第890話・遥か時の彼方で……
Side:
隆光殿の屋敷の障子を開けると清洲城の時計塔と天守が見えた。
わしと大寧寺の者らは隆光殿の屋敷で世話になっておる。ちょうど尾張では武芸大会なるものが行われるようで何処も人が多いようでな。
あれから毎日、隆光殿と共に大内卿の菩提を弔うべく祈りの日々を送っておる。
先日には隆光殿に誘われて熱田と蟹江と津島に参った。まさか主上の和歌や世にも珍しき南蛮の書画などを見られるとは思わなんだ。まさかこの歳になってかような機会を得られるとはの。
大内卿がご覧になられれば、さぞお喜びになられたであろう。
実のところ、わしはさほど大内卿と深い誼があったわけではない。時折、茶の湯に誘っていただいたくらいであった。あまり多くを語るお方ではなかったが、争いを好まず国を富ませることをお考えになっておられたのは確かであろう。
惜しいお方を亡くした。大内卿のなき周防や長門を見ておるとそう思うた。山口の町など商家であろうが寺社であろうが等しく荒らされて焼け落ちてしまったのだからな。
せめて最期と遺言を世に知らしめねば大内卿に申し訳が立たぬと、寺の者らで広めると陶家の者が止めろと押しかけてきた。
そもそも大寧寺の本堂は大内卿御自ら火を掛けたことにより焼け落ちたが、宿坊や寺に残る他の建屋の焼失は大内卿によるものではない。陶めが奪える限りのものを奪って、火を掛けたためにすべて失ったのだ。我らは寺領の民に世話になりながらなんとか食いつないでおったが、そのことに対する慰めの言葉もない。
『これ以上騒げば命はないぞ。大人しくしておれ』。そんな傍若無人な脅しに寺の若い者らは激怒した。周防や長門で寺を焼かれた皆が、宗派に問わず陶を許せぬと怒っておるところにそれだ。周防では一揆かという声さえ囁かれておった。
そこに驚くべき話が舞い込んだ。一向宗が大内卿の遺言に従い尾張に行くならば手を貸すというものだ。にわかには信じられなかったが、尾張とは話が付いておるようで多くの民が尾張に行くと周防や長門を出ていった。
出家することで大内領を脱して、一向宗の寺に身を寄せながら尾張へと行くというもの。尾張に着いたら帰俗するのも勝手ということで喜んで行った者も多数おった。
されどわしは一向宗にはなれぬ。とはいえ騒げば陶めはまことに我らを皆殺しにしかねん。皆の命には代えられぬ。怒る若い者らを説き伏せ田仕事で食いつないでおるも、今度は大人しくしておる我らに出ていけと命が下った。
仔細はわからぬ。されど上手くいっておらぬとは風の噂で聞いた。
いずれにせよ寺の再建さえ叶わぬのならば残れぬ。寺領も陶家のものになると言うて税は陶家に納めよと言うておったのだ。
寺領の民から僅かばかりの餞別を頂き長門を出た。途中安芸で一向宗の寺が尾張に行くならばと助力を申し出てくれた。そこで聞かされたのが尾張に人を送ると織田から寄進があるという話だ。
尾張の織田弾正忠様が我らを憐れんで手を貸してくださるのだとか。信じられぬと思うたが、大内卿の最期の遺言が頭を過った。誰にも言わずに隠し持っておった勘合符と日本王印のこともあった。
正直、勘合符と日本王印は争いを呼ぶとしか思えぬ。わしが始末することも考えたものだ。とはいえ大内卿の遺言と周防や長門の者らの逃げるを助け、受け入れておるという噂。それらの真偽を確かめに尾張まで来たのだ。
結果は織田領内を見てすぐにわかった。ここにこそ勘合符と日本王印はあるべきなのだとな。とはいえ尾張にとっても少しばかり厄介なものだったと思える。今更ながらに申し訳なく思うところもあるが。
「ここは……」
武芸大会とやらも終わったこの日、わしは隆光殿と共に清洲城に呼ばれた。案内されたのは見たこともないところであった。
「南蛮の間と呼ばれております。そこの椅子におかけになりお待ちください」
なんとも珍しきところだ。中央に大きな漆塗りの台がある。曲彔(きょくろく)のようなものに座り待つことになる。
「なんと美しい」
思わず声に出てしまったのは一枚の絵だ。先日、津島で見たものと同じ久遠家の絵師の方殿が描いたものであろう。
「そうであろう?」
隆光殿は見たことがあるようであったが、わしは驚き見入っておると前触れもなく声を掛けられて驚く。武衛様のお声だ。すぐに隆光殿と共に頭を下げる。
「面を上げよ」
慣れぬ南蛮の間ということで如何にしておればよいかわからず少し戸惑うが、命じられるままに頭を上げると上座に見知らぬ若い者が座っておる。まさか……。
「公方様であらせられる」
心の臓の鼓動が一気に高まった。戯れの声ではない。されど公方様は病にて観音寺城で静養されておるのでは……。
横におる隆光殿も知らなかったのであろう。驚き戸惑うておるわ。
「両名とも大儀であった。大内家のことは余の不徳とするところ。すまぬと思うておる」
いささか日に焼けておる公方様はあまりに近い。
「いえ、守護という役目にありながら謀叛を起こされるなどあってはならぬこと。責めは亡き主にありまする」
「隆光、そなたは紙芝居の通りということか。大内卿は良き家臣を持ったな」
さすがは大内卿の側近であった隆光殿か。唐突のことにも見事に答えておる。されど紙芝居とはいったい?
「そなたらを呼んだのは他でもない勘合符と日本王印のことだ。亀洋、謀叛人から良く守り抜いたな」
「はっ」
「とはいえ、誰にも話さず持っておったそなたならばわかろうはずだ。あれは争いを呼ぶ。余はここにおる武衛や内匠頭ならば、任せてもよいと思う。されど武衛と内匠頭に任せると久遠の商いを妨げることになるという。あれは日ノ本の外の民である久遠の者が命を懸けて成し得たことだ。何人たりとも手出しするべきではない」
公方様は、
「さらにだ、三好と六角もこれが露見致せば如何に動くかわからん。管領もまた騒ぐに決まっておる。そこで考えたのだ。勘合符と日本王印は大内卿の首と共に
ああ、すでに公方様ですら、
勘合符と日本王印は、見事な大内塗りの箱に入れられてわしのところに戻った。このままいずれ大内卿の首を埋葬する時に埋めることにいたそう。大内卿ならばご理解いただけるはずだ。
「某に異存はありませぬ」
「拙僧も同じく」
「そうか。すまぬな。大内卿が守り抜いたものを」
すべて話し終えると酒が運ばれてきた。
「さあ、盃をとらす。大内卿を偲んで飲もうではないか」
隆光殿が戸惑うておるのがわかる。我らにここまでせずとも良かったはずだ。一言『大儀である』と仰ればそれで済んだ話。まさか盃を頂けるとは思わなんだ。
「隆光、亀洋。そなたらは尾張で大内卿の遺言を見届けよ。よいな」
「畏まりました」
酒を酌み交わし、わしと隆光殿は公方様の秘することを明かされた。公方様が身分を偽って世を見聞する旅に出ておられるということだ。
なんとも驚くべき公方様だ。
されど天下の安寧を願うそのお心は素晴らしきものがある。
この御方ならば、この荒れた世を治めることが出来るのかもしれぬ。そう思うと大内卿の死はあまりに早かったと思わずにはおれん。
なんとも難しきことよな。世の中とは……。
◆◆
皇暦二六五〇年、尾張大寧寺にて大内義隆の墓地の調査が行われた。
当初は首のみであったが、後に久遠一馬の計らいで長門の国、深川の大寧寺跡地から亡骸を尾張へと移送し共に埋葬したと『織田統一記』にある。
調査自体は歴史学者を中心に長らく要望があったが、尾張大寧寺の許可が下りずに実現していなかった。
この年に調査が実現したのは、地上部や埋設部の音波伝導解析などによる非破壊調査限定であり、埋葬物を取り出しての、エックス線透視やMRI分析などの企図は許されず、墓自体に手を付けないとの約束での調査であった。
ところがこの調査結果が騒動となる。大内義隆のご遺体を納めたと思われる
発掘調査をしたいと熱望する学者や、中身を見たいという安易な世評にも尾張大寧寺は『墓を暴くなどあり得ない』と頑なに拒否していたが、長年、尾張大寧寺を支援していた織田宗家の仲介でご遺体には一切触れずに箱だけの発掘ということで発掘調査が実現する。
結果、その中身が『大寧寺の変』にて失われたと思われていた勘合符と日本王印であったことから、更に大きな議論を呼び、箱は尾張大内塗りであることが後の調査で判明したこともまた謎が謎を呼んだ。
勘合符と日本王印は、誰かの手により大内義隆の遺言と共に尾張に齎されたのではないか? そんな憶測が歴史学者やファンを大いに盛り上げさせた。
大内義隆の晩年の側近であり、尾張へと義隆の首を運んだ冷泉隆豊こと隆光が記した『義隆公記』にはこの件について記載はなく、当時の尾張の資料として第一級の資料である太田牛一の関連の歴史書や、久遠一馬の側近中の側近であった滝川資清の『資清日記』にも記載がない。
この件は隆豊や久遠家にも知らされずに人知れず埋められたのか? いったい誰がどのような理由で埋めたのか? そんな謎を解き明かそうとする人たちによって、第三次戦国ブームが起きることになる。
ただ、後に太田家当主はこのことをインタビューで聞かれた際に、『残さぬ歴史もあって当然。当時の織田家の貿易は久遠家が担っていた。勘合符などがもたらされれば一馬公は知っていたはずだ』そんなコメントを述べている。
また、箱の発掘調査を仲介した織田宗家は、『勘合符は久遠家の貿易でその役目を終えていたのではないか』と推測を交えて語っている。
ちなみにこの後に放送された冷泉隆豊が主役の大河ドラマ『隆光』においては、勘合符は冷泉隆豊が尾張に齎したものの、争いの種になることを憂いた斯波義統、織田信秀、久遠一馬の三者により大内義隆公の首と共に埋葬するという場面があった。
真相は闇の中であるが、大河ドラマの知名度もあり現在はそれが定説となっている。
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