第906話・誰が役目

Side:エル


 やはり伊勢で一揆が起きてしまいましたね。尾張の荷をすぐに東山道経由に変えたおかげで直接の被害が出ませんでした。とはいえ願証寺から救援要請が来ていると思われるので、見ているだけというわけにはいかないでしょう。


 改革の歪み。織田領では出来る限り歪みを出さないようにとしていますが、北伊勢は他国です。こちらの手の及ばぬ土地で歪みが形となってしまった。世を変えるとは難しいことです。


 史実の織田家において伊勢は鬼門でした。長島一向一揆では多くの織田一族が命を落としました。願証寺が親織田となってホッとしていましたが、代わりにではないのでしょうが土一揆が北伊勢で起きるとは。


 この世界でも伊勢は織田にとって鬼門なのかもしれません。


 甘い顔は出来ないでしょう。今後も経済格差は広がるのです。一揆による武装蜂起を認めると、今後どれほどの混乱を招き血が流れるのか。それに……、北伊勢の対処次第では六角家が敵になることも十分あり得ます。


 北勢四十八家。神戸家や赤堀家と両家と繋がりがある家は北畠家で従えるでしょうか。関家は当面は中立でしょう。桑名郡と員弁郡は織田で押さえねば駄目でしょうね。


 織田としては一揆を起こされるような国人の統治を認めては示しが付きません。土地の召し上げが必要です。ただ、素直に従うかは怪しいところですね。家を分けて次男や三男はこちらに寄越しても、当主や嫡男は六角のところに逃げるかもしれません。


 公方様を擁する六角ならば領地を取り戻すことが出来る。そう考える者が集まると厄介でしょうね。左京大夫殿は不要な者たちを切り捨てることは出来るのでしょうか?


 当主の意志と家の意志は必ずしも一致しない。今までもあったことです。六角家という名門が旧来の世に拘れば……、少し厄介になるのかもしれませんね。



「えるー?」


「よく出来ていますね」


「えへへ」


 今日は市姫様の文字を書く練習を見ています。臨月だというのに市姫様は私のところによく来ます。普通はあまり妊婦に近づくことはないのですが。


 先日には直接会うことはありませんでしたが、塚原殿と菊丸殿から鹿島神社の護符も頂きました。みんなが我が子を待ってくれている。それがなにより嬉しく思えます。


「クーン」


 寒くないようにと少し早いですがダルマストーブを出しています。そんな私たちの部屋では花鳥風月の四匹がくつろいでいます。少し眠いのでしょうか? 四匹でお昼寝するようです。


 屋敷の者たちも私には負担を掛けまいと、気遣いをしてくれていますね。それ故に私は自分からはなるべく聞かないことにしています。


 じっと任せて見ているだけ。実は私にとって初めての経験になります。仮想空間でもこの世界に来ても、ずっと私は自ら考え動いてきましたから。


 少しもどかしい気持ちといえばみんなに怒られますかね? 信じていないわけではありません。ですが見ているだけということに慣れていないのも確かです。


「エル様、姫様。お茶でもいかがですか?」


「ふゆ!」


「ありがとうございます。ちょうど飲みたいと思っていたところです」


 北伊勢に対して司令たちはどのような方針で動くのかと考えていると、姫様の乳母であるお冬殿が紅茶と菓子を持ってきてくれました。


 織田家で乳母を務めるだけあって、彼女の気遣いもまた素晴らしいものがあります。最近では家中の者に対してもアドバイスをしてくれているようです。


 久遠家のやり方も理解して武家としての気遣いや作法を伝授する。なかなか出来ることではありません。


 ふふふ、今後、私に続くみんなのためにも、のんびりと我が子を待つとしましょうか。




side:斯波義統


「己が如何程のものと思うておるのであろうかのう」


 北伊勢の国人衆から文が毎日のように届く。内匠頭が出した条件が厳しいことに怒っておる者らだ。軽んじられたと怒り、わしに内匠頭を従えよという者までおるわ。


「如何いたしまするか? 臣従の条件を少し緩うしまするか?」


 届いた文を内匠頭にも見せると呆れておるが、それでもわしに配慮してくれるか。


「要らぬ。むしろ臣従などさせず六角にでも追い立ててしまえばよい。そこまで面倒見きれぬわ」


 とはいえ、忠義もなき者にまで恩情を示した内匠頭の心中を理解せぬ愚か者など要らん。わしが口を利いて臣従など許してみろ。今後、事あるごとにわしを担いで内匠頭と争おうとするわ。


「上様も関わる気がないようでございますな」


「当然じゃの。あのお方は聡明だ。新たな世が来ることを既に悟られておる。足利の家を新たな世に残せれば、多くは言わぬはずよ」


 懸念は公方様であったが、北伊勢の国人衆など庇う気もないらしい。六角とすると公方様に期待するところもあるのであろうが、公方様は勝手ばかりする武士をすでに見限っておる節がある。


「こやつらは理解しておらぬの。そなたがまだ情け深いということを」


 恨み言を言う気もないが、わしは内匠頭ほど情け深くはなれぬわ。


「新たな世には多くの者が必要でございます。一度くらいは使ってやってもよいと思うまで」


「そなたのそのようなところは恐ろしくもあるの。まことの仏にでもなれそうじゃ」


「ふふふ、お戯れを」


 一揆ということでもう少し慌てておるかと思うたが、たいしたものよ。仏の名が鬼になっても当人は気にせぬのかもしれぬな。


「そなたが出るのか?」


「いえ、美濃の山城守が出陣を求める文を寄越しました。憎まれ役は任せてほしいと。員弁郡へは山城守に任せようかと思うております。桑名には孫三郎が出ると申しておりますれば」


「たいした男らだ。己の働き処を承知しておるとは」


 当人は仏の名など惜しゅうないとはいえ、臣下の者と弟がそれを慮って憎まれ役を買うて出るとはの。まこと人の上に立つということは、こういう者でなくばならんのか。


「三郎と一馬も此度は出しませぬ。既にウルザらと春らが密かに動いておりまするが、影働き以上はせぬようにと言うております。憎まれ役には致しませぬ」


「それがよかろう。新たな世を築く者らは汚れてはならん。どれ、ならばわしも返事を書くか。臣従の条件はわしが決めたのだとな」


 内匠頭は、必要とあらば本気で己が新たな世の礎となる気だ。この男もまたつまらぬところで汚してはならん。


 荒れた世などもう御免じゃ。北伊勢如きに邪魔されてなるものか。


「一揆に加担した者らは一馬にやろうと思うております。日ノ本の外に領地を得るには苦労が多いはず。使い潰せる人はいくらいても困らぬはずでございます」


「遠島送りか。それがよかろう」


 そう、日ノ本を早々にまとめて外に備えねばならんのじゃ。北伊勢の一揆も今年中に終わらせたいものよ。






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