第888話・第五回武芸大会・その九
Side:塚原卜伝
民の声が一際大きくなった。これほど楽しげな民の姿を見られるのは他ではありえぬこと。諸国を巡って見てきたが武士も僧も民のことなど気にしない者が多い。自らの民ですらそうなのだ、他領、他国の者には興味すらない。守護や将軍も同じく気にもせぬ。
地揺れ、野分、長雨、日照り。民が苦しみ、奪い合い殺し合うのが世の常だ。それがここにはない。尾張、美濃、三河でも野分で被害が出たと聞くが、すぐに人を集めて助けに行き、暮らしが立ちゆくように動いたと聞くではないか。
上様もその話を聞くと如何とも言えぬ顔で伏せっておられた。他国ならば野分が訪れたところには近隣から攻め寄せてくるであろう。奪うためだ。そうせねば生きていけぬというところもある。されど欲から動くところもあるのだ。
尾張では一揆が起きようが野分が来ようが、武芸大会をやるのだという民の熱意が凄まじいと感じた。
上様は誰のためになんのために天下を治めるのか。改めてお考えになられたのであろう。無論、裕福な尾張だからこそ出来ることが多かろう。されど出来ることは少なからずあるのだ。
尾張の民の力は天下どころか日ノ本すべてを飲み込むのではないのか。わしにはそう思えてならん。わしがこの目で見られるかはわからぬがな。
少しばかり考え込んでおると、新介殿と愛洲殿が現れた。共に体は今が一番良い時であろう。若いと力も入り、よく動くものだ。少しばかり羨ましくなるの。
「これほどの手合わせはなかなか見られぬの」
思わず笑みがこぼれる。武芸を極めんと幾年。多くの武芸者と立ちあい、また見てきた。されどこれほどの勝負を見られることは滅多にあるものではない。
「師よ。師ならば如何様に戦う?」
声をかけてきたのは同じく楽しげな北畠左中将殿だ。愛洲殿を連れてくるためにわざわざご自身で参って説得されたのだとか。
「そうさのう。愛洲殿であらば少し見極めたいところかの。新介殿であらば攻めるやもしれぬな」
勝負は五分。先日そう言うたこと間違いはない。とはいえ多くの他流試合をこなして、今や尾張の者らに教える立場である新介殿と、父の跡を継いだ後は領内で道場を開いておるだけの愛洲殿では手合わせをした数が違うからの。
両者、礼をして木刀を構えた。いよいよ始まるか。
おおっ、初手は愛洲殿が攻めたか。正眼の構えでピタリと止まる新介殿に気合の入った一撃を浴びせる。
若さか、少し荒々しい剣じゃの。流れるように繰り出すその技は見事。新介殿も防ぐのに苦労をしておる様子はない。
「やはり武芸大会に出たことがないことが響いたか」
愛洲殿は新介殿の間合いと技で勝負をしたくないようじゃ。己の間合いと攻めを続ける。その姿にいささか新介殿が有利となりつつあることを感じた。
「そうだねぇ。この雰囲気と勝つと手に入る名声に対する気負い。要らないものを持っちまったね」
ジュリア殿も同じことを感じたようじゃの。これほど多くの者に見られながらの手合わせなどここ以外ではあり得ぬこと。当然愛洲殿も初めてであろう。さらに目の前に名を上げる好機が舞い込むと人は要らぬ気負いを背負ってしまう。
「気負いは新介にもあろう?」
「多少はね。でもね。新介はウチの家臣だ。武芸大会にも慣れているし、一度や二度の敗北で失うものなんて限られているのさ。それに失敗や敗北こそ得るものがある。ウチの家訓みたいなものだからね」
左中将殿はわからぬか。武芸を好むとはいえ生まれながらの立場があるお方。背負う気負いの大きさを知るにはいささか若い。
そう、久遠家の者は負けることを恐れない。ジュリア殿やセレス殿もそうだ。いかに敗北から学ぶか。それを家臣らによく教えておった。
あそこまで実力が近いと、むしろ技や力量より心の勝負となる。
「ふふふ、新介殿は愛洲殿からも学ぶ気らしい」
待ちの剣に徹する新介殿に思わず笑ってしまった。見極めというより学ぼうとする姿に見える。負けることを恐れずに陰流をも学ぼうというその貪欲さ。まぎれもない、かの者は久遠家の者じゃの。
Side:愛洲宗通
強い。強い。強い。
父の高弟で一番という上野の上泉殿と一度だけ会うたことがあり、手合わせをしたことあるが、上泉殿と同等か? もしかするとそれ以上かもしれぬとさえ思う。
勝てば、わしは父上を超えられるか?
「強いな。これほどの強き者が隣国におったとは。なんとももったいないことをした」
固い守りを崩せず間合いを取ると、柳生殿が僅かに嬉しそうに笑みを見せて一言こぼした。
もったいないだと?
「もっと早く教えを請うておけばよかったと思うたまで」
その一言にあ然とした。勝つための気負いも負けることに対する恐れもないのか?
わしはなんと小さな男なのだ。父上を超えること、己の名を上げることばかり考えておったというのに、この男は強くなることしか考えておらん。
その心の動きを見抜かれたのか、柳生殿の構えが変わった。右手で木刀を持ちおろしたのだ。これはまさか無行の構えか?
負けられぬ。なにがあってもな。
木刀を握り直して再び攻める。力量は五分。積み重ねた技は誰にも負けぬ。負けられぬのだぁ!!
Side:セレス
楽しそうですね。新介殿は。彼は私とジュリアを足して割ったような性格です。常に冷静に考えながらも勝負を楽しんでいる。
敗北を恐れるようなことは教えていません。それをきちんと守っている。この勝負いただきましたね。
無行の位の新介殿に、愛洲殿は先ほどまでよりも更に気合を入れて打ち込みます。気合い。勝負の上ではとても大切なことです。
しかし……。
「おおっ!!」
会場がどよめきました。新介殿は愛洲殿の渾身の一撃を右手一本で持つ木刀で逸らしつつ間合いを詰めます。
渾身の一撃とはいえ逸らすことにのみ重点をおくのならば新介殿にも出来ます。そして……。
今日初めて攻めに転じます。木刀以上に間合いを詰めたことに愛洲殿は驚きの表情が見えます。ああ、さすがですね。愛洲殿は新介殿の意図を見抜き、間合いを空けようとしました。
ですが、一歩遅かった。
木刀の根元を左手で掴んだ新介殿はそのまま右手に持っていた自身の木刀を捨てて、愛洲殿の奥襟を掴んだのです。
木刀を離さぬと体に力が入る、愛洲殿は隙だらけです。新介殿はそのまま愛洲殿を投げ飛ばしました。
まさか投げ飛ばされると思わなかったのでしょう。愛洲殿は空を見上げて呆然としていました。新介殿はその隙を逃さず木刀を離さぬ愛洲殿の右手を押さえると、とうとう木刀を奪ってしまったのです。
「勝者、柳生新介!」
会場が今までにないほどに沸いています。
元の世界で剣聖として名高かった上泉信綱の無刀取り。それと比較するわけではありませんが、ギャラクシー・オブ・プラネットの接近戦闘術を基にこの時代に合わせて私が考えた久遠流の技。
『剛柔一体』。武道の極致のひとつです。久遠流はそれをすでに実現しています。
それに武芸大会は武器ごとに部門がありますが、司令の元の世界のように細かいルールはまだありません。接近戦闘は剣に限らず認められています。
かつては柴田殿も、私が使った技を見よう見まねで使ったことがあるくらいです。
愛洲殿は確かに強かった。単純な剣の勝負ではおそらく彼が上かもしれません。ですが今は乱世です。剣術ではない剣を用いた戦闘術においては新介殿が上でしょう。
新介殿は仰向けで空を見上げる愛洲殿に手を差し伸べています。そんなふたりがこの先も鍛練を積み、よきライバルとして生きてくれればいいのですが。
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