
本当、北伊勢に構っている時間なかったんだけどなぁ。
あと願証寺と北伊勢について話が始まっている。守護使不入に関しては撤廃で大丈夫そうだ。尾張や三河をモデルに織田領での寺社の生き残りを向こうも模索している。
守護使不入は三河の本證寺が悪用したことで、願証寺でもどうなんだという議論が起きたらしい。無法な為政者から身を守る法律だが、悪用すると身内すら滅ぼすことが相当ショックだったらしいね。
領地整理も織田家が食わせることを義務とするならばやれそうなんだよな。三河がそれでやっているから。
北伊勢は六角次第だろうね。あそこの統治が駄目だとまた争乱が起きる。どうなることやら。
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