第903話・メルティの策と別れ

side:久遠一馬


 六角家からの使者が出陣要請をしてきた。条件はこちらが平定したところを認めることと、謝礼は別に寄越すというもの。さらに望みの条件があれば検討するとまで言っていたらしい。


 義賢さんから信秀さんへの文には一揆が三雲の謀だとはっきりと書かれていて、止められずに申し訳ないとも書かれていたみたいだね。


 家柄を考えるとかなりの驚きだ。先代の定頼さんの遺言と、この一件の扱いに失敗すると六角家の致命傷になると気付いているんだろう。


 信秀さんは六角の条件で十分だと即出陣すると返事をした。北畠との調整も必要だが北畠も他人事ではないし六角と血縁がある。拗れることもないだろう。


 信秀さんはすぐに評定衆を集めた。


「一揆と戦か」


 ポツリと呟いたのは義龍さんだ。ほかの評定衆も一様に顔色が冴えない。


 一揆には厳密に言えばいろいろある。一向衆の一向一揆や国人の国人一揆など。それぞれ特徴があるが、今回の一揆は民が主体の土一揆というべきだろう。土一揆の特徴は扇動者がいないことか。民による一揆。扇動者がいない分だけ纏りに欠けるが、終わらせるのはまた大変だ。


 止まれば領主に報復されると考えるし、食べ物がないことで止まると飢えるしかない。それに一度タガが外れると我慢の日々に戻るのは難しいのかもしれない。


 武力で蹴散らすことしか多分、止める方法がない。逃がすと元の村に戻って暮らすというよりはそのまま賊になってしまう者もいるだろう。野分と一揆で荒れた村の復興にどれだけの資金が掛かるのやら。


「国境にはすでに警備兵と臨時で集めた兵を配置しました。こちらは動かせません」


 評定は担当奉行からの報告から入るが、伊勢の情勢に続いてセレスが警備兵の対応を報告した。北伊勢と接する国境には少数だがすでに兵を配置してある。少数でも村レベルでは危機となる。一揆勢は領内には入れられない。


「水軍では桑名に集まる流民を尾張へと移しております。これをせねば桑名で一揆が起きまする。あそこで一揆が起きるとこちらからの進軍が難しゅうなります」


 続いて佐治さんが一揆から逃れている流民のことを教えてくれた。どうも沿岸部でも元奉公衆の領地で一揆が発生したらしく、混乱している。史実の織田信長が行なったような陸路での伊勢進軍も可能だが、国境沿いは街道の整備などしていないので道が悪い。


 制海権は維持出来ている。蟹江と津島から桑名に派兵するほうがいいだろう。桑名は落とせない。


「一馬、なにか策はないのか?」


 重苦しい空気を打破したいのだろう。信長さんがこちらに話を振った。気持ちはわかるけどね。


「北伊勢の国人は役に立たないと思います。……メルティなんかある?」


 エルを呼べば良かったかと少し頭を過るが、どう考えても胎教に悪い。ずっと無言だったメルティはなにか策が浮かんでいるのだろうか?


「願証寺は何処まで動けるのかしら?」


 すっと口にしたメルティの言葉に、評定に加わっている願証寺の使者に視線が集まった。当事者ということと北伊勢への派兵には願証寺の協力が必要ということで呼ばれたんだ。


「はっ、すでに末寺には動くなと命じております。さらに僧兵の支度は出来ておりまする」


 高僧だろう。突然話を振られて緊張気味の使者だが、その言葉に再びメルティにみんなの視線が集まる。


「末寺への伝令とめいを変えることは出来ると考えていいかしら?」


「はっ、今ならばまだ……」


「一揆の鎮圧には分断が必要よ。いかにして一揆を分断していくか。北伊勢に多数ある願証寺の末寺で一揆を分断することならば出来るわ」


 メルティの策に願証寺の使者の顔色が変わった。末寺に戦えと言ったように聞こえたんだろう。道理でもある。北伊勢の寺には守護使不入の特権もある。自分たちの寺は守れと言われることも仕方ないと思うんだろう。


 でも……、メルティがそんな消耗策をとるとは思えないが。


「ふふふ、心配しないで。寺に死ぬ気で戦えなんて言わないわ。でも寺領と寺は守らないとダメよね?」


「はっ、それはそうでございますが……」


「願証寺の寺と寺領の村に織田の旗を立ててはどうかしら? 救援の願いは来ているもの。名分はあるわ。そうすると桑名と同じように一揆から逃れる人が集まるし、一揆の中にも食えることを期待して大人しくなる人がいるはずよ」


 そうか。その策があったか。評定の空気が一気に変わる。どよめきと共にみんながその策について考えて話し始めた。


「絶望する人ほど救いがほしいのよ。ほんの僅かでもいい。光がね。集まった人と寺領の民で守ってくれれば、織田と六角ですぐに救援に行けるわ」


 メルティは相変わらず人の心理をよく読むな。


「使者殿、如何なのだ?」


 時間稼ぎと一揆の分断にはなるだろう。元は領民なんだ。人が減れば大人しくなる人も増える。信秀さんは他に意見もないことを確認して願証寺の使者に意見を問う。願証寺は織田に臣従してはいない。すべては願証寺の決断次第だ。


「お願い致します」


 しんと静まり返った中、使者である高僧は決断した。




Side:三雲賢持みくもかたもち


 冷たい秋風が吹いていた。北伊勢への出陣を控えたオレは母上の下を訪れる。


「……新左衛門尉」


 戦支度で物々しい城の中とは打って変わって、母上は静かに祈りを捧げておられた。母上が侍女を下げられると、ふたりだけで言葉を交わす。ああ、涙がこみ上げてくる。


「いいですか。三雲の家を絶やしてはなりません。たとえ苦難の道であっても」


「はい、母上」


 いつの頃からだろうか。父上が乱心したとしか思えなくなったのは。滝川と望月。あの両家が噂になった頃であろうか。


 母上が幾度となく諫めても聞き入れることなく、今では母上を遠ざけてしまい会うこともない。貧しさから甲賀を出ていく者など珍しくないというのに。立身出世を果たした者を妬むとは。我が父上ながら、なんと器の小さな男だ。


 それが愚かだと笑っていられなくなったのは、父上が密かに公方様に疎まれている管領である細川様と通じておると知った時か。これは御屋形様への逆心ありと言われてもおかしくないことだ。


 さらに先代様の遺言に背くように織田と六角家を争わせようとした結果、北伊勢で一揆が起きてしまった。


 御屋形様は自ら御出陣なされるようで、父上が命じられたのは一揆を鎮圧する先陣だ。今までにない突然の命。十中八九、御屋形様は父上の謀に気付かれたのだろう。


 父上もそれに気付いたようだが、最早止められぬと思うようで機嫌がいい。織田と戦になれば己の正しさを御屋形様も理解する。さすれば蒲生殿などの重臣を隠居させて己が御屋形様を支えると勝手なことを夢見ておる様子。


 オレがそんな愚かな父上に命じられたのは、六角家と織田を後戻り出来ぬほど争わせろということ。


 己以外は駒だと思っておるような父上だ。オレがこうして母上と別の思惑で動いていることなど気付いてもいない。


「私の実家は遠縁ですが望月様と血縁があります。ここにことの仔細を記した文を書きました。望月様にこれを見せなさい。母にはこれくらいしか出来ませんが……」


「……はい」


 オレと母上は、父上ばかりか御屋形様までも偽ろうとしている。このままでは一族郎党死罪になる。それを避けるために、なんとか三雲の家を残すために織田方に寝返るのだ。


 歓迎などされまい。父上は散々勝手なことをして、滝川家や望月家と縁がある甲賀衆にまで嫌がらせをしていた。されど父上の管領様への内通の書状など役に立ちそうなものを持っていけば、命までは奪われまい。


 情け深く、着の身着のまま逃げた者ですら助けておるという織田様と久遠様ならばな。伊賀者ですら尾張にたどり着けば後を追えぬという織田様ならば……、下男からでも家を残せるはずだ。


「母上……」


「さあ、行きなさい。母はあなたのような子を産めたこと、幸せでしたよ」


 共に連れて逃げたい。されどそれは出来ぬことだ。あの父上の気性を考えると直ぐに追っ手が掛かり殺されてしまう。それでは三雲の家が残せぬ。


「どうか、最後まであきらめずに生きてください。武功を挙げて助けていただけるように頼んでみます」


「そのような暇があるのならば織田様に尽くしなさい」


「はい……」


 深々と頭を下げて母の言葉を胸に刻む。ああ、涙で顔を上げられぬ。どうかどうかお元気で。親不孝と叱られても必ず助けに参ります。


 必ずや……。




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