第912話・働かぬ者と働く者

Side:久遠一馬


 北伊勢の掃討を始めて五日、一揆の制圧は順調らしい。そもそも彼らは食べ物が欲しいのであって、戦をしたいわけでもない。まとまった数の兵と織田の旗印を見ると逃げていくらしい。


 尾張勢の大将である信光さんが一益さんに桑名を任せているせいで、一番大変なのは彼だろう。


 信光さんからは文が届いたが、桑名の商人も願証寺も念のため警戒しているらしい。美濃から員弁郡に行けるので退路を断たれることはないが、任せられる人がほかにいないと書かれていた。


 さらに治安が不安定な願証寺の末寺と軍勢に物資を届ける。これって実は大変な作業なんだよね。まして旧来の武家なら武功としての評価も低い。信光さんは一益さんを高く評価しているとわざわざ文を寄越している。


 普段は文官仕事などしないが、その大変さは理解しているんだろう。こういう気遣いが上手いことにちょっと驚いた。


「しかし、物資がどんどん減るね」


「仕方ないわね。元々あった食べ物なんて一揆勢に奪われてもうないもの」


 願証寺の末寺には、ウルザと春たちと忍び衆が調査して必要な所に送っているんだ。さらに軍にも兵糧を送っているせいで、不安になるほど物資を消費している。


 まあ米の備蓄はまだまだあるし、多少高くても買えるので別に飢えるほどじゃないけど。メルティもちょっと困り顔だ。


「根切りよりはよろしいかと。あれは遺恨が残りまする。飢えぬと見せつければ北伊勢の一向衆も素直に従いましょう」


 ため息が出そうになったが、そこで資清さんにもっともなことを言われた。成長したなと思う。最初の頃はウチの帳簿を見て驚いていたのに、今ではかかった費用と今後の統治の苦労を考えて悪くないと理解しているんだ。


「だね。流民はすぐに働かせているし、悪くはないか」


 賦役の領民は動員された兵として北伊勢に大勢行っている。志願者が相次いだんだ。尾張を守るんだという意思が強いんだと思う。その代わりと言ってはなんだが、北伊勢から来たばかりの流民たちは賦役の現場で働かせている。


 本当、とにかく働かせて食べさせないと誰も得しないからなぁ。




 さて、この日は仕事を終わらせて学校に来ている。


 先生として子供たちに授業をするためだ。さほど難しいことは教えられないが、オレ程度の知識でも子供たちには役に立つ。ごくたまにしかしないけどね。オレの授業は。


 一番多いのは旅の話とか船のことを話すことかな。子供たちとのコミュニケーションでもある。


「うふふ、みんな上手よ。でも上手に描こうとおもわなくてもいいのよ」


 今日はメルティと一緒に絵画の授業だ。鉛筆で好きなように描くだけ。でもこれがまた楽しいので子供たちには人気の授業だ。


「久遠様、一揆はよろしいのですか?」


 そんな中、ひとりの子が一揆について訊ねてきた。やはり一揆の影響は学校にもあるか。アーシャからも子供たちに影響があるので顔を見せに来てほしいと頼まれて来たんだ。


「大丈夫だよ。一揆そのものは十日もしないで片付くと思う。後始末のほうが大変だよ。荒れた北伊勢をどうするか。みんなどう思う?」


 情報はかわら版で伝えているが、オレが顔を見せることで安心するとリリーにも言われている。昨日は牧場に行ったし、その前は蟹江にも行った。


 とにかくオレは尾張では目立つので、いつもと同じように出歩くとみんなが安心するみたいなんだ。


 子供たちと秋の景色を写生しながらゆっくりと話をする。そうすると子供たちの親や学校関係者から話が伝わり尾張も落ち着くだろう。


 荒れた北伊勢をどうするか。子供たちのアイデアは面白い。皆で賦役をすればいいと言う子もいれば、欲しい人に売ってしまえばどうなるんだろうと語る子もいる。一番多いのは一揆を起こした人たちに罰として働かせたらいいのではという意見だけど。


 子供たちにとって北伊勢なんて他所の国だからね。あまり実感はないのかもしれない。




Side:斎藤道三


 当たり前であったはずだ。飢えも一揆も。冬になれば寒さから死ぬ者が出る。なんということはない。よくあることだ。それが当たり前と思わなくなったのは、変わったということであろうか。


 流民を助け、一揆勢を捕らえるか討ち取る。見極めるのも一苦労だという。あからさまに返り血でも浴びておればいい。されど一見しただけでは見極めが難しいことも多いと知らせがあがっておる。


「所領のことは清洲の城に訴え出るがいい。それが気に入らぬのならば近江の六角殿なり南伊勢の北畠殿にでも訴えよ。わしは織田家の一家臣じゃからの」


 ああ、それよりも面倒なのは国人や土豪か。頼んでもおらぬのに馳せ参じてくる。敵か味方かわからぬ者など要らぬと申し付けて、所領の安堵も致さぬと言うと驚き不満げな顔をする。


 馳せ参じてくれば喜ぶとでも思うたのか? 確かに織田でなくば働きに応じて所領を認めるのであろう。されどすでに北伊勢の国人や土豪は織田では不要なものとなっておる。


「やれやれ、それでもよいからと働く者がおりませんな。所領の安堵なくば働かぬとは。己のこととはいえ、武士というものの愚かさでありますな」


 共に立ち会った不破殿が呆れたように愚痴とも思えることをこぼした。それなりに名の知れた者はすでに清洲の城に参っておるはず。今更動いておるのはほとんどが土豪よ。おそらくは織田のことも六角のことも噂程度でしか知らぬのであろう。


「それに引き換え坊主は頼もしいですな」


「まったくだ」


 美濃衆も使えぬ土豪など相手にする必要もないと言いたげだ。その分働いておるのは一向宗の坊主だ。一揆勢と流民を見分けることから道案内に、逃げておる一揆勢の捜索まで地の利を生かした活躍をしておる。


 寺に逃げ込んだ民も飯を食わせる対価として動員して、一揆勢の捜索までさせておるのだ。員弁郡の一揆はすぐに鎮圧出来るであろう。


 投降する者は捕らえておるが、ほとんどは逃げてしまう。投降しても死罪だと思うようでな。


「北畠家はともかくとして、六角家は兵が三千だとか。如何するのでしょうな」


 根切りをせずに済んでホッとしておる者もおろう。根切りは恨みが残るからの。そんな美濃衆が気にしておるのは六角の動きだ。


 北畠家には水軍を筆頭に尾張勢も助力をするようで間違いはなかろうが、六角が三千とはちと少ない。一揆勢があちらに逃げておること、まさか知らぬのか? いかに有象無象の一揆勢とはいえ死兵となると思わぬ痛手を被るぞ。


「梅戸と梅戸に従う者の国境までいくしかあるまい」


 清洲の殿はあまり領地を欲してはおらんが、六角が三千しか出さぬというのならば梅戸などを除いてこちらで押さえねばなるまい。


 まさか……、六角は北伊勢を損切りするつもりか? 確かに海は織田で盤石。八風街道のみに絞る気か?


 領地とは切り取ることよりも切り捨てるほうが難しい。西美濃を切り捨てて臣従したわしならばそれが分かる。


 もし仮に北伊勢を本気で損切りするつもりならば、六角義賢。思った以上の男ということになるの。


 損切りが出来ずに苦境の今川を見れば余計にそう思うわ。



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