第905話・進むも地獄引くも地獄

Side:六角義賢


 一度始まった一揆はそう容易く治まらぬか。織田は願証寺の末寺を使う大胆な策を講じた。


 確かに北伊勢にあまり縁がない織田としてはそれが良いのであろうが。困ったことに六角家は父上が管領殿の要請で山科本願寺を攻めたことで、一向衆とはあまりよい関わりがあるとは言えぬ。


 こちらは寺領に逃げ込んだ者を見て見ぬふりをするくらいか。


「織田は救援の対価として国人の領地を召し上げるとか。相変わらず厳しきことをしておりますな」


 平井加賀守が尾張から戻った使者の話に驚いておる。北伊勢の国人が使えぬことは理解しておるが、それでもよほどでなくば領地を召し上げなどせぬのが常道と言えよう。


 土地を治めるのは織田でする故、すべてを差し出して大人しく従えと言われてすぐに従う者などおるまい。現に北伊勢の国人衆からは織田のそのような態度にも不満が出ており、わしのところまで話が聞こえてくる始末だ。


 織田は思いあがった成り上がり者だと暴言を吐く者もおり、六角家で北伊勢の一揆を始末してほしいと勝手な願いを言うておる者すらおる。


 己を高く認めねば主として認めんということか。そのような家臣など要らぬと言える織田が羨ましいわ。


 国人や土豪などおらずとも土地を治める術を織田は見つけたか。危ういな。家臣どもにも相応の利を与えておるのであろうが、まことにそれで国が治まるのか? 仏の弾正忠と言われる内匠頭殿が健在ならばよい。そのあとも続くことなのか?


 いかんな。今は北伊勢だ。北伊勢の一揆を収めるのに如何程の兵と兵糧がいるのか。さらに深入りして国人や一向衆が蜂起でもすれば退路を断たれることになるやもしれぬ。信義も忠義もない者らだ。信じるのは危うい。


「北伊勢など要らぬと言えれば、どれほどよいのやら」


 思わず口にした本音に平井加賀守が困った顔をした。名門六角家としてそれは許されぬことだ。そのようなことはわかっておる。


 されどな、すでに伊勢の海は織田が制するところ。願証寺でさえも織田の風下に立つことを厭わぬというのに、今更伊勢に拘って如何になるのだ?


 かといって織田に手を出すなといえば、北伊勢は荒れに荒れよう。父上の代には六角の力の及ぶ地であったとみられておるだけに、そのようなことになればわしの力が疑われる。


 いっそ織田に倣い、北伊勢の国人から土地を召し上げるか? 無理だな。梅戸も家臣も反対するであろう。


 おのれ、細川晴元め。このようなことをして味方などすると思うなよ。三雲の愚か者は始末するとして、奴も許しておかぬぞ。




Side:春


「酷いものね」


 一揆が広がっているわ。長年積み重なった我慢の限界。そう言うことは容易い。尾張と比べてなぜ自分たちの領地はこれほど貧しいのか。織田はしてくれることをなぜ領主はしてくれないのか。そんな不満を爆発させた。


「人って勝手よね」


 冬が焼ける村を見て呆れたように呟いた。


「ここの領主はそこまで悪くなかったわ」


 そう夏の語る通り。ここの領主は他よりはマシだった。織田が払っていた出稼ぎ労働者の礼金を、数が変わってもそのまま受け取っていたことに変わりはない。でもそれを貯めておいていて野分のあとにはすぐに米や雑穀を買い入れていた。


「村にも問題が多かった」


 秋は嫌悪感を示すほど一揆勢を睨んでいた。確かに北伊勢は村にも問題があった。当初、尾張に出した人は小作人の次男や三男。なにかあっても切り捨てられるとの考えからだろう。


 そんな弱い立場の者たちだ。織田が払った礼金は当然のように家長や村の有力者が取り上げたところが多かった。家では奴隷のようにこき使われて、日々の食事ですら差別されていたような扱いだった。


 戻らなくなる理由は村や家族にもあった。


「おい! 女がいたぞ!!」


 まるで自分たちが被害者のようにしつつ、彼ら一揆勢は目につくものはすべて奪い破壊していく。


 私たちの周りにも……。


 私たちは旅の僧に扮しているけど、見つけた男は目がいいと褒めるべきかしら?


「何処の女だ! そんな姿をしてるってことは逃げた領主の女衆じゃねえのか!!」


「やっちまえ!」


 話す気すらないのね。これが一揆か。民をここまで追い詰めた為政者が悪いのは確か。とはいえ村単位で生きている時代。彼らの責任だってある。


 数打ちの刀や槍で迫ってくる。それは私たちへの敵対行為よ。


「始末致しますか?」


 敵は十人ほど。でも残念ね。私たちの周りには護衛がいるのよ。これでも人に仕えられる身分でね。ジュリアたちが鍛えた精鋭。彼らが無傷のまますべて倒してしまった。


「放置していいわ」


 襲ってきた者たちのうち数人は怪我をしているとはいえ生きている。そんな地べたにひれ伏して怯える男の前で私は被っている網代笠を取った。


「私は久遠春。貴方たちは織田に弓引くのね? なら遠慮はしないわよ」


 怯え顔を真っ青にしている男に名を名乗り睨むと、私たちはこの場を離れる。放っておいても内部で争い自滅しそうだけど、もう少し攪乱しましょうか。


 その手段を選んだ時点で貴方たちは弱者と言えなくなったこと。理解させないといけないわ。


 織田と久遠の名で何処まで一揆勢を分断出来るのかしら?




Side:久遠一馬


「さすがに織田も忙しそうだな」


 清洲城で派兵の支度をしていると意外な人物が姿を見せた。北畠具教さん。今日はお忍びの時のような姿ではない。ちゃんとした服装だ。


「援軍を求めるのか?」


「それもある。だが本筋はこれだ。父上から武衛殿に宛てた援軍を求める書状だ。これで大義名分になろう」


 ちょうど手が空いていたのでオレと信長さんで応対したが、伊勢国司である北畠晴具さんからの正規の援軍要請の書状だった。これを求めていたんだ。


 本当は文官を行き来させて話をしていたが、人を挟むと時間が掛かるからと自分が来たらしい。


「すぐ守護様に取り次ぐ」


「ああ、その前に頼みもある。水軍を出してくれ。神戸と赤堀はこちらで兵を出すが、水軍衆も動きが怪しい者がおる」


 具教さんの用件はやはり北畠家の派兵か。南伊勢の北畠家だと北伊勢に派兵するには陸路だとどうしても中伊勢の長野家の領地を通る必要がある。ところがあそこは敵対しているからね。


 しかも一揆は長野家の領地でも発生したとついさっき報告があった。北畠家が北伊勢に安心して派兵するにはどうしても海が必要になる。


「わかりました。おまかせください。神戸と赤堀含めて北畠家は絶対に孤立させません」


 信長さんはこちらを見た。水軍は佐治さんに任せているが、海は事実上ウチが差配していることだ。当然ながら北畠へ水軍を出す準備はしている。


 現状では志摩水軍と南伊勢の水軍は大丈夫だろうが、北伊勢と中伊勢の水軍は現場が勝手に動いて沿岸部の村を荒らしているとの報告もある。


 一揆に加担したのか、ただの火事場泥棒かは確認が取れてないが。それに長野家が動くこともないとは言い切れない。


「願証寺と組んだ策がある。使えるなら使ってくれ」


「寺領を織田のものと見せるのか。よく願証寺が承諾したな」


 具教さんとはそのまま互いの状況と今後のことを話す。すでに桑名郡など沿岸部から願証寺の末寺では織田の旗を掲げていて、騒ぎになっている。具教さんも驚いているが、願証寺が織田の軍門に下ったのかと思われているんだ。


 守護使不入の特権がある寺領に武家の旗があるとそう勘違いされるよね。ただでさえ願証寺はずっと織田寄りの態度を示してきたんだ。


「寺領も被害が出ていましたからね。それにただしくは旗を貸しただけですよ」


 正確には援軍要請があったので救援に行くだけだが。まあ細かい大義名分は置いておいて、一揆勢が誤解してでも大人しくなるならそれでいい。


 実際にはそれほどシンプルではないが、末寺の中には僅かだが一揆勢に加担したところもあるし、一揆勢に襲われたところもある。


 混沌としている状態でそれは今後も変わらないだろうね。



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