第917話・裁かれる者

Side:六角義賢


 三雲を捕らえたのは滝川ゆかりの者であったか。妻子すら捨てて逃げておった。結局、奴も己が重用されぬことが不満だっただけか。


 処罰は三雲城で行うこととした。駆け付けた甲賀衆に広く見せねばならん。


 罪人として縛られたまま庭先に連れてこられた三雲定持と重臣らは、捕らえられる時に痛めつけられたようで血が滲んでおる者もおる。


「無礼者! 頭を下げぬか!」


 ざわついたのは三雲定持が頭を下げずにこちらを睨んだことか。兵が無理やりに頭を下げさせると屈辱だと言わんばかりの顔をした。


「如何ともしようがない愚か者ばかりだ! このままでは六角は滅ぶぞ!」


「勝手に口を開くな!」


 頭を押さえつけられたまま三雲定持は勝手に口を開いた。死を覚悟して最早怖い者なしか。兵がやめさせようとするが、わしが止める。言いたいことがあるなら言わせてやればいい。


 少し聞いてみたいと思うたのだ。なにをそれほど思うのか。


「織田は今すぐに叩かねば必ずや六角に牙を剥くぞ! すでに甲賀は織田に乗っ取られておるではないか!」


「勝手なことを。己が甲賀衆から信を得られておらぬのは己の不徳であろう。食えぬ甲賀者が外に出ることは前よりよくあること。出た先で厚遇されたのが己でないからと不満をこぼす愚か者が」


 甲賀を乗っ取られておるという言葉に蒲生下野守が三雲定持を嘲笑うように答えた。そう、よくあることであったのだ。


 ただ久遠は誰もが思いもせぬほど厚遇した。されどそれを非難は出来まい。久遠には久遠の伝統と考えがある。軽んじられたと怒るならわかるが、厚遇したと怒るわけにはいかぬ。


「美濃、三河、そして北伊勢! どこも織田に取られておるではないか! 次は六角か今川であろう!! 蒲生! 己が臆病風に吹かれて先代様と御屋形様を狂わしたのだ!」


「所詮は素破か。強きところに人が集まるのは当然であろう。美濃はな、斎藤山城守が自ら降ったのだ。三河も然り。北伊勢は御屋形様や願証寺が頼んだことだ」


 三雲定持の言葉に重臣からは失笑が起こり、蒲生下野守が愚か者にもわかるようにと話して聞かせるが、三雲定持は聞く耳を持たんようだな。


 そうなのだ。強き者に人が集まるのは当然だ。わしは自ら尾張に行ったのでわかっておる。織田は必ずしもこれ以上の領地の拡大を望んでおらぬ節もあった。


 領地を広げるよりも今ある所領をいかに治めるか。それに腐心しておった。蒲生下野守にはそれを学んでくるように命じておったのでよくわかっておろう。


「対馬守、そなたの主は誰だ?」


 これ以上蒲生下野守と話しても無駄であろう。わしは自ら三雲定持に声を掛けた。


「わしは御屋形様を裏切ったことはありませぬ!」


「そなたはわしを裏切ったのだ。細川晴元と通じたのが失敗であったな。あの男は公方様にすら疎まれておる男。父上からも決して気を許すなと言われておったのだ」


 甲賀衆がざわついた。三雲定持が細川晴元と通じておったなど、知らなかった者も多かったのであろう。


「さにあらず! 誰であろうと使える者を使い、織田を倒さねばならんのでございます!」


「それが公方様の御意思に反してもか?」


 管領すら使うと申す三雲定持に誰も口を開かなくなった。敵対しておるに等しいとはいえあまりに危うい発言だからな。


 それにこの男は重要なことを知らんのだ。


「公方様は尾張を頼りにされておるのだ。乱世と言っても差し支えないこの世で国を富ませることで戦をせずに治めようとしておる尾張をな。臣下として公方様の御意思を無視するのか? さらに武衛殿も内匠頭殿もこちらには敵意はなく、むしろ気を使ってくれているぞ」


「騙されておるのだ! 御屋形様も公方様も!」


「奥方や家臣の諫言を無視しておったその方が言っていい言葉ではない。それに尾張のことは行ったことがないその方よりもわしがよく知っておるわ」


 一見すると忠臣にも思えることを口走る頭はあるか。それが六角家中において一定の理解があったことも確かであろうな。とはいえ己だけは絶対に正しいと言うておるこの男に騙されるというのは、いかに愚かな家臣が多いということか。


「公方様も父上の遺言も無視したそなたを許すことは出来ぬ。さらにそなたの我欲と逆恨みで織田をつけ狙ったせいで、甲賀衆は同士討ちをする羽目になり多くの命を失った。全員磔と致したのちにその首を晒すこととする」


「ハハハッ! 六角は終わりだ! 久遠に滅ぼされるぞ! わしの船も沈めたのだからな!!」


「たわけたことを抜かすな。密貿易なのだ。弱き者はなにをされても文句は言えぬ。それほど大事な船だったのならば、己の兵でも乗せて守ればよかったであろう。それにな。久遠殿はそなたが思うような男ではない。やはり六角への忠義ではなく我欲か」


 結局、最後に出た言葉は船の件か。そもそも三雲がしておった密貿易は昵懇の商人にやらせておっただけのもの。そなたの船ではなかろうに。自ら船を持ち各地を訪れる久遠の船と同じと考えるべきではない。


 ただ、三雲定持が僅かに哀れに思える。


 大内義隆公法要で尾張に行った時、久遠殿の船で父上を追悼してくれたことが久遠殿の考えだったと後に武衛殿に聞いた。『命を粗末にするな』、それが久遠家の掟であることも聞き及んでおる。


 実際に会い、話をしてわかった。久遠殿の動きに打算がないとは言わぬ。されど争わず命を奪わずとも上手くやろうと努力しておることは間違いない。


 父上の人を見る目は確かであった。それに公方様が真に頼りにしておるのが久遠殿だということも、決して言えぬが間違いあるまい。


「対馬守。地獄から見届けるがいい。六角の行く末をな」


 うなだれる三雲家重臣と乱心したように笑う三雲定持がこの場から連れていかれると、場は静まり返った。


「三雲をここまで野放しにしたこと、わしの落ち度でもある。すまぬことをした」


「御屋形様!!」


 場に残った重臣と甲賀衆にわしは自ら謝罪すると、甲賀衆からは驚きの声があがる。


「尾張と争うことはない。武衛殿も内匠頭殿も久遠殿ともな。この乱世で争わぬ道を求める者たちだ。わしは父上の遺言に従い、尾張と力を合わせて国を治めるつもりだ」


 甲賀衆からは安堵の表情が見て取れる。願わくは織田とは争いたくない。それが本音であろう。わしもそれは同じだ。


 この先、如何になるかわからん。されど争わぬ道も探すべきだと思う。細川晴元のように謀ばかりしておっても先はあるまい。


 無論、いつ敵に回ってもいいように備えはするがな。それは相手も同じこと。


 今は尾張に倣い、国を整えるべき時だ。すべては父上が残された道なのであろうがな。


 わしはこの先、如何なる世となっても六角の家を残してみせる。必ずな。




◆◆


 天文二十一年、十月末日。三雲定持が処刑された。


 六角家の中でも重臣待遇だったようで、甲賀衆の中でも有数の実力者であったようだが、滝川家の久遠家仕官以降孤立していたことが幾つかの資料から窺える。


 直接の罪状は管領細川晴元と通じて北伊勢にて一揆の手引きをした罪であったが、これ以前からも三雲定持は久遠一馬を酷く恨み罵っていたようで、久遠家に仕える甲賀衆と対立していたとの記録もある。


 六角家は定頼の晩年から尾張の織田とは協調路線に転じていて、三雲定持はそんな六角家の方針に反する行動をしていたことは明らかで、六角義賢が自ら討伐に乗り出した結果であった。


 一部には六角義賢の命により三雲定持は動いていたとの噂もあったとされるが、確たる証拠はない。


 また、この頃は時の将軍足利義藤がお忍びで諸国を巡る途中で尾張にもよく行っていた頃でもあり、特に久遠一馬とは昵懇の仲となっていたことで六角義賢も尾張との対立は望んでいなかったとされる。


 甲賀には久遠家ゆかりの者も多くなり三雲定持は危機感を持っていたとされるが、己の地位を揺るがす甲賀の動きを許せなかっただけであると伝わる。


 その身柄は三雲定持の居城の前にて磔となり数日晒され首は一件の首謀者であった細川晴元に送られたとある。


 この一件で管領である細川晴元と六角義賢の関係は完全に断たれてしまい、六角義賢は斯波と織田、三好と誼を深めつつ細川晴元に対峙することになる。


 なお、一部の資料に三雲定持を捕らえたのは穀蔵院こくぞういん飄戸斎ひょっとこさいであると残る。明らかな偽名であり、滝川家ゆかりの者であるとされるものの、かの者が何者かわかっていない。


 ただ、同時期に滝川家菩提寺に滝川秀益が仏像を奉納している。寺に伝わる逸話として秀益は自らそれを持参したと伝わり、穀蔵院飄戸斎は滝川秀益ではと言われているが具体的な証拠はない。


 近年の歴史ドラマや小説ではそれが定番となっていて、久遠一馬が命じたとも秀益が勝手にやったとも描かれている。



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