第911話・平和な尾張と三雲賢持の旅

Side:久遠一馬


 一揆の掃討が始まった。武器を捨て投降する者は捕らえているようだが、あとは尾張や美濃から追い立てるように討ち取っているようだ。


 そのことに対して家中からも領内からも、褒め称える声はあっても可哀想などという声は聞かれない。北伊勢から逃げてきている流民でさえもだ。


 肩身の狭い思いをしているのは、北伊勢の国人や土豪で尾張に逃げてきている者たちだ。願証寺の口添えで来ている者たちがほとんどで、当主や嫡男よりは次男三男などが多い。


 自分の領地も治められず一揆を起こされた愚か者。そんな扱いだ。彼らを助けて所領を守ってやろうなんて声は織田家では聞かれない。血縁がある者が義理から保護しているのが現状で彼らの旧領奪回は不可能だろう。


 この日は清洲城で茶会が開かれていた。出兵している者たちも代理の人が来ていて、信光さんのところは息子の信成さんが参加している。総勢は数百人になるだろう。


 清洲城の和風庭園で晩秋の景色を眺めながら抹茶や紅茶を飲む。義統さんが主催だ。どうも人心が荒れていることを気にしたオレの言葉で少し考えたみたい。せめて家中だけでも落ち着かせようと。


「やはり、そなたの茶は美味いの」


「お褒めに与り光栄ですわ」


 茶会を仕切っているのは熱田の屋敷を任せているシンディだ。たまに清洲城にお茶を入れに来るほどで、史実の茶道指南役のような立場になっている。最近では家中の人からも指南役やお茶を入れるのを頼まれるようで忙しいと言っていたな。


 義統さんや信秀さんが認める文化を自分たちも覚えたい。これも立身出世のひとつなんだろう。殺伐とした世を思うといい傾向だけどね。


 野外の野点であるのだが、茶の湯と違うのは椅子とテーブルであることか。それとシンディが各テーブルを回ってお茶を入れていることも違う。


「しかし北畠家が味方でよかったな」


「まことでございますな。一揆と共に戦が広がることは避けられました」


 紅茶を飲み、ひと息ついた信長さんの言葉に安堵したような表情の政秀さんが答えた。


 それは本当に良かったと思う。南伊勢・志摩、伊賀・大和の一部にも影響力がある北畠家が一揆で崩れると大湊にも影響がある。大湊が安泰で海路が使えることと東山道が無事であることで、交易に大きな影響はない。


 今の織田家にとっては隣国の一揆よりも、交易の停止のほうが損失は大きい。


 それに北畠家が揺れると紀伊や大和にも影響する。そうすると戦を仕掛ける者も出るかもしれない。伊勢発の畿内争乱なんてごめんだよ。


「かず、北伊勢の一揆は如何程で治まるのだ?」


「六角次第ですね。一揆勢がみんなあっちに行っていますので。まあそれほど時は掛からないと思いますよ」


 信長さんはすでに一揆の先を考え始めている。いい傾向だ。決して油断をしてはいけないが、その後もまた重要だ。


「六角も随分と思い切ったことをしておりますな。頼ってきた奉公衆を若狭に行けと放逐したとか」


「ほう、それは面白いの」


 オレの言葉を補足するように資清さんが最新の情勢を語ると、周囲で聞いていた義統さんが驚きにも見える表情で声を上げた。


 そう、この一揆が思いの外、早く終わりそうなのは六角の動きが思っていた以上に思い切ったものだからだ。


 まあ義藤さんがこの件に関しては好きにしろと匙を投げたこともある。それを加味しても、北伊勢にいる国人や土豪たちを守ってやる気がないことにはオレも驚きだ。


 もっとも従順な者たちにはそれなりに手を差し伸べているようだが、旧領奪還は約束していないらしい。自分の領地を守れない以上の不徳はない。それに今まで従っていないところを助ける義理はないと。名門という看板があって代替わりしたばかりの六角では驚愕の決断かもしれない。


「あとは一揆勢を追い立てて討つだけか」


 信秀さんも六角の動きから一揆の終息は近いと判断したようだ。六角は梅戸家と梅戸家に従う者たちのところで止めるだろう。今回の土一揆は指導者がいない。多少集まっても烏合の衆ならば六角が兵を出せば逃げてしまうと思われる。


 織田はそんな一揆勢がこちらに戻ってこないようにしないといけない。




Side:三雲賢持


 北伊勢に入り、梅戸家を訪ねるも味方を迎える態度ではなかった。父上の動きが知られておるらしい。苦々しげに睨み、殺してやると言わんばかりの者すらおった。


 寝込みを襲われるか毒を盛られてはかなわん。すぐに一揆勢の討伐に行くと梅戸城を出た。


 兵の数は百。人は選んだつもりだ。父上の軍監はおるが、あとは母上と相談し、父上に諫言して隠居した元重臣たちに頼んで選んだ。


「若殿、兵糧が少のうございます」


「一気に尾張に向かうぞ」


 ただ我らには兵糧がほぼない。父上は飯が食いたければ奪えと言うたのだ。梅戸家でも当然ながら米粒ひとつ寄越さなかった。


 梅戸領を荒らすわけにはいかん。それにそもそも飢えて一揆が起きた土地に食べ物などあるはずもない。走れるうちに走って織田様の下にいくしかあるまい。


 先に出した使いはまだ戻らぬ。無事に織田様の下にたどり着いたのか、そうではないのか。


 いずれにせよ、もう戻れんのだ。織田に拒絶されたら流浪するしかあるまいな。




 そのまま梅戸領を出て僅かな休息をしながらも進む。途中で軍監を一揆勢との小競り合いに紛れて始末した。あとはひたすら進むだけ。


 幸いなのは一揆勢の戦意が高くないことか。一当てすると大抵逃げ出す。我らもそのまま押し通るだけだ。


 一揆勢とあまり会わなくなるとひたすら尾張を目指したが、闇夜に紛れるように突如我らの前を立ちふさがる坊主どもと僧兵が現れた。五十か? もっとおるか? 何者だ?


「三雲殿か?」


「いかにも、我が三雲新左衛門尉賢持である」


 名を問われたことで、ここで偶然会ったわけではない。家臣と兵たちが一斉に槍を坊主どもに向けた。


「控えよ。織田内匠頭様が猶子、久遠一馬様の奥方様であられる」


 その言葉にどっと心の臓が高鳴るのを感じた。すぐに家臣らに控えるように命じて片膝をつき恭順を示さねばならん。


 仮に偽者であらば我らは終わりだが、それも致し方あるまい。


「私は久遠春。迎えに来たわ。悪いけど旗指物と鎧兜はここで捨ててもらうわよ。命は助ける。でも貴方たちが管領の策であるかもしれないことを否定する術がないのはわかるわよね」


「はっ……」


 編笠を取った女の髪が黒くなかったことで家臣らがざわつく。月明かりに照らされただけ故に正確にはわからぬが、黒くないことは確かであった。


 逆らえん。我らは命じられるがままに鎧兜を脱ぎ捨て僧の着物に着替える。


「お願いの儀がございます」


「なに?」


「我らに役目をお与えくださいませ。如何なる役目でも構いませぬ」


 持参した父上と管領細川晴元の内通の書状を渡すとすぐに嘆願をする。なにかしら武功を挙げて母上と家臣や兵たちの家族を救わねばならんのだ。


「大人しくしていなさい。三雲の手の者達との争いでこちらも死んだ者がいるのよ。貴方たちが敵に内通していないとわかるまでは無理よ」


 素破如き捨てるつもりで使えばよいものを。信義を重んじる故に使ってもらえぬか。


 仕方ない。母上、言いつけを破ることをお許しください。


「しからば、我が命を以って、我が母と弟。それとここにいる者らの家族をお救いしていただけるように伏してお願い申し上げます」


 深々と頭を下げると、あまりにも己でも身勝手と思える嘆願を一方的にして脇差しを抜いた。


 母上、親不孝をお許しください。


「勝手なことをするなと言っているでしょ!!」


 高く澄んだその怒声が闇夜に響いた。脇差しが腹の直前で止まってしまい見上げる。


 怒り。その一言に尽きる。何故……何故怒るのだ?


「願いは聞き届けたわ。ただしそのいのち、勝手に使うことまかりなりません。わかったわね?」


「はっ、かしこまりました」


 わからぬ。わからぬが、逆らえん。


「さあ、行くわよ。この辺りもまだ一揆勢があちこちにいるのよ」


 捨てた武具を土に埋めて我らは旅の僧の姿となり後に続く。この先に如何なるものが待っておるのであろうか?





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