第907話・北伊勢の動き

Side:忍び衆


「見ておれんな」


 燃え盛る村を見ていると、まるで己の村を見ているような、そんな気がしてしまう。近隣で蜂起した一揆勢は領主の城を破壊し奪いつくすと、そのまま隣の領地まで攻め入った。


 もっともそんな蜂起した村も、後から蜂起した別の一揆勢に荒らされてしまっておる。一揆勢同士の争い、一揆勢と一揆勢が争うことは珍しくない。纏める者のおらぬ一揆の恐ろしきところだな。


「オレの故郷も貧しくてな。今年は殿が褒美を先にくださったのでなんとか食っていけるが」


 我らは仲間と共にいつの間にか涙を流しながら一揆勢を見ておった。甲賀は北伊勢と比べると貧しい。飢えからの一揆も決して他人事ではない。変わったのは殿に仕えるようになったことか。


 素破、乱破と今でも謗られることがある。殿はそんな我らの故郷のことまで気に掛けてくださる。


「外に出ずとも食えた者たちゆえに、一揆を起こしたのかもしれぬな」


 そう、甲賀ならばこの程度では一揆は起きておるまい。食えぬことが珍しくないゆえに外に働きに出るのだ。どれほど苦しくてもな。


 尾張との暮らしの差が一揆となったと誰かが言うておったが、そのようなもの我らからすると甘えでしかない。貧しき土地に住む者はおるのだ。昔からな。富める北伊勢なだけにこのようなことになったのであろう。


「さあ、行こう。日が暮れる前に一向宗の寺にいかねば我らも危うい」


 一揆の起きておる北伊勢を探る役目。此度は志願した者にのみ与えられた役目だ。それだけ危うい役目なのだが、我らは志願した。甲賀の故郷から幾らでもいいので助けてほしいと繋ぎが届いたので褒美が欲しかったからだが、それだけではない。


 北伊勢を見ておると殿の正しさが改めて理解出来る。土豪や国人などに土地を治めさせると駄目だという現実を見せつけられた。


 領主が領主ならば民も民だ。領主を追い出して皆で惣として自治でもして生きようとすれば褒めてやれるものを、目に付くものすべてを奪い、争い、破壊していく。


 奪い、奪われると報復にと奪う。その先に待つモノは地獄だというのに。


 こやつらはこのままでは尾張に来る。我らにはわかる。近隣にて奪うものがなくなれば、富める尾張が悪いのだと襲い掛かろう。


 当然と言えば当然だ。弱き者は死すしかない世だからな。己が死にたくないのならば奪うしかないのだからな。


 だが我が殿ならば、そのような世を変えられる。北伊勢如きに止められてなるものか。




Side:ウルザ


 メルティの策はどうやら上手くいっているようね。美濃に近いところでは、大きくなりかけていた一揆勢が途端に分裂と一揆同士で争い始めているわ。特に一向衆は信心深い人ほど己を悔いて寺領に逃げ込んでいる。


 織田、六角、北畠が一揆討伐の兵を挙げたという噂もよく流れた。忍び衆も成長しているわね。彼らは彼らで考えて動いている。頼もしいわ。


 懸念は一揆をまとめる将が現れること。北伊勢にそのような人はいないと思われるが、歴史的に見ると稀にあること。数千から万にもなる死兵と化した一揆の相手などしたくはない。


「お方様、この先の寺は大丈夫なようでございます」


「そう、なら今夜はそこに世話になりましょう」


 すでに東の空には一番星が輝いているわ。私とヒルザは二十人の精鋭を連れて旅をする一向宗の僧に扮している。野宿でもいいけど、なるべくは安全なところで寝泊まりするようにしている。


 私とヒルザはいい。でも家臣たちが気を休める時間も必要よ。もっとも寺の中には一揆勢に加勢しているところもある。慎重に見極めないといけないけど。


「何処の寺の者だ?」


 寺領は戦前かと思うほど物々しい。一向宗と織田の旗印がある寺領の入り口で僧兵に身元を問われた。


「これを……」


 家臣のひとりが願証寺の証恵しょうえ上人の直筆の書状を見せると、僧兵の顔色が変わる。


「しばしお待ちを」


 慌ただしくなるけど、仕方ない。私たちも身分がある身。あまり無茶をするなと大殿には釘を刺されているしね。


 程なくして私たちは寺に案内された。境内は寺領に逃げ込んできた民が大勢いる。ここはまだ美濃が近いのでいいけど、急がないと寺の中で飢えて暴れるわね。


「本日の御用向きをお伺いいたして、よろしゅうございましょうか?」


 さすがは証恵上人の書状ね。何処に行っても扱いが違う。


「私は久遠ウルザ。一晩の宿をお願い致します」


「……畏まりました」


 顔を見せて名を名乗ると驚かれたが、すぐに寺院でも特別な部屋に案内された。ヒルザは寺領に逃げ込んだ民の確認と病人や怪我人の治療をするからと寺の僧に言ってさっそく診察に行った。


 私は寺の者にこの辺りの状況を確認する。


「そうですか。近江方面に移動していますか」


「はい。仏の弾正忠様は無法者を許さないと噂になり逃げてしまいました。金色砲は雷を呼ぶとか。仏罰を恐れたのでございましょう」


 一揆勢は美濃大垣方面を目指していたものの、何処からか噂が流れて近江方面に逃げ出した者が多数いるとのこと。もっともまとまりに欠ける一揆勢ゆえに小勢の者たちがウロウロしているようだけど。


 六角の挙兵の噂もあるようですが、仏の名がここでも役に立っていますか。


「食べ物はありますか?」


「願証寺より逃げて参った者に粥を出せと命じられて出しておりますが……、いつまで持つのやら」


「私の名で書状を書きます。これを大垣城に持っていきなさい。雑穀になるでしょうが融通します」


「ありがとうございます」


「いいですか。今は苦しくとも耐えるのです。願証寺と織田ですぐに一揆は収めます」


 寺と寺領を飢えさせない限りは大丈夫ね。本当に一向宗さまさまね。とはいえ織田の私たちが一向宗と手を取り合って一揆を収める。元の世界の史実を知るとなんの冗談だと思うかもしれないわね。


 でも彼らとて一揆など起こしたくはない。普通に生きていけるのならそれが一番ですもの。


「ウルザ! 大変よ!!」


 話も終わりホッと一息つくと、ヒルザが珍しく慌てた様子で戻ってきた。まさか伝染病でも起きたとか言わないわよね?


「これ見て!!」


 ヒルザが差し出してきたのは書状だった。三雲定持の息子の賢持から望月出雲守殿に宛てた書状。細川晴元と三雲定持の内通と謀の証拠を携えているので、織田に助けてほしいというもの。


 中央司令室からの情報通りか。三雲定持の息子が父親を裏切り寝返りを画策しているとは。


 無理もないわね。露見すれば三雲家は一族死罪で断絶。さすがに女子供は出家を条件に許されるだろうけど、場合によっては家臣も含めて重い罰を受ける。


 父を討って六角家に忠義を示すという方法もなくはないけど、儒教の影響があるこの時代では父殺しは特に重いもの。さらに三雲定持もそこまで愚かではない。謀叛の警戒くらいしているでしょう。賢持も嫡男とは言え武功もなければ、家臣が付いてくるかもわからず、また成功するかもわからない。


 さらに六角内部も、何処まで三雲定持と通じているかわからず動けなかったと書状には書いてある。まあ嫡男程度では左京大夫殿には会えるはずもないし、目安箱のような訴える仕組みも六角にはない。


 ようやく動けるようになったのが一揆の鎮圧の先陣とはね。仕方ないとはいえ面倒なことになったわ。


「誰か、これをすぐに那古野の屋敷に届けて。私では判断できないわ」


 書状を持っていた者は怪我をしているという。一揆勢に襲われたらしい。寺に預けるしかないわね。




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