第900話・燻る火種

Side:久遠一馬


 花鳥風月の四匹が遊んでいる。トイレとか屋敷に上がる時は足を拭くとかは教えているが、あとは自由にさせているからなぁ。


 でもね。君たちがいるのは公方様の膝の上なんですよ? まあ犬に将軍もなにもないか。菊丸さんも悪い気がしないのか自由にさせている。


「武衛と内匠頭が動かぬなら捨ておく。三好か六角が討伐するなら構わぬがな。命も三好が求めるなら出してもよい。ただし新たな管領は置かぬ」


 先日、義統さんのところに細川晴元から書状が届いた。信秀さんが謀叛を企んでいるというものだ。なんかあちこちに送っているらしいね。家中だけでも伊勢守家の信安さんや信光さん、それと美濃の道三さんとか三河の吉良家にも届いたらしい。


 それらの報告と事後処理に関して義藤さんが決める。


 無論、本題はそこじゃない。義藤さんには観音寺城から定期的に書状が届く。政務に関する報告とか指示を仰ぐものだ。それの処理をウチでしているんだ。織田家でも正体を知る人は限られているからね。清洲城は人の出入りも多いし、少し前からウチでやることになっている。


 観音寺城で政務を代行しているのは、義藤さんのお母さんである慶寿院さんと義藤さんの側近になる。慶寿院さんの手紙には早く帰ってこいと書かれていることが多いらしい。やはり母親としては心配らしい。


 義藤さんの治世は史実と変わっている。自身の権威と幕府再建に心血を注いでいたように思える史実と違い、現状のある形を可能な限り維持することを努めている。将軍を退きたいのだろう。下手に動くとそれが出来なくなることが動かない原因か。


 とはいえ皮肉なのは、もしかすると史実より現状のほうが義藤さんの権威と力があるかもしれないことだ。


 三好と六角と織田。この三家が偶然にも三竦みのようになっていることと、義藤さんが軽々しく動かないので周りが様子を見ているからかもしれない。ジュリアとエルがいろいろ教えていたからね。戦に関しては考えなしに兵をあげることをしないことも大きいと思うが。


「母上は戻れと言うが、戻ると三好と六角が上手くいかなくなるだけではないのか?」


 うーん、こちらを見てそんなことを聞かれても困る。答えにくい。オレは将軍様に意見を言える身分じゃない。与一郎さん、君の仕事なんだけど。少し困った顔をして見ているだけですか。


 散々意見言っているし、今更か。


「織田が動かぬうちは上手くいくとは思います。恐らくはですが。それよりも三好殿は恐らく上様のお心をまったく理解しておりません。それを理解した時にどうなるかですね。三好殿がなにを何処まで考えて求めているのか。それはこちらもわかりませんので」


 現状の権力は二重構造なんだよね。義藤さんの将軍としての権力は六角にあって、都を押さえている三好にも相応の権力がある。


 それと三好長慶さんは義藤さんとの和睦も近衛さんが代行したので、実は和睦以降は一回も義藤さんと会っていない。旅に出ていることなどは知っているはずだが詳細は教えてないだろうし、なにを考えているかわかっていないだろう。


 六角もね。義賢さんがどうも都に出ていくどころではないようだし。尾張を見て危機感というか、今までと同じでは駄目だと気付いたようで改革をしようと動いているようなんだ。


 義賢さんが義藤さんの気持ちをどこまで理解しているかはオレにもわからない。でも積極的に上洛はしないだろう。三好や細川と戦って天下を治める意思があるとはオレには思えない。


 申し訳ないが義賢さんだと経験不足だ。先代の定頼さんなら出来たかもしれないが。


 三好も六角も完全に天下を握るにはいささか足りないものがある。結局は現状のまま様子見なんだろう。


「うんざりするな」


 義藤さんのほうも、三好のこと。そこまで信じているわけではないらしい。史実ほど嫌ってもいないが、三好は三好で勝手なことをしていると言えばそうだしね。よく知らないのはお互い様だということか。


「殿、少し火急の知らせが……」


 義藤さんの仕事が終わろうとしている頃、少し顔色を変えた資清さんが部屋に入ってきた。耳元で囁くような資清さんの話す内容にオレは頭を抱えた。


「いかがした? オレが聞いていい話か?」


 義藤さん、命じるのではなくこちらに問うというのが変わったんだなと思う。もっとも資清さんは義藤さんが興味を持つことも想定の範囲内だろうが。


「北伊勢で一揆が起きました。少し前の野分の被害が酷かったところのようですが。村を捨てて尾張に来ようとしていた領民たちを、領主が止めて村に戻るようにと槍を向けて脅したことで民が激怒。そのまま領主らを追い立ててしまい、領主が急遽集めた兵で押さえこもうとしてぶつかったようです」


 とうとう起きたかという印象。今年は野分のせいで例年よりも北伊勢から来る人が多かった。中には村の半数以上が一緒に来たなんて話もある。


 この件については六角と願証寺が動いていたが、どうしようもなかったというのが現状か。領民が飢えようが年貢はきっちり取るのがこの時代だ。共に田畑を耕している人もいれば、領民なんてどうなろうが知ったことじゃないって人もいる。


 共に田畑を耕していれば違うようだが、偉そうにしているだけの領主の悪評はオレにも聞こえてくるほどだ。この時代の領民は強いからね。平気で一揆も起こす。


 ただでさえ近年は尾張との格差が問題になりつつあった土地だ。それが野分で被害が出たことで逃げる者が続出している。尾張だと武芸大会を開いていたくらいだしなぁ。野分の被害で飢えると懸念している人はまずいないだろう。多少米の値は高いが、麦や蕎麦の雑穀はまあそこまで値上がりしていない。


 今までは一揆よりは尾張に逃げたほうがいいと大規模な一揆は起きず、近隣の村などと小競り合いや奪い合いが多少あっただけだが、領民と領主が本格的にぶつかったとなると騒動が北伊勢全体に広がり悪化する可能性がある。


「あそこか」


「とりあえず津島と熱田にすぐに連絡して。当面は東海道を使うのを控えるようにって」


「はっ」


 義藤さんはまたかとうんざりした顔で言葉が途切れた。


 元々東海道は野分以降、治安の悪化で商人たちは避けていたが、これだと東山道に行くように旅人にも案内出したほうがいいね。まあ北伊勢の国人衆は商人が来なくなったことも面白くないらしいが。


「戦か?」


「どうなりますかね? こちらは勝手ばかりする北伊勢の国人衆など要りませんけど。六角と願証寺が押さえるべきなんですが」


 ポツリと呟いた義藤さんの顔つきが険しくなったのは、扱い次第で織田と六角が敵対することもあり得るからだろう。


 北伊勢に関しては評定でも何度か話し合っていることだが、土地としては魅力がある。東海道の鈴鹿関くらいまでならとってもいいかもしれないという話はある。


 ただし北勢四十八家という国人衆を味方にしたいという意見はほぼない。六角と北畠のひも付きの家だったり、将軍直属の兵力であった奉公衆の家だからね。こちらの法とやり方に素直に従うのならば臣従を認めてもいいが、連中の現状を認めて食わせてやるなんて人は今の織田の中枢にはいない。


 すでに戦の動員も国人なんかに頼らなくても集まるし、武官なども育っている。領民を指揮する武士だって尾張や美濃の国人衆の次男三男がいくらでもいる。


 三河でもそうだったが、臣従を誓えば利を得られると安易に考えている武士が相変わらず多いんだよね。


 そもそも北伊勢はすでに領民を人足として出す対価としてこちらから銭が渡っている。臣従すればそれがなくなるんだよね。領地整理で俸禄に変えても取り上げた領地の実入り分の補填でしかない。国人では家人のひとりひとりが織田のために働かないと暮らしは楽にはならないだろう。


 賦役の礼金で楽に暮らしていた国人は減収になることだって十分にあり得る。


 忍び衆の報告では織田に臣従をと考えている人の大半が、今のまま領地も認められて織田から銭も貰い続け、困ったら助けてくれると安易に考えているらしい。そんなわけで、例によって織田から従えというのを待っている感じだ。


 六角も願証寺もそんな勝手な思惑の国人の相手に苦労しているっぽいね。


 はてさて、どうなるのやら。




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