第913話・六角の動き

Side:梅戸高実うめどたかざね


「一万五千以上じゃと……」


 六角家から三千の援軍が到着したが、奇しくも尾張勢の様子が判明した。


「まことか? そのような兵を僅かな間で集めて送ってくるなど……、まさか一揆は織田の謀か?」


 桑名郡と員弁郡はこちらの所領以外は、ほぼ押さえてしまったというのにはにわかに信じられぬものがある。されど六角から参った進藤山城守殿は驚きもなく平然とされておる。


 まさか知っておったのか?


「謀ごとではない。いや、織田が謀らなかったゆえに一揆が起きたというべきか。兵の数はそんなものだ。織田は北近江の浅井相手にも僅かな間に万の兵を動員した。あそこに人が流れておるのは知っていよう。その者などがすぐに出てくるのだ」


 進藤殿の話は偽りかと疑いたくなるほどであった。六角と並ぶ、いやそれ以上かもしれぬ力があるというのか。確かに近年織田の動きは凄まじいものがあった。されど……。


「此度も野分の被害で飢えるかもしれんと騒いでおるが、尾張と美濃はそのようなこともない。北伊勢の愚か者どもが、織田から銭をもらって己だけ贅沢しておることに民が怒ったのだ。さらに飢える民は尾張に行くしかない。それを管領殿の謀に乗って無策に止めた愚か者が此度の一揆の原因だ」


 進藤殿の言葉に、同じ場におる逃げて参った北伊勢の国人らは不満げな顔をしたり目を逸らしたりしておる。領地を追われ助けてほしいと来たので、六角からの援軍が来るまではと留め置いておったのだが。


「管領様と甲賀の三雲が謀ったのはまことか」


「確かに謀ったが、一揆を起こすまで。それを大きくする力などないわ。それはそなたたちの不徳である。尾張と近江に挟まれたこの地はその気になれば富める地となる。それをまともに治めることも出来ぬとは」


 進藤殿ばかりでない。六角家の者たちは皆、愚か者を見るような目で見ておる。確かに一揆など起こされた者が悪いのも当然のこと。とはいえ斯波は所領を召し上げると言うておるようで皆が慌てておるのだ。


 まさか六角家までもが見捨てるのか?


「六角家に忠義を誓うのならば召し抱えてやる。だが所領は知らん。御屋形様は斯波武衛様に頼んで兵を出してもらったのだ。そなたらのために尾張との誼に傷を付けるなどあり得ぬ。気に入らぬのならば若狭の管領殿に訴えるがよかろう。わしは梅戸殿を救援せよと言われたが他は命じられておらん」


 御屋形様を筆頭に六角家の者たちは相当頭にきておるようだな。織田が先代様を偲んで南蛮船で冥福を祈ったのは聞き及んでおる。先代様は斯波や織田とも誼を通じてよくやっておられた。それ故に余計な騒ぎを起こした北伊勢の者らを怒っておるのであろう。


「では如何いたしますか? 先陣として参った三雲勢は行き方知れずでございますが」


「捨ておけ。我らは梅戸家の領内から一揆勢を追い出し領地を守る」


「討つのではなく追い出すのでございますか?」


「討っても構わんぞ。だが逃げよう。さらに弱き所へな」


 その言葉にハッとした。織田と北畠は共に戦っておると知らせが参っておる。そうすると近隣で残る大物は千種家くらいしかないではないか。


 まさかそのまま千種に一揆を押し付け取り込むつもりか? 強かなのは織田ばかりでないか。とはいえ気になるのは……。


「六角は海を捨てると?」


「梅戸殿、そなた噂の南蛮船を見たことがあるか?」


「ありませぬな。それがなにか?」


「勝てぬのだ。海ではな。さらに織田は一向衆すら取り込んでおるのは知らせが届いていよう。こちらは八風街道を押さえられればよい。幸いなことに織田も六角と戦など望んでおらん」


 勝てぬという言葉に北伊勢の者らが固まったのがわかる。海ではということであるが、名門六角が戦う前から勝てぬと認めるとは。さらに北伊勢は国人らが勝手をしておったのだ。助ける義理もないということか。


 わしも領地を守らねば他の者らと同じか。これは心して掛からねばならぬな。




Side:久遠一馬


 織田と北畠の占領地では、一週間を過ぎた頃になると一揆勢がほぼ消えた。賊に成り下がった連中や細々とした一揆勢はまだいるらしいが、大勢に影響はないだろう。


 残るは梅戸、千種、関などの北伊勢の大物の領地だ。こちらから追い立てられた者たちがそちらに流れているからね。


 ああ、中伊勢の長野家も苦戦しているようだ。いろいろと不満が溜まっていたんだろう。尾張や北伊勢から南伊勢に行くにはすっかり船が常識になりつつあり、中伊勢の街道なんかは廃れ始めていたからね。安濃津の湊も同じ。


 大湊の隆盛と共に存在感を示している北畠家と違い、長野家は求心力が落ちていたんだろう。そこに一揆だ。鎮圧には少し時間がかかるかもしれない。


 北伊勢の領地に関しては、六角家とは押さえたところはこちらで好きにしていいと話が付いているが、北畠家とはまだだ。正式に許可状なりなんなりを得てから進めたい。北伊勢に派遣した軍勢はまだ戻ってないが、すでに戦後統治を見越して北畠家とは話をしている。


 尾張ではあまりに早い鎮圧に拍子抜けした感じもあるようだ。一揆勢がまとまらないように分断した結果ではあるが、それを抜いても六角、北畠、願証寺。それと織田か。多くの勢力の狭間にあり、独立した国人や土豪が多いだけにもっと揉めると考えていた人も多いらしい。


 実際、順序と方策を間違えるとそうなっただろう。短期間で動員出来る体制と経済力、それと周辺の勢力との外交交渉の成功。上手くいった要因はいろいろあると思うが。


「この機会に常備兵の創設を試してもいいかもね」


 今回の一番の収穫は、元流民と言える賦役で食べている領民の動きだろう。尾張に対して愛着もあるようで守ろうという意思が強かった。


 常備兵に関しては当初から構想はあったが進んでいない。警備兵を優先して人員をそちらに振り向けたことや、武士は武官として育てているためだ。


 あと軍というのは平時から創設しておくと金食い虫ともなる。人手不足もあって士官となる武官を優先したんだよね。個人的には最初は元の世界の予備役のような体制での常備兵でいい気がしている。


 平時では賦役で働き、定期的な訓練に報酬を出す。戦になれば動員する約束を加えて多少でも報酬を考えれば一定数は集まりそう。


 軍人が専門家集団になるのはまだ先のことだ。水軍はすでに専門家集団になるので、その手法が通用しないけど。陸軍なら現状ではそれで十分な気がする。


「そうですね。二千ほどでも即応できる兵がいれば、いいと思います」


 ちょうどセレスがいるので相談してみるが、二千か。六角でも北伊勢に出した兵が三千だからなぁ。尾張南部にすぐに動ける常備兵を賦役で働かせておけばいけるか?


 武具とかはかなり揃っているんだよね。鉄を用いた鎧に槍などは職人が作れば織田で買い取っているし、兵糧は備蓄米がある。


 人員さえ集まればその日のうちに派兵も可能になるだろう。


「ああっ、これこれだめですよ」


 きりっとした真面目な顔つきで話していたセレスの表情が変わる。やんちゃな花鳥風月の四匹が襲来したんだ。お市ちゃん昼寝している頃だしなぁ。


 セレスの服を噛み噛みしたり膝の上に乗ったり。ただ服を噛むことだけは止めさせている。これは躾だ。着物が貴重な時代だからね。


「駄目ですからね」


 兵を指導する時には厳しいセレスも仔犬たちには甘い。表情が緩んでいるのがわかる。


「クーン?」


 ただ花鳥風月の四匹は遊んでくれるのと勘違いしているっぽい。尻尾がブンブン揺れている。



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