第904話・牧場の昼時
Side:リリー
「御袋様! 終わりました!」
子供たちが午前の農作業を終えて戻ってきたわ。みんないい子よ。ちゃんと手足を洗っているわ。この季節は水も冷たいけど、嫌な顔ひとつしない。
「よく頑張ったわね。さあ、お昼にしましょう」
「はい!」
今日のお昼はピザを焼いたわ。もっともバター醤油とキノコの和風ピザだけど。まだ新鮮なキノコが手に入るから、この季節はキノコ料理が多いの。スープは鰯のつみれ汁よ。今朝届いた新鮮な鰯を使ったわ。
冬支度もそろそろ一段落。大根や白菜などの冬野菜の畑はあるけど、牛や馬の餌を保管してあるサイロや食料蔵はほぼ満載ね。
「……御袋様。一揆が起きたの?」
いつも元気に賑やかな食事だけど、今日は年長さんたち数人の表情が少し冴えない。なにかあったのかと気に掛けていると、不安げな様子で声を掛けてきた。
「ええ。北伊勢で一揆が起きたらしいわ」
一揆という言葉に子供たちは静まり返った。年少さんたちはまだわからないだろうけど、年長さんたちの様子は明らかに不安げだわ。一揆。この時代では戦と同じく子供たちには怖いものなのよ。
「飯が食えなくなるのですか?」
長い付き合いだともうすぐ五年になる子もいるわ。元の暮らしを覚えている子は飢えや貧しさを知る子もいる。一揆の意味も当然知っているわ。飢えが怖いのね。恐る恐るそれを聞いてきた子の言葉からみんなに不安が伝染していく。
「大丈夫よ。みんなよく働いてくれたでしょう? お野菜もお芋もたくさんあるじゃない」
「ですが……」
「尾張ではね。ここ以外でも食べ物をたくさんとって置いているの。みんなも学校で教わったでしょう? でもね、なにも準備をしていないところが他国には多いわ。一揆が起きたのはそんなところなのよ」
子供扱いをしていい時といけない時がある。今はいけない時。きちんと話してあげないと不安は消えないわ。
「私たちは……まだお役に立てないことも多いから……」
途中から消えそうな声でうつむき言葉を紡ぐ子は自分の価値を理解していない。
「あら、みんなの作ったお野菜が他国から来た人たちに喜ばれたのよ? 私はみんなのおかげで守護様にお褒めの言葉までいただいたのに。私はみんながいないと困ってしまうわ」
この子たちはそこらの大人より貴重な経験を積んでいるわ。ここで育てている動植物の世話をした経験はこれからの日ノ本には欠かせないものなのに。
「本当でございますか?」
「私がみんなに嘘を言ったことある? そうね。食べたら、一揆など起きないようにするにはどうすればいいか、みんなで考えましょう」
「はい!」
この子たちは私にいつも大切なことを教えてくれる。みんな不安なんだ。私たちが来て五年。まだまだ苦しい記憶が遠くない年月だものね。
至急、領内向けの広報活動が必要ね。備蓄は十分ある。それを改めて領内に知らせないと下手をすると人心が乱れて領内まで一揆が起きてしまうわ。三河と美濃の新領地は特に必要ね。
屋敷に知らせましょう。策に溺れることなく、私たちはこの国のみんなと向き合い生きていこう。
喜びも悲しみも不安も、みんなで分かち合う。大丈夫よ。二度と貴方たちを飢えさせるなんてしないから。一緒に頑張りましょう。
Side:久遠一馬
今までにない緊張感が織田家にある。
評定後、信長さんや文官衆と色々と打ち合わせをする。進軍ルートは海路を使った桑名からと、西美濃の大垣と関ケ原から北伊勢の
桑名郡、員弁郡ともに特に一向衆の信徒が多い地域になる。
「某は急ぎ美濃に戻りまする」
「ああ、義父殿によしなにな」
義龍さんと美濃衆は兵の動員のために急ぎ戻ることになる。義龍さんは信長さんに挨拶をすると慌ただしい様子で清洲城を出ていった。
「かず、管領と三雲の策は上手くいったと見るべきか?」
「難しいところですね。北伊勢の様子だと遅かれ早かれ同じことが起きたと思いますよ」
三雲定持、はっきり言ってあまり気にしてなかった。史実だとそこまでおかしな行動を取ったという資料はなかったしね。まあ己の立場が変わって狂ったとするとおかしなことではないが。
「ひとつ言えるのは、これで管領殿と我らは敵となったということだな」
信長さんの問い掛けにオレは悩み答えたが、信康さんは三雲よりも管領である細川晴元のことを気にしていた。三雲の狙いは六角と織田の対立だが、現状だと信康さんの言う通り細川と斯波の対立になるだろうね。
「一揆の鎮圧は気が重いな。上手くいっても後が大変だ。北伊勢の国人衆は切腹でもよいくらいだ」
信康さんもあまり機嫌がよくない。領民の不満が爆発した土一揆は扇動者がいないので、単純に領主の不手際だと考えるようだ。特に北伊勢は恵まれた土地だ。近年では織田からも出稼ぎ労働者の礼金も出ていたし、己の領地くらい無難に治めろというのがこちらの本音になる。
実のところ国人とかその家臣である武士の価値って、織田家では下がり続けているんだよね。たまに信じられないくらいにおかしなことをする人もいる。三河の吉良家とか野分の際に言うことを聞かなかった人たちもいたしさ。
「他国から食料を買うか。高く付きそうだなぁ」
あとメルティには兵糧と北伊勢に必要な食料の概算を出すように頼んでいる。ただ、正直なところ戦で消費する兵糧よりも北伊勢を安定させる食料のほうが多い気がする。
ウチでは滝川益氏さんと望月太郎左衛門さんを関ケ原に送ることになった。ウルザ、ヒルザと一緒に美濃衆と共に員弁郡へ派兵することになるだろう。困ったことに大砲はウチでしか使っていない。
最悪、集団が膨らんだ一揆勢を止めるには、未知の兵器である大砲の威力と迫力が必要だ。
すず、チェリーと広域警備兵は領国防衛のために領境から動かせないとのこと。広域隊の大物である佐々兄弟も同じだ。警備兵の面々は暴動鎮圧とかも多少は教えているし有能だから期待したいところだけど、領地を守ることが優先なので仕方ない。
リーファと雪乃の船はすでに出航しちゃったしなぁ。
「北伊勢から逃げてきておる流民も動員するか?」
「前に出すのは止めたほうがいいですね。後ろで荷駄隊でもさせるならいいんでしょうが。尾張や美濃を守りたいという思いもないでしょうし」
動員の数や人選に悩んでいると、北伊勢の問題は北伊勢の者に解決させるべきとでも考えたのか、信長さんは現在も増え続けている流民の動員に言及したが、それはオススメ出来ない。
下手すると彼らが乱取りとかして荒らす危険性もあるし、敵前逃亡でもされたら士気が下がって統制がとれなくなる。
軍規という意味でも、終わったあとの報酬と十分な食事でようやく守らないと駄目だという意識が生まれているんだ。ここで勝手なことをする人たちを加えるとろくなことにならないだろう。
それをやるなら賦役の領民を動員して、代わりに賦役でもさせていたほうがいい。元は流民も多い賦役だが、すでに尾張に馴染んでいる彼らと、逃げてきたばかりの流民ではまったく違うものがある。
北勢四十八家。まあ生き残っても彼らへの風当たりは強くなるだろうね。
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