第910話・北伊勢土一揆

Side:太田牛一


 大湊にはすでに北畠の兵が集まっておった。あちこちで一揆が起きておるというのに北畠家ではほぼ起きておらぬとか。さすがは北畠家というところか。


 南伊勢と志摩の水軍が北畠勢を北伊勢まで運ぶ。中伊勢の長野家と敵対しておって陸路が使えぬのが苦しいが、この辺りならなんとかなろう。


 わしは御家の船で北畠勢の海上移動の護衛をするために来ておる。中伊勢と北伊勢の水軍衆の中にはおかしな動きをしておる者もおったからな。


「太田様、やはり中伊勢の長野家も気付いておる様子でございます」


「そうか。長野家は北畠家と戦をする余力などないと思うておったがな。戦とまではいかずとも己らの力を見せるくらいはするか」


 大湊にて役目を持つ忍び衆から知らせが入った。北畠家が兵を動員したことが長野家にも知られたようで、あちらも戦支度をはじめておる。もっとも長野家では領内で一揆が起きておるので北畠家と戦をする余力がないようだがな。


 とはいえ北畠家にとって長年対立しておる長野家を攻める好機と言えば好機。


「佐治殿に知らせておけ。ないとは思うが水軍も一枚岩ではないからな」


「はっ」


 伊勢の水軍の中には一揆に加わった者もおるようだ。それに長野家が水軍で北畠家の邪魔をしようと思わないという確証はない。


 もっとも南伊勢と志摩の水軍衆もそんなことは承知のこと。とはいえ救援に向かう兵が途中で襲われるなどあってはならん。我ら織田水軍の面目に懸けてな。


「国を富ませたと思うたら、隣国の一揆に気を付けねばならんようになるとはな」


「今後も増えるでしょう。織田領と他国では暮らしが違い過ぎまする」


 国を富ませ兵を鍛えた先にあったのが、隣国の一揆だとは。素直にこちらに降れば悪いようにせぬというのに。一揆が起きるまで放置するとは、殿やお方様が北伊勢に関わりたくないとこぼしておった理由はそこもあるのであろうな。


「変わることを恐れるのもわかる。まして土地を召し上げられたら生きていけんと思うて当然。されどな……」


 忍び衆の故郷である近江甲賀郡は貧しいと聞く。それ故か、忍び衆からは北伊勢の争乱を警戒する献策があがっておった。此度もいち早く動き先手を打てておるのは、そんな忍び衆の活躍があればこそ。


 わしは今でこそ所領を取り返せたが、かつて叔父らに家族を殺されて一旦すべてを失った。それ故に北伊勢の国人の心境もわかるが、その愚かさもまたわかる。


「よいか、命は粗末にするな。なにがあろうとな。生きておれば先はある。中伊勢に入っておる者たちは特に気を付けよ」


「はっ」


 大湊は大丈夫であろうが、中伊勢の忍び衆は少し気を付けたほうがいいかもしれん。わしなどが言わずともよいことであろうが、だがこうして口に出すことで己と忍び衆の戒めとすることは必要であろう。


 殿の望みは日ノ本すべてをまとめ太平の世とすること。それは未だかつて誰も成し得なかったことだ。この程度の苦難はまだまだ道半ばであろう。


 まだまだ死ぬわけにはいかぬのだ。わしも忍び衆もな。




Side:織田信光


 昨日、亡き親父の夢を見た。


 夢の中でわしは親父が生きておったのかと喜び、久遠一馬という男に会わせてやろうと言うと親父は嬉しそうに笑っておった。


 夢だということは起きてすぐに気付いた。されど親父が会いに来てくれたような気がして嬉しかった。


 親父……、織田は伊勢すら飲み込もうとしておるぞ。久遠一馬という者らのおかげでな。見ていてくれ。新たな世を築き、たくさん土産話を持っていくからな。




「桑名でようございましたな。これほどの流民。他所にいけば受け入れなど出来なかったでしょう」


 気付くと久遠家の滝川彦右衛門一益が桑名の町を見て少し笑った。久遠の将として来た男だ。あまり目立つ男ではなかったが、公家衆を畿内に送る役目を任されたことで知られつつある。


 わしは六千の兵と共に桑名の町に入った。尾張からはこの後も兵が来る。六角がどこまで動くか知らんが、北伊勢の桑名と員弁の大半はこちらで押さえねばなるまい。そのために尾張からは一万五千の兵がくる。


 美濃からも五千がすでに動いておる。総勢二万。賦役の民を数に入れねば、関ヶ原の時よりも多い兵だ。もっとも戦というよりは桑名と員弁を平定するための兵だがな。


「確かにな。ここで一揆など起きたら面倒だった」


 桑名の町には今も北伊勢から集まる流民が大勢おる。桑名では食わせられんということで尾張へと移送しておるが、それでも次から次へとやってくるのだ。


 織田では人が足りんこともあり受け入れておるが、他家ならば国境を封鎖して終わりだ。一揆が起きればすべて討ち取らねばならんであろう。


 人が出来ないことが出来る。いや、人が出来ないことをするのが織田の強みか。とはいえこうしてみると危ういとも思うがな。




「よいか。抵抗する一揆勢はすべて討ち取れ。まともなのは寺領と桑名に逃げ込んだ。この期に及んで抵抗する者などいらん。武装を放棄した者のみ捕らえよ」


 桑名の町で軍議を始める。新参者では松平家の者もおる。皆、この戦で功を上げようと必死な様子だ。三河での松平家の謀叛人の討伐では、久遠家の金色砲で謀叛人どもが一当てする間もなく壊滅したというのだ。己の居場所を得るために皆必死なのだ。


「国人や土豪も同じだ。国司である北畠家から大義名分も得た。一揆など起こして己で始末も出来ん者らはいらん。さっさと片付けて帰るぞ!」


「はっ!!」


 すぐに皆が動き出すと、残るはわしの家臣と彦右衛門など僅かな者だけだった。


「彦右衛門、すまぬが桑名の町を任せたい」


「畏まりました」


「すまぬな。そなたも前に出たかろうが、これだけの兵を動かすには桑名の町を確実に押さえておく必要がある。一馬にはわしから言うておく故な」


 北伊勢を進軍する一万五千もの兵らに兵糧を届ける差配をし、背後を確実に守るには並みの将では無理だ。困ったことに北伊勢の国人や土豪は態度をはっきりさせておらん。一揆の混乱に乗じて敵に回ることも考えておかねばならん。


 いろいろと悩んだが、水軍にも通じておる久遠家の彦右衛門を置くしかあるまい。


「万事お任せを」


 家中の者もどれほど理解しておるのであろうな。織田を支えておるのが久遠家の影働きであることを。


 とはいえ、ここが片付けば尾張の近隣では敵対する者は消えよう。


 わしは兄者や一馬ほどの情けはもっておらんぞ。敵に回るならばすべて討ち取ってくれようぞ。



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