第908話・人の意思

Side:久遠一馬


「よいではないか。助けてやれ」


「そうじゃの。六角とすると面白うないかもしれんがの。元はと言えば向こうが原因ではないか。よくあることよ」


 ウルザから届いた書状は少し扱いに困るというか、オレでは判断出来ないものだった。信秀さんと義統さんにすぐに報告して相談したが、答えは思いのほかあっさりとしたものだった。


 信秀さんは使ってみて駄目なら放逐すればいいという人だからわかるが、義統さんの言うように、よくあることと言えばそうでもあるか。親子でさえも敵味方に分かれる。むしろ三雲家にもまともな人がいてオレはホッとした気もする。


「申し訳ありませぬ」


 どうも三雲定持の奥方が望月さんの遠縁の血縁であることで、この場には望月さんも連れてきた。ふたりの決断に望月さんは深々と頭を下げて謝罪した。


 望月さんの立場を考慮したことは考えるまでもないだろう。それに甲賀の反織田が消えると、今後の関係が盤石のものとなるかもしれないとの損得もあるはずだ。


 まあ三雲賢持には悪いが、助けても厚遇は出来ない。忍び衆には三雲家配下と戦って命を落とした者もいる。六角家への配慮もいるだろう。罪人の子がウチで厚遇されていると知ると面白くないだろうしね。


「それより一揆勢はいかがした?」


「分散し一部は願証寺の末寺に逃げています。あと流れとしては近江方面に移っているようです。どうも仏の弾正忠の仏罰が下ると噂が広がっているようで……」


 三雲賢持の話題はさっさと終わった。ふたりはそれよりも一揆が気になるようで、ウルザからの報告が聞きたいようだ。こっちはメルティの策やウルザたちや春たちの工作が上手くいった。


 もっとも想定外のことも起きた。ウチは仏罰なんて噂は流していないんだ。仏の異名は便利だが、期待が大きくなれば失望も大きくなる。あまり過大な評判はいずれ信秀さんを苦しめるかもしれないので、それを利用する気はなかった。


 まあ本来の噂とはそんなものだ。勝手に流れるものでコントロールは難しい。


「仏罰か。花火でもあげてやれば目が覚めるか?」


 信秀さんもこれにはなんとも言えない顔で冗談ともとれることを口にした。ネタとしては面白いが、あまり神格化されるのも本音では嬉しくはないだろう。気持ちはわかる。


 北伊勢にはオレも出陣準備をしていたが、信秀さんに止められた。ウルザと春たちも裏方以外はするなと命じられたほど。ウルザは特に将としての評価も高いが、出陣は出来なくなった。理由は理解するし仕方ないとも思う。


「懸念は領民でしょうか。一揆など根切りにしてしまえと言う者が多いのが気になります」


 そして領内では新たな問題が発生しつつある。領民で過激なことを主張する人が増えているんだ。飢えへの同情や隣国の人を思いやるよりも、オレたちの国と食べ物を守れ。一揆は根切りだと主張する民が多くて少し困っている。


 リリーの進言で三河や北美濃と東美濃には、冬場の食料の輸送と同時に飢えさせないという紙芝居やかわら版を送った。それで治まると思ったが、尾張や西美濃の民が過激な主張になっているんだ。


「当たり前のことだがな」


 オレの進言に信秀さんと義統さんは少し考えるも、それが当然だと受け止めた。まあ仕方ないよね。三河の本證寺の時もそうだったが、この時代では隣国は遠い外国なんだ。人権もない時代に、赤の他人を心配するとか思いやる人がいるほうがおかしいと言えばそうだ。


 ただあまりに熱狂するような過激な思想は怖いものでもある。大衆の支持と望みで不要な戦を避けられなくなると困る。


 これは今日明日という話ではないが、道徳的な教育なども強化する必要があるだろう。信秀さんの異名もそうだが、もう少し領民は落ち着かせる必要がある。




Side:斎藤道三


「わしもたまには働かねばの。まだまだ若い者には負けんわ」


 清洲の殿から出陣の許しを得て大垣城に入った。古くからの顔なじみが多い西美濃の者らを前に一言かけた。


 やはり器が違うのであろう。わしが謀叛を起こすなど疑う素振りもない。斎藤家は健在じゃ。所領は減ったが新九郎の評判もよい。ここでわしが武功を挙げると、良からぬことを企むかもしれぬと疑ってもよいものを。


 当然ながら謀叛など起こす気はないがの。此度の一揆討伐ですら策を用いて一気に有利としてしまった。恐ろしいほどじゃ。


「絵師の方の策で一揆のなで斬りはせずともようなりました。されどその分、小勢の一揆勢が賊となりあちこちにおる様子でございますが、大きな障りはありますまい。ただ北伊勢の国人や土豪の中にはこちらに反発する者も多うございます」


 西美濃の筆頭格である氏家殿が現状を皆に話して聞かせると安堵の声が漏れた。一時は数千は下らぬ一揆勢との戦かと覚悟をしたからの。まだ油断出来ぬが、だいぶ楽になったことに変わりはない。


 相手が国人や土豪ならば容易いことよ。


「久遠の知恵とは恐れ入るの。わしも那古野の学校とやらで学びたいわ」


「まったくですな。願証寺の末寺を使い一揆を分断するなど、如何にすれば考え付くのやら」


 ホッとしたのか、思わず漏れた本音に笑いが起きた。かつてのわしの前ではあり得なかった和やかな場だ。誰もがわしを恐れ従いはするが、気を許して信じてはくれなんだ。それが今は皆がわしに気を許して信じてくれておる。まさか己がそのことに喜びを感じるとは思わなんだな。


 不忠者と呼ばれ蝮などと呼ばれることも気にならなかったが、こうして変わってみると戻りたいとは思えんの。


「では諸将の皆様方、わしらも働くとしようかの。商いなど出来ぬし知恵もないのだ。せめて戦場では武士として存分に働いてみせようぞ」


「おう!!」


 かつてしのぎを削った清洲の殿や、飄々としておる久遠殿を思い出しつつ皆に声を掛けた。わしにも信さえあれば、士気を上げるくらいは出来る。


 ここに集まりし美濃衆の気持ちは互いにようわかるはずじゃ。かつては共に戦ったのだ。様々な思いもあろう。されどこうして生きて功を上げる機会があれば先はある。


 戦がなき世が訪れても、清洲の殿と久遠殿ならば働きどころを用意してくれるはずじゃ。そのためにもわしは生きる。


 いい加減、この荒れた世も飽きてきたしの。太平の世というものがこの目で見てみたいものよ。


 

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