第915話・スピード

Side:千種忠治


「おのれぇ……」


 このようなことがあってよいのか。何故……何故、我が領地にこれほどの一揆勢が集まるのだ。


 北伊勢で起きた一揆は我が領内でも起きた。それが自ら出陣し、ようやく鎮圧しようとしておった矢先に外から次々と一揆勢が集まり手に負えなくなった。


 誰かが謀ったという噂もあるが、そのようなこと最早如何様でもよいことだ。


「弱きところに集まっておるのでございましょう。織田は万を超える兵を動員しており、北畠と六角も動いておりまする。北伊勢四十八家で無事なのは、それらの血縁がある家くらいでございますれば」


 家臣らも悔しさから言葉すら出ぬ者もおる。『弱きところに集まる』、まさにその一言で済む話なのであろう。


「どこかに援軍を頼みまするか?」


 現在は籠城しておるので城は無事だが、領内はすでに荒らされておるようで村が焼かれた煙すら見えた。先に集まり逃げて参った民は城に入れたが、あとは如何になっておるのやら。


「北畠殿に頼む」


 口惜しい。口惜しいが、北勢四十八家は最早如何様にもなるまい。我が千種家は北伊勢を率いることも出来る立場にあったものが守れなかった。


 あとは同じ伊勢の北畠殿に頼るしかあるまい。六角も織田も好かぬ。


「なんだと……」


 北伊勢に北畠勢を率いてきておったのは嫡男の左中将殿であったが、なんと関家からも救援要請が届いておるとのことでしばらくは行けぬとのこと。向こうは神戸の本家。血縁があるのだ。仕方ない。仕方ないが、されどこのままでは……。




Side:久遠春


「流石は六角家ね。容赦がないわ」


 六角は一揆勢を次から次へと討っているわね。女子供でさえも逆らえば容赦しない。この時代としては当然のことだけどね。もっとも根切りというよりは捕らえることにも熱心のようだけど。奴隷売買でもする気かしら?


 可哀想と口にするのは簡単よ。でも一揆を許したとあっては後顧の憂いとなる。今後も織田が領地を広げていく際に、一揆で好き勝手したあとに従ったら許してもらえると思われると困る。


 それに同じ北伊勢の民の中には、一揆に村を焼かれ家族を殺された者も大勢いる。彼らは桑名や一向宗の寺に逃げていて、落ち着いたら北伊勢の民になるのよ。そんな民の為にも一揆を許してはいけない。


 まあ織田で手を汚すことも面倒になるので、これでいいんだけど。


「春、千種はもたないわよ」


 忍び衆の報告では北伊勢最後の独立した大物である千種はすでに籠城しているとか。夏の見立てでは城の陥落も時間の問題だという。千種は北畠に援軍要請をしたみたいだけど、関家を理由に断ったみたい。


 織田、六角、北畠で事前に千種のあたりは六角が押さえると話が付いているのよね。北畠はそれを破る気はないと。


「六角に頭を下げるか、逃げて再起を図るか。どっちにしても私たちにはあまり影響はないわね」


 注意すべきは六角よ。千種じゃないわ。六角は伊勢中央部の奉公衆などの領地でも一揆勢を討伐しながら押さえてしまった。


 北伊勢の大部分を事実上放棄することになっても八風街道と梅戸は守る気ね。


「お腹空いた。おいしいものが食べたい」


「そろそろエルの子が産まれてもおかしくないよ。早く帰ろう!」


 秋と冬は、いい加減尾張に帰りたいようね。私たちの役目は終わりか。桑名郡と員弁郡の制圧と安定には私たちの出番はないわね。流石は美濃の蝮と言われた人ね。隙がないわ。


「そうね。六角の監視はあなたたちに頼むわね」


「お任せください」


 あまり目立つと大殿にお叱りを受ける。この辺りでいいでしょう。北伊勢に根付く忍び衆に後を任せて私たちは尾張に帰ろう。


 生まれてくる子は私たちの子でもある。みんなで迎えてやりたい。




Side:久遠一馬


「義父殿はさすがだな」


 北伊勢からの報告を清洲城で信長さんと聞いているが、こちらから必要以上に指示を出す前に動いていて助かる。日頃あまり出過ぎたことをしないようにと動かない人なので、信長さんも少し驚いている。


 国人や土豪やその家臣の中には逃げて城を放棄した者がたくさんいたが、織田が周囲から一揆勢を追い出すと戻ってきて、元のまま治めようとしていた者たちも結構いたらしい。


 細々とした城は荒らされたり焼かれたりして無事なところが少ないし、いちいち人を置いていないからでもあるが。織田はそんな連中を認める気はない。


 すでに織田が押さえた領地であることを説明して退去を命じる。それでも従わないなら実力行使で排除もしているらしい。


 これがまあ大変なんだよねぇ。三河でもあったが、土地に根付いた武士たちはその土地に異常なほどに拘るから。領地には一族郎党の血縁が山ほどいるし、下手をすると領民からも恨まれかねない。


 道三さん、長々と時間をかける気はないらしいね。頼もしい限りだ。


「あとは願証寺との話し合いかな」


 これには政秀さんが現在願証寺に行っている。北伊勢の織田領となるところの寺領の扱いについて協議するためだ。守護使不入という特権が生きているし、軽く聞いた限りでも寺領が結構広い。


 三河のように大きな失態がないので、一方的に特権を取り上げて寺領の整理は出来ない。とはいえ尾張と美濃では、すでに守護使不入の特権は認めていない。さらに寺領の整理も街道整備などで必要なところからしているし、関所の撤廃などはさせている。


 願証寺がどこまで織田のやり方に従うか、今後の寺社の扱いを含めた試金石となる。


 まあ暮らしが成り立たないほど取り上げる気はないが。利権と土地は整理をしていかないといけない。


「寺子屋の件は大丈夫そうよ。アーシャと沢彦和尚が上手く献策をまとめてくれたわ」


 寺社にはいくつかの仕事をさせる代わりに、織田家から禄を出すことを想定して検討をしている。メルティが見せてくれたのはそのひとつである寺子屋、寺社での初等教育の献策だった。


 これ、オレは反対なんだけどね。本心では。宗教と教育は切り離したい。ただ現実問題として、この時代で村単位から教育を行き渡らせるために一から学校を構築していくと間に合わないんだ。


 尾張でも寺子屋をやって上手くいっていることもある。かわら版の影響もあるし、学校の影響もある。文字を覚えたい人も増えているし、織田が教育に力を入れているならと厚意から近隣の村の人に教えているお坊さんもいた。


 宗派の対立を持ち込まないことや、過度の勧誘を禁じるということで上手くいきそうなんだよね。アーシャたちの献策では、学校にてお坊さんたちへの説明と指導について研修をしたあとに許可状を出すことや、監査役を置くことでやれそうらしい。


 学校で宗教色のある教育の禁止も宗派の対立を防ぐ意味で必要だというのが、沢彦さんたちお坊さんの教師陣の意見でもある。


 この時代だと宗派の対立で戦になることだってあるからね。かなり真剣に議論して妥協案を用意してくれた。


 アーシャの頑張りもあるが、学校の運営にはお坊さんたちが活躍しているのも事実だし。


 北伊勢だけじゃないんだよね。尾張、美濃においても寺社の寺社領と利権の完全な整理と調整のための検討が、津島神社や熱田神社などを巻き込んでだいぶ前から始まっている。


 寺社領をすべて取り上げる気はない。とはいえ整理して減らすことは必要だろう。すでに旅籠として儲けているところもあるが、寺子屋とか仕事を与えて土地は減らしていく必要がある。


 まあ尾張の寺社は、多かれ少なかれ変わることが必要なのは知っていることだけどね。流行り病の末端のネットワークとしても有効なんで潰すなんてありえないことだ。


 畿内の本山とかが余計な口を挟まない限りは上手くいきそうな気がする。



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